2012年04月08日
桜のメルヘン
桜のメルヘン




Subj:小百合さん、おはよう!
春ですね。
元気にお目覚めですか?

From: denman@infoseek.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: Thu, Apr 5, 2012 9:51 am
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間: 4月6日午前1:51分)
小百合さん、元気ですか?
春ですね。
大長寺の桜も きれいに咲き始めている頃でしょう。

忍川の堤に二人で並んで座りながら2匹の白鳥を眺めたことがまるで御伽噺の一風景のように思い出されてきますよ。
あんな現実離れした事が本当にあったのだろうか?


ところで、昔、昔、。。。もう遠い童話のような世界になってしまいましたが。。。
僕が、まだ4つか5つぐらいでしたでしょうか?
僕の親父(オヤジ)が初めて釣りをしたのを見たことがあります。
一人で釣りをするのは間が持たないと思ったのか。。。?
僕の手を引いて小百合さんと並んで座って白鳥を眺めた辺りで釣りを始めたのですよ。
桜が咲いていた頃ではなかった。
でも天気はよかった。
10人以上の釣り人が土手に並んで釣りをしていましたよ。
しばらくして大きなフナがかかりました。
ところが、そのフナを釣上げて手で受け取ろうとしたところで釣竿が真ん中あたりでポキリと折れてしまったのです。
フナはピチピチ跳(は)ねながら水面にポッチャリ!と落ちた。
針を呑んだままだったから、たとえ水に戻っても、あのフナは長くは生きられなかったかもしれない。
親父は大きな獲物を逃して僕の顔を見てテレ笑いというか?苦笑していましたよ。
でも、それ程の後悔はなかったようで。。。
しかし、釣竿が折れて他の釣り人の注目を集めて格好が悪いと思ったのでしょうね。
それで釣りを止めて、僕の手を引いて家に帰ったのです。
親父が釣りをしたのを見たのは、それが初めで最後になりました。
僕は、そんな親父を見たからか。。。?
たぶん、それがトラウマとなったわけではないけれど、
今まで釣りをしたことがないのですよ。
きゃはははは。。。
小百合さんと見た白鳥と。。。
親父が釣り逃がしたフナが。。。なんとなくダブって僕の記憶に戻ってきたのです。
そして。。。バンクーバーの春の記憶と言えば
ロブソン・スクエアに面した美術館の裏の青空喫茶ですよ。



バンクーバー市立中央図書館に歩いてゆくたびに通る道すがら、晴れた日には決まって目にする青空喫茶が見えてくると、そこのテーブルに小百合さんが座って微笑んでいるのですよ。
現実にはなかった光景なのに、なぜか鮮明に僕のオツムのスクリーンに浮かんでくる。
幻想。。。デジャブ。。。既視感。。。?

ハローストリートの桜並木にきれいに桜が咲き誇っています。
淡いピンクの花がトンネルを作っているのですよ。
そのトンネルの中を歩いていると、
メルヘンの世界にいるようで。。。、まるで夢の中です。
たまたま図書館で借りた1983年市川崑・監督作品の『細雪(ささめゆき)』を観ました。
映画の初めに出てくる嵯峨野の花見のシーンはきれいでしたねぇ~。。。

『細雪』
(The Makioka Sisters)
バンクーバーで見ると、あの映画の中にきれいな日本が箱庭のようにして見えてくる。
昭和13年と字幕に出ていたけれど、昔の日本が御伽噺のように出てくる。
桜と小百合さんと昔の日本が、メルヘンの中で混ざり合いました。
小百合さんも、しばらくぶりに大長寺で桜の花を見ながらバンクーバーを懐かしんでね。
じゃあ、また。。。


デンマンさん。。。『細雪』をご覧になったのですか?

そうですよう。。。実に良かったです。 なんと言うかァ~。。。嵯峨野で蒔岡(まきおか)家の四姉妹が花見シーンをするところなどは、僕はうっとりしてしまいましたよ。。。
美しい四姉妹にですか?
もちろん、四姉妹も美しいのだけれど。。。、何と言ってもあの桜のシーンは本当に日本だなァ~。。。と、僕の思い出の中から、純粋に日本的なものを感じさせてくれましたよ。。。

嵐山の桜
嵐山 渡月橋~中之島公園
【お花見】
京都府京都市右京区嵯峨中ノ島町付近
嵐山一帯は桜の名所として、とても人気があります。
その昔、後嵯峨上皇が吉野から持ち帰ったのがはじまりで、渡月橋・中之島公園付近では、ヤマザクラ・ソメイヨシノなど約1500本が咲きほこります。
満開時における緑と桜のコントラストは絶景で、山全体が彩られて一見の価値があります。
ライトアップは3月下旬~4月上旬頃行われます。
最寄り駅は、阪急河原町駅。
京阪四条駅から市バス 東山安井停下車、東へ徒歩5分。
(上のYouTube の説明書きより)

バンクーバーに居るので、なおさら日本的な素晴らしさに衝撃を受けたほどです。 僕は惚れ惚れするように桜のシーンと四姉妹の美しさにうっとりとしながら何度も何度も眺めたものですよ。

それほど良かったのですか?
もちろんですよ。。。それに何よりも、館林の「つつじが岡公園」で去年(2011年)の10月、小百合さんと一緒に見た冬桜が思い出されてきたのです。

館林 つつじが岡公園

つつじが岡公園の冬桜
館林 つつじが岡公園

デンマンさんが春に日本へ帰省するのであれば一緒にきれいなつつじが見られるのに冬桜では、ちょっと残念ですわ。

いや。。。そんなことはありませんよ。 むしろ10月から11月にかけての晩秋の「つつじが岡公園」も風情があって、なかなか良いものです。 それに、4月の下旬から5月にかけて「館林つつじまつり」で公園は人波でごった返すでしょう! 小百合さんとゆっくりと落ち着いて、公園を散歩しながら思い出を語るようなロマンチックな雰囲気ではありませんよう。
そうでしょうか?
そういうものなのですよ。
。。。で、『細雪』を観て、どう思いました?
実を言うと僕は『細雪』を小説で読んだことがないのですよ。
どうして。。。?
喰わず嫌いです。 あまりに有名な小説だから読む気がしなかった。
普通の人は有名な小説だから手にとって読む気になると思うのですけれど、デンマンさんちょっと変わってますわね。
うん。。。そうかもしれません。 僕は「有名作品」だとか「有名人」に対しては拒否反応を示すことがあるのですよ。
。。。で、映画を観てどうでした?
花見のシーンも良かったけれど、なかなか面白い話でしたよ。
細雪(ささめゆき)
『細雪』(ささめゆき)は、日本の作家谷崎潤一郎の長編小説。
全編の会話が船場言葉で書かれた異色の作品である(谷崎自身は東京出身)。
上流の大阪人の生活を描き絢爛でありながら、それゆえに第二次世界大戦前の崩壊寸前の滅びの美を内包し挽歌的切なさをも醸しだしている。
阪神間モダニズム時代の阪神間の生活文化を描いた作品としても知られる。
舞台は阪神間だが、本質的には大阪(船場)文化の崩壊過程を描いている。
谷崎は第二次世界大戦中の1942年秋に山梨県の河口湖畔の勝山(富士河口湖町)に滞在し、月刊誌『中央公論』で『細雪』の執筆を始める。
夫人の松子、義姉、義妹たち四姉妹の生活を題材にした大作だが、1943年に軍部から「内容が戦時にそぐわない」として掲載を止められる。
1944年(昭和19年)には私家版の上巻を作り、友人知人に配ったりしていたが、それも軍により印刷・配布を禁止される。
疎開を経て、戦後は京都鴨川べりに住まいを移し、1948年(昭和23年)に作品を完成させる。
その後『細雪』は評価され、谷崎は毎日出版文化賞(1947年)や朝日文化賞(1949年)を受賞する。
また、作家の三島由紀夫をはじめ、『細雪』は作家たちにより多くの文芸随想等で幾度か取り上げて高く評価され、読書アンケートや名著選でも必ず近代文学の代表作に挙げられる。
『細雪』の舞台となった神戸市東灘区の谷崎の旧邸は、保存運動がNPO法人「谷崎文学友の会」と地元住民によって進められ、六甲ライナー建設による移築保存を1990年に成しとげ、「倚松庵」と名づけられている。
なお、作中には年号の表記が出てこないが、作中で四季の移り変わりと大きな気象災害が克明に描かれているため、この作品は1937年から1941年までのことを書いているものだとする研究結果も発表されている。
あらすじ
大阪船場で古い暖簾を誇る蒔岡家の四人姉妹、「鶴子」「幸子」「雪子」「妙子」の繰り広げる物語。
三女雪子の見合いから話は始まる。
三女雪子は美人なのであるが、なぜか縁遠く、三十路に入っても嫁げず姉の幸子夫婦が奔走している。
一方四女妙子は始終恋愛事件をおこして姉達をてこずらせている。
なお、兵庫県芦屋市に居を構える蒔岡家の分家で傍観者的な既婚者として登場する二女幸子は、(谷崎の夫人の)松子のことである。
映画
『細雪』はこれまで3度映画化されている。いずれも日本映画史を代表するトップ女優が出演して話題となった。
『細雪』(1950年、新東宝) 監督:阿部豊、出演:花井蘭子、轟夕起子、山根寿子、高峰秀子、伊志井寛、河津清三郎、田中春男、田崎潤、浦辺粂子、藤田進、香川京子、横山運平、ほか
『細雪』(1959年、大映) 監督:島耕二、出演:轟夕起子、京マチ子、山本富士子、叶順子、川崎敬三、根上淳、菅原謙二、船越英二、信欣三、山茶花究、浦辺粂子、三宅邦子、北原義郎、川上康子、八潮悠子、藤田佳子、穂高のり子、瀧花久子、村田知英子、ほか
『細雪』(1983年、東宝) 監督:市川崑、出演:岸惠子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子、伊丹十三、石坂浩二、岸部一徳、桂小米朝、江本孟紀、小坂一也、小林昭二、辻萬長、常田富士男、浜村純、横山道代、三宅邦子、細川俊之、三條美紀、仙道敦子、頭師孝雄、橋爪淳、ほか
出典: 「細雪」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

長女の鶴子を岸惠子さんが演じているのです。 気品のある貴族的な美しさがありますよね。 二女の幸子を佐久間良子さん、三女の雪子を吉永小百合さん。。。そして四女の妙子を古手川祐子さんが演じているのだけれど、どの姉妹もきれいで、本当に惚れ惚れとするようでした。

。。。で、どの姉妹の生き方にデンマンさんは共感しました?
それは、何と言っても四女の妙子ですよ。 堅苦しい封建的な家の制度だとか世間体を気にする事に反抗するような。。。自分の生き方は自分で決めるという姿勢に僕は共感しましたよ。
でも、そういう生き方は戦前では蓮っ葉な不良娘だと思われていたのでしょう?
そうですよ。 でも、おそらく現在の若い人たちは僕と同じように妙子の生き方に共感すると思うのですよう。 小百合さんはどうですか?
そうですわねぇ~。 でも、現在の日本でも妙子のような生き方を押し通すと生き難いですわ。
わかりますよ。。。解ります。。。吉永小百合さんが演じている三女・雪子の生き方が日本的なのですよ。 自分の考え方をしっかりと持っているけれど、波が立つからそれを表面に出さないで、なんとなく世間と折り合いを見つけながら、できるだけ目立たないように生きてゆく。 そういう女の生き方が日本では世間的に認めれれていたのですよ。 僕のお袋などは、そういう生き方をしてきたのです。 結果的には雪子は何度も何度も見合いを経て、最終的には外国で長いこと暮らしてきた東谷子爵と縁談が決まるのですよ。
そうですわね。 四女の妙子さんがいろいろと問題を起こしたので雪子さんは、正直に東谷子爵に妹のことを話すのですよね。
そうなのです。 「私は妙子さんと結婚するのではありませんから、どうでもよい事ですよ」。。。 東谷子爵は、そう言うのです。 三女の雪子さんの幸せな結婚生活を暗示するようなエピソードですよ。
私は4人の姉妹の内では誰に似ているとデンマンさんは思いますか?
小百合さんは、三女の雪子と四女の妙子の性格を併(あわ)せ持っていますよ。
あら、どう言う訳で。。。?
小百合さんは次のように書いてましたからね。。。
ロマンとバンクーバー

Subj:長い電話お疲れ様でした
Date: 01/10/2007 1:52:14 AM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間: 2007年10月1日 午後5時52分
From: fuji@adagio.ocn.ne.jp
To: barclay1720@aol.com

長い電話お疲れ様でした。
良くわかりました。
経理をしなくてはいけない。
それも13年分。
誰にたのもうか?
レシートもなくてと迷って朝方まで寝られない夜が毎晩だった時、デンマンさんと話して、ここまで経理が進んだことをホットしてます。
いくら 請求がきても カナダに納めるのならいいやと思いはじめました。
バーナビーで夏休みを過ごすことは 毎年私の支えの時間でした。
あの古い家は、夏休みで休むというより
ペンキ、芝のクローバむしり、
りんごの木の手入れ、
玄関まで高く長い階段のペンキはがしや、
しばらくみがかないガラス、
シミだらけのじゅうたん、
BASEMENTはランドリーのホコリとくもの巣、
行けば、掃除ばかりの家に大変でしたが
また戻りたいと思っていました。

実父の病気に、もう自分勝手にしていては駄目だ。
と今年決意しました。
こんな私でも欲しい物があります。
別荘です。
場所は長野です。
買ったら元家主の藤田桃子さん夫婦も招きたいです。
よかったらデンマンさんも。
日本だったら、親をおいていくことなく、ゆけます。
でも、29才からバーナビーで夏休みを過ごすことができた事は私の人生にとって良かったと思います。
ではまた。。。

小百合より
■『ロマンと悪妻』(2008年7月31日)より

懐かしいですわ。 こんな事を書いていたのですわね。

そうですよ。。。見方によったら小百合さんは悪妻と思われかねない。
そうでしょうね。 夫と離れて自分だけで夏休みをカナダで過ごすのですからね。
しかも、小百合さんは自分が夫に求められているような女じゃないとまで自覚している。

デンマンさんは、私がレンゲさんのような
ロマンチックな女だと期待しているようですが、
私は、そのような女っぽい女ではないのですゥ。
主人は私のことを「中性脂肪」だと言います。
つまり、女っぽくない脂肪の塊だと。。。
『夢とロマンの軽井沢 (2008年7月19日)』より

でも、小百合さんはウジウジとグチをこぼしながら自分の殻に閉じこもるわけではない。。。そういうところは四女の妙子のように行動的なのですよ。 自分の考えている事に従って行動を起こす。

(13年間)バーナビーで夏休みを過ごすことは
毎年私の支えの時間でした。
あの古い家は、夏休みで休むというより
ペンキ、芝のクローバむしり、
りんごの木の手入れ、
玄関まで高く長い階段のペンキはがしや、
しばらくみがかないガラス、
シミだらけのじゅうたん、
BASEMENTはランドリーのホコリとくもの巣、
行けば、掃除ばかりの家に大変でしたが
また戻りたいと思っていました。

「中性脂肪」だと言われた妻が、そうなのだろうか? いいえ、決して中性脂肪だけの女じゃないわ!。。。内心では、そう思いながら行動を起こしたわけですよ。 違いますか?

そうですわね。。。確かに、中性脂肪だけの女じゃないと思っている自分も居ましたわ。
それで、夏の期間、夫と離れてバーナビーの“山の家”で過ごしながら、家事をやり、子育てをして自分にだって“女らしいことができる事”を行動して自分で確かめている。 その事を、小百合さんは“(心の)支えの時間”だったと言っているのですよ。 そうでしょう?
そんな風にデンマンさんに言われると、そのような気もしてきますわ。 でも、どうして私に三女の雪子さんのような性格があると思ったのですか?
小百合さんは次のように決断したからですよう。

実父の病気に、もう自分勝手にしていては駄目だ。
と今年決意しました。

それで、これからはバーナビーの別荘をたたんで日本をベースに生活してゆこうと決めたわけですよ。 ちょうど三女の雪子さんが東谷子爵との結婚を決意したように。。。

デンマンさんは、そのように解釈しているのですか?
そうですよ。。。でもねぇ、小百合さん。。。ロマンを忘れては駄目ですよ。。。これからも、まだまだ小百合さんの長い人生は続いてゆくのだから。。。生きがいとは何か?。。。常に考え続けなければならないということでしょうね。
そうかしら。。。?
【卑弥子の独り言】

ですってぇ~
小百合さんは表面的に見れば、その辺に居る普通のおばさんと、ちっとも変わらないのでござ~♪~ますわ。
たぶん、街で見かけても、誰もデンマンさんが書いている「小百合さん」だとは気づかないでしょう。
それほど、小百合さんという人物は目立たない、あまりにも普通の女性です。
でも、こうして小百合さんの内面と、小百合さんが今まで起こしてきた行動を見てゆくと、『細雪』にでてくる四女の妙子もビックリするほどに波乱の人生を歩んできたのです。
だから、これからの小百合さんの人生も決して尻すぼみにならないと、あたくしには信じているのでござ~♪~ますわ。
とにかく、次回も、面白い話題が続きそうでござ~ますう。
どうか、また読みに戻ってきてくださいましね。
では。。。


ィ~ハァ~♪~!
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こんなエピソードがありました。
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オレンジの輸入がストップしたのです。
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それで、英国の学童たちは生垣に生えている
ローズヒップの採集を命じられました。
ローズヒップティーにして飲んで
ビタミンCを補給したのですって。。。

(rosehip.jpg)
なんだか信じられないようなお話ですよね。
ところで、英語の面白い話を集めました。
時間があったら覗いてみてください。
■ 『あなたのための愉快で面白い英語』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。


タグ :桜のメルヘン
2012年01月13日
愛車を売りたい
愛車を売りたいの?

おほほほほ。。。。
卑弥子でご
ざ~♪~ますわよゥ~
あなたに
お会いしたくて
また出てきて
しまったのよォ~。
ええっ?あたくしと、
そう度々
会いたくないのォ~?
んも~~
そんな、冷たいことを
言わないで頂戴よゥ!
あたくしは、あなたに
お会いしたいので
ござ~♪~ますのよォ~
ええっ?そんなことよりも
愛車を売る話を早くしろ!
そう、おっしゃるのですかぁ~?
あたくしよりも愛車の方がいいのですかぁ~?
冷たいお方ぁ~~
分かりましたわァ。
そのために出て参りましたのですから
うふふふふ。。。。
説明しますわよう。
あなた、愛車を売ろうと思ったことがありますか?
ええっ?愛車と言うくらいだから、売る気が無いの?
例えば、今すぐあなたの愛車を売って、それに50万円くらい足して
ワンランク上の車に乗りたいと思わない?
つまり、もっと可愛い愛車を手に入れるのよ。
ええっ?
ワンランク上の車ってどういうものかってぇ~。。。?
だから、例えば次のような車よォ~

どうよ。。。こういうのって。。。? カウンタックよ!
ええっ? こういうメチャ豪華な車なんて
50万足しても手に入れることが出来ないの?
あなたの愛車って、査定しても、そんなに安いの?
でもね。。。ダメよ!あきらめちゃあああ。
あなたの愛車、意外に高く査定されるかもよ。。。
じゃあね。こういうのはど~おゥ?

アルファ ロメオとジュリエットよ!
どうなのよ?
この程度の車なら、50万足せば買えるでしょう?
ええっ?
まだ高くて手が出ないのォ~~?
ダメよゥ~!高い、高いってばっかり言ってないで、
一生懸命働いてお金をためなさいよゥ~。
あなた、まさか、最近日本ではやっているニートじゃないでしょうね?
ええっ? どうなのよォ~~
いいわよ、いいわよ。あまり激しい突っ込みはしないわよ。うへへへへ。。。。
じゃあ、こういうのはどうなのよォ~?

ギャラントよ。
ええっ?高い車ばっかじゃないかあああ~
あなたは、そうほざくのォ~?
分かりましたよ。。。そいで、あなたは、いったいどういう車に乗ってんのよ?
モジモジしないで話しなさいよ!
ええっ?
恥ずかしがっている場合じゃないでしょう?
あたくしだって忙しいのよゥ~。
男らしく。。。あるいは、女らしく、さっさと話しなさいよゥ~。
ええっ?やっぱ、恥ずかしいのォ~?
ガタガタ言わないで、どういう車に乗ってんだか言ってくださいましよォ~。

ホントに、こんなのに乗ってんのォ~?
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おほほほほ。。。。
また現れて、
くどいようでござ~♪~ますけれど。。。
あたくし、夏は大変だったのよねぇ~
この十二単でしょう。。。
もう、ウザイのなんのってぇ~
ええっ? 脱げばいいじゃないかってぇ~
脱げないのよう。
これって、あたくしのトレードマークで
ござ~♪~ますから。。。おほほほほ。。。
とにかく、汗をたくさんかくので
体力を消耗するのよう。
それで、あたくしもスタミナをつけなければ
と思っているのですわよう。うしししし。。。
食欲は大いにあるのですわよォ~。

あたくしは柿の葉ずしが大好物なのですわ。
ええっ?マツタケご飯じゃなかったのかって。。。?
そうなのよ。良く覚えているわねぇ~。
マツタケご飯も大好物なのよ。
でも、柿の葉ずしも大好物なのよゥ。
あなたも柿の葉ずしを作ってみてね。
ええっ?
良い材料が手に入らないのォ~?
心配する事は無いのでござ~♪~ますのよゥ!
貴方もこうしてネットをやって、
あたくしの記事を読んでいるのですから、
クリックするだけで、
すべての材料が手に入るのですわよ!
産地直送の食材が手に入れたかったら、
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それは、さておき。。。
あたくしが顔を出している次のサイトもよろしくね。
■ 『あなたが笑って幸せになれるサイト』
そうなのよう!
笑ってルンルン気分になれるのよう。
ぜひ見てね。
ダメよ!そうやって生返事ばかりして、
この場をうまく誤魔化そうなんてぇ~
そういうコスイ考え方は、お止めになった方が
良いのでござ~♪~ますわよゥ~。
見てよね。お願いねぇ。
面白い記事がたくさん読めるのよ。
うふふふふふ。。。。
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。


タグ :愛車を売りたい
2011年12月18日
仙台の女
仙台の女

現在の仙台駅

昭和40年・50年代初期の仙台駅
仙台・昭和の風景
(昭和50年代)

デンマンさん...なんだか、最近仙台のことばかり書いていますわね。

言われてみれば、確かに仙台の事を書いてますね。
意識して書いているのですか?
いや。。。全く意識してなかったのですよ。

■"Memory Lane to Sendai"
(December 8, 2011)
第21回定禅寺ストリート
ジャズフェスティバル 2011
■『仙台ジャズフェスティバル』
(2011年12月7日)

。。。で、今日は上の記事の続きですか?

違うのですよ。 今回も上の2つの記事を全く意識していなかった。
でも、上の2つの記事とは関係があるのでしょう?
仙台だけが共通するだけで全く関係ないのですよ。
だけど、上の2つの記事を書いたので、また仙台の事を書くのでしょう?
上の2つの記事を並べたら、おそらく誰もがそう思うだろうけれど、実は全く関係ない理由で仙台の事を書かねばならなくなったのですよ。
どのような理由なのですか?
あのねぇ、たまたま1週間ほど前に今村昌平監督が作った『赤い殺意』という映画の DVD をバンクーバー図書館から借りたのですよ。 僕はこの映画を20年ほど前にトロントで初めて観た。
『赤い殺意』予告編

僕は迂闊(うかつ)にも、この映画の中に仙台駅や、広瀬橋を渡る市電が出てきたのをすっかり忘れていた。 記憶の中では、どういうわけか福島駅近くで、東北線沿いの田舎を舞台にした映画だという記憶にすり替わっていたのですよ。

。。。で、DVD を観て急に記憶を新たにしたのですか?
そうですよ。 つい2日前に DVD を観たのですよ。 メチャ懐かしくなって、それでまた仙台のことを書く気になったのですよ。
それ程懐かしくなるものですか?
あのねぇ~、古い仙台駅には思い出があるのですよ。

じゅぁきさんのコメントがいつものように僕にインスピレーションを与えてくれました。
ラーメンで思い出しましたが。。。

僕はラーメンが好きなんですよ。
僕の好物は仙台の五右衛門ラーメンです。

これは食べ残しの写真ですけれどね。。。うへへへ。。。
手打ちの太い麺を使ったもので、
味噌味、塩味、しょうゆ味の3種類がありました。
僕の好物は味噌味のモノです。
仙台は僕の第2のふるさとなんですよ。

僕はこの新しい駅ができる前の古い駅を知っています。
高校生の頃、仙台に立ち寄ったのですが、旅費を稼ぐためにこの旧駅舎で一晩夜を明かした事があります。

僕の他にも10数人一晩夜を明かした人たちがいましたよ。
ほとんどの人が“田舎の人たち”という印象を与える表情をしていました。
つまり、苦労が顔のシワに現れているような純朴そうな人の顔ですよ。
ああいう素朴で苦労人の表情が最近の日本人の顔からなくなっていますよね。
もちろん、僕自身も苦労を知らない顔をしていますよ。うへへへへ。。。。
でも、僕は違う苦労をしています。
それは、冒険による苦労です。
贅沢な苦労ですよね。うひひひひ。。。。
でも、死ぬ思いを10本の指では数え切れないほどしています。
今、生きているのが不思議なほどですよ!
高校生の頃の自分には想像もつかないような人生を歩んできてしまいました。
とにかく30カ国近い国を放浪したのですから。。。
この町の仙台商業高校で後年、教育実習をやることになり、数学を教えるとは夢にも思っていませんでした。
。。。仙台駅の事ですが。。。
寒くてベンチでは眠れなかったですよ。
それでも、駅舎を閉めずに待合室に居させてくれただけ良かったです。
北海道の小樽駅で、僕が一晩駅舎で明かそうとしたら、
当時の(あのレンガ造りの)小樽駅ではドアを閉めて、待合室では夜を明かすことができませんでした。
つまり、11時頃の最終列車が出ると追い出されてしまったわけです。

現在の小樽駅の建物は3代目で昭和9年に建てられた。
道内では木造駅舎の札幌、函館に先んじた鉄筋コンクリート造りの近代的駅舎。
東京の上野駅に似ており、同時期に建てられた小樽市庁舎ともそっくり。
僕の記憶の中ではレンガ造りなんですよね。
これとは形も違っている。
僕は他の建物と勘違いしていたのだろうか????
仙台駅では、駅員がお客を追い出すような事はしませんでした。
でも、とにかく寒くてベンチにゴロッと横になっても眠れませんでしたね。
スチームのパイプにわずかなぬくもりが残っていて、
僕は母親の肌のぬくもりを求める幼児のように
身を摺り寄せながら、スチームのパイプに体をこすり付けるようにして震えていたものです。
今から思えば懐かしいですよ。
寒くて空腹な僕が、まず朝一番に食べたのがラーメンだったのですよ。
うまかったですねええええええ~~~。
でも、味なんかどうでも良かったんですよ。
とにかく、腹に入って体がぬくもるもの。。。
それだけ。。。
ぬくもりを求めてラーメンを食べました。
その時食べたのは五右衛門ラーメンではありませんでした。
ごく、当たり前のラーメンでした。

杜の都仙台。
その名の通り緑の多い街が仙台です。
この文字通り“青葉通り”を歩いて1番町まで行きます。
そこで小さな路地裏の店に入ると五右衛門ラ-メンが食べられました。
今でもあるのかどうか?
もしあなたが仙台の人なら、教えてくださいね。
ぜひコメントに書いてください。
当時、250円か350円ほどだったと思います。
30円か50円出すと大盛りにしてくれましたよ。
『平和を愛し仲良く暮らしていた古代日本人』より
(2006年6月26日)

なるほど。。。このような思い出があったのですか。

そうなのですよ。。。映画『赤い殺意』には、古い仙台駅の待合室が出てくるのですよ。 でもねぇ、昼間のごった返した待合室です。 僕が一夜を明かした時には、何と言うか。。。侘(わび)しいものを感じたものですよ。 でも映画の中では、その侘しさが全く感じられない程の雑踏でした。
待合室の中の雰囲気が全く違っていたのですか?
そうなのですよ。 やっぱり、明け方と午後5時頃では全く人の数が違っていますからね。 あの明け方の寒さは今でも忘れることができませんよ! 消え入るような、かすかな暖かさが残るスチームのパイプに、体をこすり付けるようにして震えていたのですよ。
ホテルか旅館に泊まればよかったのに!
貧乏旅行で充分な金が無かった! そんな考えは浮かびませんでしたよ!
。。。で、その侘しさが懐かしくなったのですか?
違いますよ。 それだけだったら、こうして記事を書きませんよ。
他に心がぬくもるようなお話があるのですか?
もちろんですよ。 映画の中で広瀬橋を渡る市電が出てくるのですよ。 春川ますみが演じるヒロインの人妻は、しつこく擦り寄る男(露口茂)と別れようとするのだけれど、どう言う訳か一度広瀬橋で市電から降りる。 けれども、反対方向からやってきた市電に乗って、もう会わないと決めたはずの男に、また会いに行く。 その市電はガラガラで乗客はヒロインの人妻しか居ない。 その光景を僕は学生の頃毎日のように乗った仙南バスに乗りながら見ているような錯覚に陥った。
同じような情景を実際にデンマンさんは見たことがあるのですか?
あるのですよ。


広瀬橋を渡る昭和50年頃の市電

広瀬川

広瀬橋で女が寂しそうにガラガラの市電に乗るのを僕は仙南バスから、ちょうど映画のシーンのように見たことがある。 そのことが急に思い出されてきた。

それが心温まる思い出なのですか?
もちろん違いますよ。 それは、あまりにも寂しくて侘しい情景でしたよ。 だから、僕はそのいやな情景を振り切るようにして思い出したのが次の仙南バスでの出来事でした。

僕も恵子さんも仙南バスで通っていたのですよう。夜型の僕も1年生、2年生の時には、結構、真面目に朝起きてバスで通学していたのです。

それで。。。?
バスには門前町経由と長町経由があったのですよう。今から考えれば門前町経由と言うのは宮城三女の学生のためにあったようなものでしたね。
つまり、宮城三女の女学生がたくさん乗るのでござ~♪~ますか?
確かに、長町経由よりも門前町経由の方が女学生は多かったですよう。
それで、デンマンさんは、わざと門前町経由のバスに乗ってヤ~らしく女学生を眺めながら通学したのでござ~♪~ますか?
うへへへへ。。。それ程意識してはいませんでしたよう。
。。。で、どのようなきっかけで知り合ったのでござ~♪~ますか?
僕と恵子さんは時々、スーパーマーケットの前にある富沢のバス停でかち合う事があった。実は、恵子さんを初めて見たのは、そのスーパーマーケットだった。「ピンキーとキラーズ」で一頃、歌謡界を風靡した「恋の季節」を歌ったピンキーこと、今陽子さんに似ていたのですよ。


僕が高校生の頃に、「恋の季節」は大ヒットした。

その今陽子さんに、恵子さんはマジで似ていたのですか?
そうなのですよう。今陽子さんも背が高い。しかも、体格もいい。買い物をしていた恵子さんはタイツスカートを穿いていたので、女子校生には見えなかった。僕よりも年上の社会人に見えたのですよう。しかも、腰の辺りがムッチリとした感じで、“ああぁ~~、いい尻してるなあぁ~”と、思わず見とれてしまったのですよう。


この写真のシャロンさんのように、ぴっちりとしたタイトスカートに、いかにも形の良い魅力的な尻が僕の目を惹きつけた。

デンマンさんは、女性を見るときに、まずお尻を見るのでござ~♪~ますか?
やだなあああぁ~。。。僕は、女性の尻にこだわっている訳ではないですよう。あのねぇ~、目の前を歩いている女性がタイツスカートを穿いていれば、見たくなくとも自然にタイツスカートにぴっちりと包まれている尻が目に入ってしまうものですよう。
見なければいいでしょう?
そう言う訳にはゆかないのですよう。高校1年生の時にヌードをデッサンした僕にとって、女性の美しさは尻にも宿っていると、現実の世界でも、しみじみと実感したのですよう。
“The first impression is
a lasting impression.”
英語では、このような事をよく言うのだけれど、人に会った最初の印象は、なかなか消えないものですうよう。実は、シャロンさんの素敵な尻を見るよりも恵子さんのムッチリとした尻を見た方が先だった。だから、20年ほど経ってからバンクーバーでシャロンさんの魅力的な尻を目にしたとき、“あぁ~、仙台の恵子さんは、今頃どうしているだろうか?”。。。僕は、突然閃(ひらめ)いたように、そう思ったものですよう。うしししし。。。
前置きは、もうその程度で結構ですわ。。。んで、その後、どうなったのでござ~♪~ますか?
僕は恵子さんが社会人で、もしかすると結婚しているのではないだろうか?そう思ったほどですよう。。。そうしたら、ある朝、バス停でバスを待っていた時に、恵子さんがセーラー服を着て現れたのですよう。


この写真が、その時デンマンさんが受けた恵子さんの印象ですか?

そうですよう。僕は、もう、度肝を抜かれて、ビックリしましたよう。
どうせ上の写真はデンマンさんがコラージュして、でっち上げたのでしょうけれど、ちょっと高校3年生の女学生にしてはフケすぎていますわよう。
そうでしょう?!だから、その時の僕の驚きを察してください。こんな感じに見えたのですよう。結婚してるかもしれないと思ったほど、恵子さんが大人っぽく見えたのに、実は高校3年生だったのですよう。
。。。で、デンマンさんは、ずうずうしく声をかけたのですか?
まさかぁ~。。。僕は20代の頃は女性に対して、とっても消極的だったのですよう。まだ一度も言葉を交わした事もない女性に声をかけるなんて、僕にはとてもできない仕業(しわざ)でしたよう。
そのような事をマジで信じるわけにはゆきませんわ。。。んで、デンマンさんは恵子さんと、いつ言葉を交わしたのでござ~♪~ますか?
バスは混んでいました。とても座れない。たまたま彼女と隣り合わせになって僕は緊張していたのでしょうね。
たまたまではないでしょう?!デンマンさんのことだから、他の人を押しのけてまでも、恵子さんの隣に行ったのでしょう?
たぶん。。。無意識のうちにそうしたのでしょうね。うしししし。。。
。。。んで、どうしたのですか?
やはり緊張していたのですよう。僕は教科書2、3冊とノートを数冊ほど小脇に抱えていたのですよう。バスの揺れは時には激しい事がありますからね。急な揺れに僕は、教科書とノートをバラバラと落としてしまったのですよう。普通だったら女子高生は、そういう時に知らん振りしていると思うのですよう。ところが恵子さんは違ったのですよう。
宮城三女 校訓
自立 聡明 敬愛
やっぱり宮城三女で3年近く勉強したから、校訓が身についていたのかもしれませんよう。恵子さんは“敬愛の心”を忘れなかったのですよう。
校訓なんてぇ~。。。そんなものは。。。、そんなものは、最近の女子高生は屁とも思わないのでござ~♪~ますわよう。んも~~。。。
だから、20年前の女子高生は違っていたのですよう。
そのように一般化しないでくださいませ。。。たぶん、他の皆様に無視されたので、恵子さんはデンマンさんが哀れに。。。可哀想になったのかもしれませんわ。
とにかく、恵子さんは僕と一緒に拾ってくれたのですよう。
“どうもありがとう”。。。僕は、そう言うのが精一杯でしたよう。とにかく、僕よりも背が高いのですよう。どう見ても170センチ以上あるのですよう。しかも、香水をつけているわけではないのだろうけれど、仄(ほの)かに甘い香りが僕の鼻腔をくすぐって、僕はもう、心臓がドキドキしてきたものですよう。
。。。んで、それだけですか?
違うのですよう。僕はもう気が動転してしまっているのに、恵子さんは涼しい表情を浮かべて、パッチリとした眼を僕に向けて言ったものですよう。
“教育学部ですか?”
ん。。。? 教育学部。。。? なんでぇ。。。?
僕が不思議そうな表情を浮かべているのが彼女にもすぐに分かったのでしょうね。
“教育原論というタイトルが見えましたわ”
宮城三女 校訓にも書いてあるように、恵子さんは聡明なのですよう。
誰だって教科書のタイトルを見ればその程度の推測はできるものですわよう。
僕は数年後に仙台商業高校で教育実習することになるのだけれど、「教育原論」がきっかけになって、僕は恵子さんと話すようになったのですよう。
。。。んで、デンマンさんは工学部なのになぜ教育原論などを選択したのですか?
高校の先生になれる免許が取れるというので、それならば取っておこうと思ったのですよう。人生の間口を広げるためですよう。教員免許を持っていれば喰いっぱぐれが無いと思ったのですよう。授業料は変わらないのだから免許を取れるものなら取っておいた方が得でしょう。ウへへへへ。。。
。。。んで、今日のタイトルは映画ですから、恵子さんをデイトに誘ってポルノでも見に行ったのでござ~♪~ますか?
あのねぇ~。。。、いくらなんでも、初めっから日活ロマンポルノは無いでしょう!
冗談ですわよう。。。んで、何を見に行ったのでござ~♪~ますか?
『ベンハー』ですよう。



あたくしも DVD で観ましたわ。感激いたしました。デンマンさんは、この映画を恵子さんに見せて女心を射止めようとなさったのでござ~♪~ますか?

そこまで計算していた訳ではありませんよう。とにかく有名な映画ですからねぇ。これならば、恵子さんと一緒に見ても問題ないと思ったのですよう。
それで、恵子さんの反応は。。。?
でもねぇ、問題が生じたのですよう。
どのような。。。?
前の晩に僕に電話がかかってきたのですよう。
行けないと。。。?デイトのキャンセルでござ~♪~ますか?
違うのですよう。「クラスメートを一人連れて行きたいのだけれどいいでしょうか?」。。。そう、言うのですよう。
つまり、映画を見終わった後でデンマンさんがヤ~らしい事をするかもしれないと思ってボディーガードですわね?ォほほほほ。。。
違いますよう。んも~~。。。そんなんじゃないのですよう。一緒に映画を見たいと言うのはクラスメートでも、親友だと言うのですよう。映画を見に行く日に、その親友からも一番町のブティックに行こうと誘われ、断わる理由に僕とのデートのことを正直に話したと言うのですよう。そうしたら、一緒に見に行きたいと言ったらしいのです。
。。。んで、デンマンさんは承知したのでござ~♪~ますか?
仕方が無いでしょう。。。正直言うと、僕はイヤだと言いたかったのですよう。せっかく、恵子さんとの初めてのデートですよう。僕だって期待にワクワクしているのですよう。映画を見終わった後で、いろいろと予定がありましたからね。。。
ラブホに行くとか。。。?うしししし。。。
卑弥子さん!悪い冗談を言わないでくださいね。相手は花も恥らう高校3年生ですよう。
最近の高校3年生は、ラブホなど平気でござ~♪~ますわ。中学生の頃からラブホに行くミーハーも居るほどでござ~♪~ますから。。。
あのねぇ~。。。20年前は、高校3年生は純情だったのですよう。宮城三女の校訓を見てくださいよう。
宮城三女 校訓
自立 聡明 敬愛
そうゆう校訓は、最近のミーハーにとって、キモい以外の何モノでもないのでござ~♪~ますわ。屁のツッパリにもならないと考えているのでござ~♪~ますわ。ォほほほほ。。。
あのねぇ~。。。卑弥子さんは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している准教授ですよう。女子大学でも宮城三女の校訓を教え込んでくださいよう。これからの日本を背負う子供たちの母親になる人たちですよう。屁のツッパリにもならないと、ラブホに行って遊んでいたら、日本の将来がありませんよう。
分かりましたわ。デンマンさんが日本の将来について、それ程までに心配なさるのであれば、あたくしもせめて屁のツッパリになる程度に女子大生に教えようと思いますわ。うしししし。。。んで、当日、恵子さんの親友は現れたのでござ~♪~ますか?
僕はねぇ、恵子さんの親友が風邪でもひいて寝込むか。。。朝、腐りかけた卵でも食べて、下痢がひどすぎて出てこれないか。。。彼女が乗ったバスが途中で事故を起こして間に合わないとか。。。そういう事を願っていたのですよう。
でも、そうゆう時に限って、すべての事がうまく運んでデンマンさんと恵子さんは二人きりになれないものなのでござ~♪~ますわよねぇ~。
そうなのですよう。彼女がやって来た時には、僕はうんざりしましたよう。
つまり、恵子さんと二人だけの大切なデートが、もう一人の女学生によって台無しになったのでござ~♪~ますわねぇ。
ところが、そうではなかったのですよう。
どう言う事ですか?
やって来た彼女を見て僕はちょっと信じられないような驚きで心臓がドキドキしてきたのですよう。
どうしてでござ~♪~ますか?
僕のアイドルのアグネス・ラムちゃんに良~く似ていたからですよう。


デンマンさんはボインな女の子が好みなのでござ~♪~ますわね?


そんな事はありませんよう。小百合さんは均整の取れた魅力的な肢体を持っているけれど、決してボインではありませんよう。

。。。んで、ラムちゃんのどういうところがイイのでござ~♪~ますか?
健康的なセクシーさがあふれている。何よりもかわゆいでしょう。
。。。んで、恵子さんの親友という女性もラムちゃんのように健康的なセクシーさがあふれていて、かわゆいのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。奈緒子さんと言うのだけれど、僕よりは背が低い。でも、かわゆい感じでムッチリしている。
「頭の一女・顔の二女・身体の三女」
誰が言い始めたのか知らないけれど、宮城三女の女生徒は、確かに「身体の三女」で見事なプロポーションを持った女性が多いのでしょうね。恵子さんといい、奈緒子さんといい。。。、“両手に花”とは、この事ではないだろうかと。。。僕は幸運を女神に感謝しましたよう。うしししし。。。
デンマンさんがちょっと魅力的な女性を見て、馬鹿の一つ覚えのように“女神だ。。。女神だ。。。”とおっしゃるのは、この頃から始まったのでござ~♪~ますわね。
『杜の都の映画』より
(2009年3月8日)

確かに、このような健康そうな二人の女子高生とデイトしたら、デンマンさんはルンルン気分でスキップしたくなってしまうでしょうね。 それで、デンマンさんは、二人の女性に挟まれながら『ベンハー』をルンルン気分で鑑賞したのですか?

ところが。。。、ところが、そのようにはならなかったのですよう。
どうしてですか?
すでにその事は記事に書いたから主要な部分だけをここに書き出します。 読んでみて下さい。

あのねぇ~、僕は心ひそかに恵子さんと奈緒子さんの間に座って見られたらいいなあああぁ~♪~。。。そう願っていたのですよう。

つまり、両手に花でござ~♪~ますわね?
うしししし。。。卑弥子さんにも分かりますかぁ~?
。。。んで、その通りになったのでござ~♪~ますか?
ところが、そうはならなかったのですよう。
多分、恵子さんは分かったのでござ~♪~ますわア。
何が分かったのですか?


デンマンさんのアイドルがラムちゃんですもの。恵子さんにはデンマンさんが急激に奈緒子さんに接近しようとするのが見えたのですわ。

あのねぇ~。。。僕が10代の終わりから20代の前半にかけては、卑弥子さんも驚くほど女性に対して消極的だったのですよう。
そのような事は全く信じられませんわ。
やだなあああぁ~。。。卑弥子さんだって理解しているでしょう!僕は箱根の強羅(ごうら)温泉に泊まった時だって卑弥子さんと同じ部屋に寝ながら指一本触れなかったのですからねぇ~。
■『箱根の強羅(ごうら)温泉で
卑弥子さんが
青春の炎を燃え上がらせようとした話』
【ルート66のフライと小百合さん】
(2007年11月28日)
嗚呼!。。。また、あの。。。、あのォ~、切な~♪~い夜のことを思い出させるのでござ~♪~ますか?
卑弥子さんが、僕の言う事を全く信じようとしないからですよう!
あたくしは、あの夜、不幸のどん底に投げ込まれたのでござ~♪~ますわ。
分かりました。もうそれ以上、感情的に。。。劇的に。。。過激にならないようにしてくださいね。そろそろ、この記事を締めくくらねばならないのだから。。。
分かりましたわ。それで、何が起こったのでござ~♪~ますか?
『ベンハー』は本当にハラハラ、ドキドキするような素晴しい映画だったのですよう。
ええ、ええ。。。あたくしも DVDで観ましたから良~♪~く分かっておりますわ。それで何が起こったのでござ~♪~ますか?
実は、僕にも恵子さんにも言わなかったのだけれど、奈緒子さんは1週間前に『ベンハー』を観たのですよう。
それで。。。?
僕と恵子さんがハラハラ、ドキドキしながら観ているのに、いい所になると奈緒子さんがベラベラと筋を話してしまうのですよう。
例えば。。。?

その折も折、新総督が事故にあいそうになる事件が起きたことで、ベン・ハーはメッサーラに総督暗殺未遂の濡れ衣をきせられる。
この事故と言うのはベンハーの邸宅の前で起こるのですよう。新総督の行列がベンハーの家の前を通るのだけれど、その行列を屋上に上がってユダ ベンハーとお母さんと妹の3人で見物するのです。ところが妹の不注意で手摺(てすり)の瓦を落としてしまう。
それで。。。?
新総督は馬に乗っていたのだけれど、その馬の目の前に落ちる。馬は驚いて棒立ちになって新総督を振り落としてしまう。その衝撃で新総督は意識不明の重態になる。そう言う事を奈緒子さんは、ベラベラしゃべってしまうのですよう。
ねえ、ねえ、ねえ。。。あのテスリの瓦がおちるのよう。。。
ああああ。。。落ちたわァ。。。んで、新総督は意識不明になって。。。
それがもとで、ベンハーも、お母さんも妹も牢屋に入れられてしまうのよう。可哀想にィ~
デンマンさんが“黙れ!”と言えばいいじゃありませんか!
言えませんよう。
どうしてでござ~♪~ますか?


奈緒子さんは、僕のアイドルのラムちゃんにそっくりなんですよう。

つまり、デンマンさんは奈緒子さんに嫌われないように黙っていたのですか?
僕だけじゃないですよう。前列に座っていた20代の会社員風の男が、ムカついて振り向いたのですよう。かなり頭に来たように奈緒子さんを睨(にら)んだ。この男なら何か言いそうだなと僕も思った。だから、僕の代わりに言ってくれ、と僕も祈るような気持ちで期待したのですよう。うへへへへ。。。
。。。んで、ムカついたその男は奈緒子さんに“黙れ!”と怒鳴(どな)ったのでござ~♪~ますか?
ところが、ビックリして口をポケーと開けて、しばらく見とれてしまった。
マジで。。。?
僕も半分可笑しくなったり呆れたり。。。でも、その男の気持ちが手に取るように分かりましたよう。
それで、その男は何も言わなかったのでござ~♪~ますか?
何も言えませんよう!んも~~。。。“一目惚れ”ってのがあるでしょう?。。。その男も奈緒子さんがラムちゃんにそっくりなのに驚いたのですよう。。。つうかァ~、とんでもない美人を生まれて初めて目にしたように、コロッと表情が変わるほどに奈緒子さんに惹かれてしまったのですよう。
それで。。。?
暗闇に目が慣れているとは言え、映画館の中だから、はっきりと見えるわけじゃない。5分ぐらいしたら、本物のラムちゃんかどうか?どうしても気になるらしくて、また振り向いているのですよう。
それで。。。?
奈緒子さんも映画の筋をベラベラしゃべりっぱなしだから、多少気になっていたんでしょうね。
奈緒子さんも、その男の人に文句を言われると思ったのでござ~♪~ますか?
そうですよう。それで、半分照れるような。。。半分謝(あやま)るような。。。泣き笑いのような、崩れた笑いを浮かべたのですよう。
。。。んで?
かわゆい女の子が笑ったものだから、崩れた笑いにしろ、泣き笑いにしろ、“一目惚れ”した男の目には、心に染み込むような素晴しい笑顔に映ったらしいのですよう。その男は、少しオツムが足りないところがあったようですよう。奈緒子さんに好意をもたれたと勘違いしてニッコリ笑い返しているんですよう。
それで。。。?
馬鹿な男が居るものだと思って、僕は呆れましたよう。
。。。んで、それからも奈緒子さんは、いい所に差し掛かると筋をべれべらしゃべってしまったのでござ~♪~ますか?
そうですよう。でも、そのうち誰もがシーンと静まるような場面に差し掛かった。
どの場面でござ~♪~ますか?
次のシーンですよう。
涙なくしては見られないシーン

やがてエルサレムでの戦車競走で不敗のメッサーラに挑むことになるベン・ハー。
激闘の末、ライバルのメッサーラを倒したベン・ハーは、瀕死のメッサーラから思いもかけない言葉を聞くことになる……。
【ネタバレ注意!】
瀕死のメッサーラは、最後の力を振り絞ってベンハーに言うのだった。
オマエの母親と妹は死んだんじゃない。
犬が喰うようなエサを食べて長いこと地下牢で生きていた。
オマエが帰ってくるまでずうっとだ。

オマエが司令官の養子になって帰ってきたので
俺はビックリして部下にオマエの母親と妹がまだ生きているかどうか調べさせた。
どうなったと思う?
ライ病にかかっていたよう!
とても見られないほど顔が崩れていたと、部下が言ってたでぇ~。
まるでお化けだとよう。。。(苦痛の中の嘲笑)
オマエは俺に勝ったつもりだろうが、そうじゃない。
オマエは、これから俺以上に苦しむのさ。
俺はこれでおしまいだ。
でも、オマエの苦しみはこれから始まるのだ。
よく聞け!
オマエの母親と妹は町外れのライ病者の番外地で生きている。
廃人になって。。。お化けになって。。。
うふふふふ。。。
ベンハー!よく聞け!
これから苦しめ!
俺以上に苦しめ!
死ぬ前に、これだけオマエに言っておきたかった。
あばよ。
地獄で会おうぜ。。。
メッサーラから死ぬ前に会いたいと言う伝言を聞いたとき、
彼から謝罪の言葉を期待していたベンハーにとって、
彼の衝撃の言葉はベンハーを打ちのめした。
彼は苦悩した結果、ライ病に冒される危険を犯して
ライ病者の番外地へ行くことに決心した。
一目でもいいから母親と妹に会いたかった。
ある日、ベンハーはおぞましいライ病者の間を
母親と妹を探してさまよっていた。
その時、パンと果物を入れたカゴを持ってやって来るエスター(Esther)に偶然出くわすのだった。
もちろん、彼の母親と妹を世話するためだった。
エスターは死の病にかかる事を承知で、もう長いこと彼の母親と妹の面倒を見ていたのだった。
ベンハーは、母親と妹の元へ連れて行ってくれと頼む。
エスターはそれだけはできないと断わる。

“「もう死んだものと諦めてもらっていた方がいいのよ。このように変わり果てた姿を息子に見せる事は、さらに悲しみを与える事になるだけだわ」
お母様はそのように語って、あなたに会う事をかたくなに拒んだのよう。”
分かった。姿は見ないから、せめて声だけでも聞きたい。
そう言ってベンハーはさらにエスターに頼み込んだ。
「では、声だけね」
そういう条件でエスターは、しぶしぶ母親と妹の暮らす洞窟に連れて行くのだった。

「いつも悪いわねぇ。それで、息子は元気にしているの?。。。そう、良かったわ。一目でもいいから会いたいわ。でも、こんな姿になっては、とても会う勇気が湧かないわ。あの子がさらに苦しむのが見えるから。。。」
映画の中のベンハーは、この母親の言葉を聞いて、それ以上聞く事に耐えられず涙ながらに洞窟から抜け出すのですよう。そうしたら、奈緒子さんが感極まって泣き出すのですよう。んも~~。。。もちろん、ワンワン泣くわけじゃないけれど、前列のあの男が振り向くほどに声を出して泣くのですよう。
デンマンさんは。。。?
もちろん、僕だってビデオを一人だけで見ていれば声を出してまでは泣かないけれど、涙をあふれさせて観ていたでしょうね。僕は、その時グッと涙をこらえていましたよう。確かに感動的で、もらい泣きするような場面だったのですよう。
それで。。。?
あの男も涙ぐみながら奈緒子さんの様子を振り返ったままで、じっと見ているのですよう。
デンマンさんは。。。?
その二人の様子を見ていたら、呆れたというか可笑しいというか。。。映画を見た感動が半減しましたよう。。。とにかく、奈緒子さんには半分呆れたり、半分感心させられたり。。。
どうして。。。?
どうしてってぇ。。。さんざしゃべり続けて、静かになったと思ったら、今度は泣き出すのですよう。しかも馬鹿な会社員の男が振り向いて、涙を浮かべながら、まるで奈緒子さんを慰めるように見つめているのですよう。僕はもう、半分呆れて、馬鹿馬鹿しくなってきましたよう。
それで、奈緒子さんのどういう所に感心したのでござ~♪~ますか?
同じ映画を2度目に観て、あれだけ感極まって泣けるのだから大したものだと思ってねぇ~。。。人の痛みに共感するというか。。。感受性が豊かな女の子だと思ったのですよう。
それで、恵子さんは。。。?
恵子さんも僕も半分白けていましたよう。馬鹿な会社員が涙を浮かべて、ずうっと奈緒子さんを見つめている姿は、白けないで見ていられませんよう。
恵子さんもマジで白けていたのでござ~♪~ますか?
涙を浮かべて奈緒子さんを振り返ったまま見つめている馬鹿な会社員を見ながら、恵子さんは笑いをこらえていましたよう。
それで。。。?
だからねぇ、その時以来、僕は映画を見るのは一人で観ることに決めたのですよう。
『杜の都のデート』より
(2009年3月10日)

つまり、『赤い殺意』の DVD をバンクーバー図書館で借りてきて観たので仙台を思い出し、そのことからデンマンさんが仙台で学生の頃、恵子さんと奈緒子さんと一緒に観た『ベンハー』を観たことを思い出した。 それで、こうしてまた仙台の記事を書きたくなったのですか?

いや。。。もちろん、それだけではありませんよ。
まだ他にもお話しなければならないことがあるのですか?
当然ですよ。 うへへへへへ。。。
マジで。。。?
もちろんですよ。
もったいぶらないで、余計な事も言わずに細木数子さんのようにズバリ!とおっしゃってくださいな。
実は、つい最近、奈緒子さんから突然、次のようなメールをもらったのですよ。


デンマンさん。。。、これってぇ、絶対にできすぎですわよ。

できすぎってぇ~。。。? つまり。。。、つまり、僕が自作自演しているということですか?
だってぇ~、20年以上も音信不通だった人がブログの記事を読んだぐらいで実名でもないデンマンさんにメールを書くなんて考えられませんわ。 自作自演でないとしても、いたずらメールかもしれませんわ。
もちろん、いたずらメールだということも充分に考えたのですよ。 だから、僕なりに調べてみたのです。
調べた結果、奈緒子さん本人であることが確められたのですか?
まず、間違いなく奈緒子さん本人なのですよ。
その根拠は。。。?
次の統計を見てくださいよ。


これは12月7日から12月16日までの10日間、僕のブログにアクセスした人を調べたものですよ。 2番目を見てください。

aobadori.miyagi と書いてありますけれど、これは宮城県仙台市の「青葉通り」の事ですか?
もちろんですよ。 この記事の中で引用した文章の中にも「青葉通り」の写真が出てくるのですよ。


この写真が、その「青葉通り」ですか?

そうです。
。。。で、上のリストのトップは、バンクーバー図書館からアクセスしているシルヴィーさんですか?
小百合さんはよく判りましたね!
だってぇ、先日デンマンさんが書いた次の記事を読みましたわ。

■『山形とバンクーバー』
(2011年12月8日)

小百合さんも読んでくれたのですか。。。上の記事の中では 11月26日から12月5日までの記録を掲載したのですよ。


このようにトップは変わらないけれど、2番目だった山形市の由美さんはリストから姿を消して、その代わり仙台市の奈緒子さんが3番に浮上したのですよ。

わずかの間に、ずいぶんと変わるものなのですね。
シルヴィーさんだけは相変わらず、こまめに僕のブログを読んでいるけれど。。。うししししし。。。
それで、奈緒子さんだと言う確証は。。。?
県別のアクセス数を見てください。


宮城県からのアクセスが意外に多いでしょう?

でも、その記録は奈緒子さん以外の人がアクセスしているから多いのでしょう?
だったら、リピーターの記録を見てください。


10回から29回僕のブログにアクセスしている人が15人居るということですよ。 つまり、いたずらのメールだったら、これほど僕のブログにアクセスしませんよ。

でも、上の記録は11月18日から12月16日までの記録でしょう? 奈緒子さんがデンマンさんのブログを読み始めたのは 12月7日からですわ。
小百合さんはきわどい所を突いてきますね。 確かに、奈緒子さんが僕のブログを読んだのは 12月7日に書いた『仙台ジャズフェスティバル』が最初でした。
だったら、上の記録は証拠とは言えませんわ。
いや。。。必ずしも、そうとは言えませんよ。 12月7日から16日の間に10回アクセスすることは可能ですからね。 でも、メールの次の文章を裏付けるような記録がありますよ。
『仙台ジャズフェスティバル』を読みました。
。。。
上の記事を読んでからデンマンさんのブログを
拾い読みしながら
「もしかして私の知っているデンマンさんかしら?」
そう思いながら見つけた記事が
『杜の都の映画』と『杜の都のデート』でした。
どのような記録ですか?
じっくりと見てください。


これは24時間以内の再来場者を調べたものだけれど、奈緒子さんも24時間以内にかなりの記事に目を通したのですよ。

でも、奈緒子さん以外にも、そうした人が居るということでしょう?
もちろんです。 だから、初めに示した次のリストがすべてを物語っているのですよ。


何を物語っているのですか?

だから、仙台市からアクセスしている奈緒子さんが僕のブログを拾い読みしながら『杜の都の映画』と『杜の都のデート』を見つけたということが上の記録からも充分に見て取れる。 僕のブログにアクセスした回数が3番目に多いのですからね。 要するに、奈緒子さんが書いたメールは、いたずらではなく、ちゃんと記録が奈緒子さんの言葉を裏付けていると僕は理解したのですよ。
【卑弥子の独り言】

ですってぇ~
なんだか推理小説の種明かしのようにして記事が終わるになりましたけれど。。。、
あなたは納得できましたか?
ところで、秋の紅葉も、もうすっかり終わりになってしまいましたけれど、あなたは紅葉(もみじ)狩りに行かれましたか?
ええっ。。。? 忙しくってぇ、それどころじゃなかったの?
じゃあねぇ、来年の秋のために良い所をご紹介しますわ。
榛名湖ですわよ。
榛名湖紅葉
榛名湖へ行ったら榛名山の中腹にある伊香保温泉に寄らないで帰ったら損をしますわよ。
あたくしも伊香保温泉は好きでござ~♪~ます。
ええっ。。。どうしてかってぇお聞きですか?
だってぇ、伊香保温泉は竹久夢二ですわよ。
竹久夢二の記念館もござ~♪~ますわ。
秋の伊香保温泉
そして帰りにはデンマンさんのように黒豚トンカツを食べるのもようござ~♪~ますわ。
あたくしもいただきました。
黒豚トンカツ
次回も、面白い話題が続きそうでござ~♪~ますう。
あなたも、どうか、また読みに戻ってきてくださいましね。
では。。。


ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
ためになる関連記事

■ 『きれいになったと感じさせる
下着・ランジェリーを見つけませんか?』
■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』
■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』
■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■『夢とロマンの横浜散歩』
■『愛とロマンの小包』
■『下つきだねって言われて…』

■『銀幕の愛』
■『パリの空の下で』
■『愛の進化論』
■『畳の上の水練(2011年3月15日)』
■『軍隊のない国(2011年3月21日)』
■『アナクロニズム(2011年3月27日)』
■ 『愛と詩のレンゲ物語』

こんにちは。ジューンです。
わたしは上の記事の中の予告編を観てから
何の気なしに他の YouTube も観てみました。
そうしたら次のクリップに出くわしました。
蒸気機関車が出てくるシーンです。
『赤い殺意』 (1964)
蒸気機関車のシーン
デンマンさんが大学生の頃には蒸気機関車が走っていたのでしょうか?
わたしがその事を尋ねたら、
「僕が大学生の頃には蒸気機関車は、もう東北線を走っていませんでしたよ」
ですってぇ~。。。
わたしは SL ファンなので面白いお話が聞けるかと思ったのですけれど、あてがはずれましたわ。
ところで、デンマンさんが小百合さんのことで
次のような記事を書いています。
時間があったら覗いてみてください。
■『白鳥はどこに?(2011年10月8日)』
■『思い出の軽井沢(2011年10月7日)』
■『日本は汚染される(2011年10月4日)』
■『おばんざい(2011年10月4日)』
■『バーナビーと小百合さん(2011年10月3日)』
■『杜の都で食べる PART 1(2011年10月2日)』
■『杜の都で食べる PART 2(2011年10月2日)』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。


タグ :仙台の女
2011年12月08日
山形とバンクーバー
山形とバンクーバー

山形城・霞城公園の花見

ケイトー、。。。山形ってどこにあるのよ?

もちろん日本ですよ。
だから、日本のどこなの? 私は日本へ行ったことがないのよ。
次の地図の中に書いたから見てください。


これってぇ、アクセス解析の結果を基にして描いた地図でしょう?

シルヴィーにも分かるの?
この程度のことならばすぐに判るわよ。 それにしても山形県からのアクセスがめっぽう少ないじゃないの?
シルヴィーもそう感じるでしょう!? でもねぇ~、山形から僕のブログにアクセスしているリピーターが居るのですよ。
どうしてそのようなことが判るの?
次の解析結果を見てください。


ただの棒グラフじゃないの! これで何が判るのよ?

これは11月26日から12月5日までの10日間のアクセス数を調べたものですよ。 赤枠で囲んだ2番目のバーに注目してください。 このホスト名から次のような事が判るのですよ。
ホスト名:
softbank126127126***.bbtec.net

IPアドレス: 126.127.126.***
IPアドレス割当国: 日本 ( jp )
市外局番: 該当なし
接続回線: 光
都道府県: 山形県

つまり、この IPアドレスからアクセスした人が上の写真に写っているきれいなお嬢さんの中に居るとケイトーは言うの?

シルヴィーにも判りますか? うししししし。。。
思わせぶりに、わざわざ写真を貼り付けてるじゃない!。。。で、3人のうちの誰なの?
真ん中の小柄で可愛い山形由美(仮名)さんですよ。
マジで。。。?
。。。で、上のグラフの中の 1番目のアクセスがトップの人は誰よ?
やだなあああァ~。。。とぼけないでくださいよ! 。。。これがシルヴィーですよう。
私がアクセストップなのォ~?
そうですよ。 IPアドレスから次のような事が判る。
IPアドレス:
207.102.255.230
ホスト名: 対応するホスト名がありません。
IPアドレス割当国: カナダ ( ca )


プロバイダー:
TELUS Communications Inc.
NetRange:
207.102.0.0 - 207.102.255.255
Address: 10 - 3777 Kingsway
City: Burnaby
Prov: BC
PostalCode: V5H-3Z7
Country: CA
Phone: +1-877-310-8324
e-mail: IPadmin@telus.com
AbuseName: Abuse at TELUS
AbusePhone: +1-877-945-8220
e-mail: abuse@telus.com

あらっ。。。私がバンクーバー市立図書館からアクセスしているのlが判ってしまうのォ~? マジで。。。?

そうですよ。
日本ばかりじゃなく、世界からアクセスしているネット市民まで判ってしまうの?
そうですよう。。。ネットの世界はグローバルな国境のない世界ですからね。


あらっ。。。いろいろな国の名前が書いてあるじゃない? でも。。。、でも。。。、リストの中にカナダがないじゃないの!?

あのねぇ~、このリストは11月1日から12月5日までの35日間にアクセスしたネット市民が、いったいどこの国からアクセスしたかを調べたものなのですよ。 でもねぇ、このアクセス解析のプログラムでは、対応するホスト名が判らない場合にはそれ以上詳しく調べない。 シルヴィーが使った IPアドレスから、調べる気になれば カナダからアクセスしていることが簡単に判る。 でも、残念ながら上のアクセス解析のプログラムでは、そこまで調べない。 だから アメリカもリストに載ってない。
カナダとアメリカはどこに含まれているの?
2番目の (IP address only) に含まれているのですよ。 それに、3番目と4番目にも含まれている。
でも、山形由美さんがケイトーのブログを見たと、どうして判るの?
あのねぇ~、由美さんは可愛いきれいな女の子だけれど、見かけによらずに郷土史を研究しているのですよ。


この上の写真は山形城・霞城公園で撮ったものですよ。
山形城
山形城は山形県山形市霞城町にあった城である。
別名で霞城(かじょう)、霞ヶ城(かすみがじょう)と呼ばれる。
また、吉字城とも呼ばれた。
国の史跡に指定されている。
おおよそ基礎は、最上義光の時代につくられ、鳥居忠政の時代に現在の形に整えられたものである。
江戸時代には山形藩の政庁が置かれた。
現在は、そのほとんどが失われ、二の丸跡が霞城公園として残されている。
建造物では、大手南門が、市内の万松寺山門として移築され現存する。
また、市内八日町宝光院の本堂は、御殿の建物を移築したものといわれている。
山形市は、平成21年度(2009年)までに本丸一文字門の枡形および高麗門、本丸土塀を復元する計画である。
しかしながら、本丸一文字門は写真資料、設計資料ともに残っていない。
本丸北不明門の設計資料は山形市内に現存している。
明治時代、城が売りに出されると、山形市が購入し、陸軍の駐屯地を誘致した。
歩兵三十二連隊の兵営敷地となり、城内の櫓や御殿は破却され、本丸は埋め立てられた。
三の丸の堀も埋め立てられ耕作地として利用された。
日露戦争凱旋を記念して歩兵三十二連隊の帰還将兵が、明治39年に周囲にソメイヨシノを植林。
以降桜の名所となった。
第2次大戦後、二の丸の内側を霞城公園、二の丸の外側は市街地化が進み、三の丸の濠も埋め立てられた。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(10番)に選定される。
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あらっ。。。桜の名所なのね!?

シルヴィーも日本へ行く機会があったらぜひ訪れてね。
でも、どうして由美さんがケイトーのブログを訪ねるようになったの?
あのねぇ~、さっきも言ったように由美さんは見かけによらず郷土史を研究しているのですよ。 それで山形市にある立石寺についても調べていた。
山寺立石寺
立石寺 (りっしゃくじ)

立石寺は、山形県山形市にある天台宗の寺院。
山号は宝珠山。
本尊は薬師如来。
寺号は詳しくは宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)と称する。
山寺(やまでら)の通称で知られ、
古来より悪縁切り寺として信仰を集める。
寺名は古くは「りうしゃくじ」と称した。
蔵王国定公園に指定されている。
歴史
立石寺の創建について、寺伝では貞観2年(860年)に清和天皇の勅命で円仁(慈覚大師)が開山したとされている。
当寺の創建が平安時代初期(9世紀)にさかのぼることと、円仁との関係が深い寺院であることは確かであるが、創建の正確な時期や事情については諸説あり、草創の時期は貞観2年よりもさらにさかのぼるものと推定される。
鎌倉時代には幕府の保護と統制を受け、関東御祈祷所となり寺は栄えたが後に兵火により焼失し、13世紀中頃には幕府の政策により禅宗に改宗となったが、延文元年(正平11年・1356年)斯波兼頼が羽州探題として山形に入部した後、兼頼により再建され天台宗に戻った。
立石寺は山形城主であった最上家(斯波兼頼を祖とする)と関係が深く、同家の庇護を受けていた。
最上義守の母・春還芳公尼(しゅんげんほうこうに)は荒廃した堂宇の再興に努め、その孫(最上義守の子)にあたる最上義光(よしあき)も立石寺を援助した。
義光の時代の分限帳によれば、立石寺には寺領1,300石が与えられている。
元禄2年(1689年)に松尾芭蕉が旅の途中で訪れ、その時のことが『おくのほそ道』に書かれている。
また、当地で名句「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」を詠んでおり、参道に句碑がある。
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あらっ。。。なんだか中国にあるようなお寺だわね。

シルヴィーもそう思う?。。。もともと仏教は中国を経由して渡ってきたものだから。。。中国の寺とも似ているのですよ。
。。。で、由美さんが立石寺を調べていて検索結果の中からケイトーの書いた記事を読んだと言うの?
その通りですよ。
いったい、どの記事を読んだの?
次の記事ですよ。

Subj:小百合さん、おはよう!
明日か、あさって、
また会いたいですね。
デンマンより愛を込めて…
きゃはははは。。。

From: denman@infoseek.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: 2011年10月24日
(月曜日)午前11時53分
小百合さん元気ですか?
10月22日の土曜日には叔母が北鴻巣からやって来ました。
翌日23日の日曜日に来るものだと思い込んでしまっていた僕は朝ごはんをゆっくりと食べてから8時半に実家を出ました。
それで自転車をこいで「自遊空間」へ行ったのです。
午後4時に実家に戻ったら
お袋は応接室で昼寝をしており、誰かがキッチンでカタカタと料理しているのでした。
誰かな?と思ったら叔母がポテトサラダを作り、天ぷらを揚げ、サツマイモの煮込みを作り、割子ソバを茹でていました。
叔母は何もせずにお客さんで居ればよいのですが、お袋が自由に動けないので代わりに夕食の用意をしていたのでした。
僕のお袋が長女で叔母は10人兄弟姉妹の一番下です。
僕よりも6歳年上なだけなのです。
僕にとって親戚中で誰よりも話が分かる叔母です。
僕のお袋がやきもちを焼くほど叔母と僕は仲が良いのですよ。
僕がまだ大学生の頃、
叔母と二人だけで日光へ旅したのだけれど、
その旅は日帰りだったのです。
ところが、お袋の記憶の中で僕と叔母は日光で一泊したと思い込んでいるのですよね。
それほど僕と叔母の間が親密だと思い込んでいるのですよ。
今回もお袋がその話しをするのですよ!んもお~~!
もちろん近親相姦などあるはずもないのですが。。。(苦笑 & 爆笑)
お袋が心のどこかで、そう思い込むほどに僕と叔母の関係が親密なのですよ。
そのような訳で夕食が済んだ後で、しばらく皆で和気藹々(わきあいあい)とオシャベリしたのでした。
そのあと僕と叔母だけで大長寺のすぐそばの「馬車道」へ行ったのでした。

叔母はポテトグラタン。

僕はヴォンゴレ・ロッソを食べました。
ヴォンゴレ

ヴォンゴレ (vongole) は、アサリなどの二枚貝を使ったイタリア料理(本来はナポリ料理)のパスタ料理である。
イタリア語の vongole は、本来はアサリ類・ハマグリ類などのマルスダレガイ科の二枚貝を指すヴォンゴラ (vongola) の複数形で、料理のことはイタリアでは spaghetti alle vongole(ヴォンゴレスパゲッティ)などとよぶ。
種類
代表的なものにナポリ名物のイタリア料理「スパゲッティ・アッレ・ヴォンゴレ」(spaghetti alle vongole)がある。
本場イタリアでは地中海産のガリアハマグリ (Chamelea gallina) やヨーロッパアサリ (Venerupis decussata) などが使用されるが、近年では日本から移入されたアサリも多く利用され、日本でもアサリを用いるのが一般的であるが、どれもマルスダレガイ科の二枚貝である。
トマトソースを使ったヴォンゴレ・ロッソ(ロッソ=赤)と、使わないヴォンゴレ・ビアンコ(ビアンコ=白)にわけられるが、トマトを潰していない中間的な物も良く見られる。
ペスト・ジェノヴェーゼなどのバジリコを使った「ヴォンゴレ・ヴェルデ」(ヴェルデ=緑)やイカスミを使った「ヴォンゴレ・ネロ」(ネロ=黒)を供する店も出てきている。
使用するパスタは、スパゲッティやスパゲッティーニ、ヴェルミチェッリ、リングイネ等のロングパスタである。
出典: ヴォンゴレ
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
午後6時半から9時半まで話が弾(はず)んでシャベリまくりました。
実家に戻ったら、またお袋が「一晩中でも話を続けているだろうね」とヤキモチを焼くのでした。(爆笑)
日曜日は、のんびりとテレビを見て過ごしました。
NHK総合テレビで午後1時50分から「私が選んだあの番組」をやっていましたよ。
ゲストは森村誠一さんで
1989年に放映された画家の池田満寿夫が解説する「みちのく紀行」を再放送しました。
もちろん僕は1989年の放送を見ていない。
芭蕉がたどった奥の細道を池田満寿夫が画家の目線でたどってゆくという番組でした。
なかなか見ごたえがありました。


山寺や
岩にしみいる
セミの声
山形県の「立石寺」が出てきて懐かしい風景を映し出していたけれど、やはり日本の風景の中でも日本をしみじみと感じさせてくれる風景でした。

森村誠一さんは「写真俳句」というのをやっている。
写真と俳句を合わせて表現するのは邪道だという人も居るらしい。
「表現方法は無限だから写真と俳句を組み合わせても良いではないか!」
森村さんはそう言っていたけれど、もっともだと思いながら聞きましたよ。
番組の最後の方で東日本大震災で被災した人の印象に残る俳句を森村さんは挙げていました。

抱きしめて
君の瞳に
夏の雲
大震災に遭い、死んでしまったのではないかと諦めていた。
しかし、お互いに生存していたと知って再会し、抱き合った時に詠んだ人の句なのですよ。
う~~ん。。。いいですよね。
僕も上の句をしみじみと味わいながら1年ぶりで小百合さんと再会して、Hよりも感じるハグをした時を思い出しながら詠んでみました。

抱きしめる
きみのぬくもり
秋の空

どうですか、さゆりさん。。。?
いいでしょう!?
明日か、あさって、また会いたいですね。
楽しみにしています。
じゃあね。

『抱きしめて』より
(2011年10月24日)

キザな記事を書いたのね。

いけませんか?
キザすぎて、なかにはダサいと思う人もあるわよ。
10人10色ですからね。。。世界のネットでも表現の自由・言論の自由が許されているのですよ。 だから、戦争を始めるよりも、たとえキザと言われようが、ウザイと言われようが。。。こおうしてブログを書いて表現の自由を謳歌することは平和な世界に貢献することなのですよ。
御託(ごたく)はいいから、その証拠でもあるの?
あのねぇ~、このページにアクセスした記録を調べると由美さんの IPアドレスが載っていた。
だから、それをここに貼り出しなさいよ。
由美さんが上の記事を読んだのは10月下旬だった。 つまり、アクセス記録は 35日以上経ってしまったので、もう保存されてない。 でも、次の記録の中に残っている。


これは11月18日から12月5日までの記録だけれど、由美さんは 10~19回アクセスしている7人のリピーターのうちの一人です。

“リピート回数(1時間以内を除く)”と書いてあるけれど、これはどういうことなのよ?
だから、1時間以内のリピート回数は次のリストの中で表示されているのですよ。


あらっ。。。こんな事まで調べられるの?

そうです。。。面白いでしょう?。。。1分間に、また思い直して別の記事を読みにやって来る人が延べ 132人も居るのですよ。
マジで。。。?
だから、次のように信じられないような事も起こるのですよ。


あらっ。。。12月4日に 434人の人が述べ 10、664ページを読んだのォ~? いったい、どのページを読んだのよ?



■"Taliesin Banzai"
(December 2, 2011)

Denman Blog では上の記事を12月2日に投稿したのだけれど、 GOOのブログには 12月3日に 文字制限の関係で 3部に分けて投稿したのですよ。

これは英語で書いてある記事でしょう?
うん。。。でもねぇ、記事の中に出てくる YouTube のビデオクリップにショッキングな映像がある。 それが中学校の生徒の間で 口コミで広がったのですよ。 “ねえ、ねえ、ねえ、。。。ちょっと、この YouTubeを見てよ。。。” そう言う訳で、結果として 上の記事が 述べ 10、664ページ読まれたのですよ。 うへへへへへ。。。
つまり、ケイトーは自慢したかったのね?
いや。。。自慢したいわけじゃない。。。たまには、こういう記事を読むのもいいでしょう? うへへへへへ。。。
【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
このお話ってぇ、マジかしら?
でも、いろいろな事がアクセス解析で判るものなのでござ~♪~ますわね。
なんだか、ネットってすごいところですわ。
あなたも、そう思うでしょう?
ところで、シルヴィーさんのことをもっと知りたかったら次の記事を読んでくださいね。

■『シルヴィー物語(2011年4月27日)』
■『波乱の半生(2011年4月29日)』
■『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』
■『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』
■『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』
■『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』
■『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』
■『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』
■『国際的愚か者(2011年7月11日)』
■『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』
■『あなたも国際市民(2011年7月18日)』
■『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』
■『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』
■『思い出のパリ(2011年7月30日)』
■『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』
■『地球の平和(2011年8月9日)』
■『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』
■『死の写真狩り(2011年8月17日)』
■『キモい写真狩り(2011年8月21日)』
■『生パンツと床上手(2011年8月25日)』
■『ヌードと写真狩り(2011年8月29日)』
■『あなたの平和と幸福(2011年9月2日)』
■『あなたの平和な日々(2011年9月7日)』
■『奈良の鹿と憲法9条(2011年9月11日)』
■『文は人なり(2011年9月15日)』
■『キモい戦争(2011年9月19日)』
■『バカの歴史(2011年9月23日)』
■『ムカつく検査(2011年11月1日)』
■『アッシジからの平和(2011年11月5日)』
■『中国からの怪電話(2011年11月9日)』
■『気になる英単語(2011年11月18日)』
■『戦争を知らないの?(2011年11月23日)』
■『熟女ヌードとデンマン(2011年11月29日)』
とにかく次回も面白くなりそうですわ。
あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。


ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
ためになる関連記事

■ 『きれいになったと感じさせる
下着・ランジェリーを見つけませんか?』
■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』
■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』
■ 『今すぐに役立つホットな情報』
■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』

■『夢とロマンの横浜散歩』
■『愛とロマンの小包』
■『下つきだねって言われて…』
■『銀幕の愛』

■『パリの空の下で』
■『夢の中華パン』
■『愛の進化論』
■『漫画家と平和(2011年3月6日)』

■『漫画家の壁(2011年3月10日)』
■『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』
■『畳の上の水練(2011年3月15日)』

■『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』
■『軍隊のない国(2011年3月21日)』
■『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』

こんにちは。ジューンです。
ブッシュ前大統領は歴代の大統領の中でも
特に YouTube で取り上げられているようです。
でも、決して優秀な政治家として話題にされているようではありません。
ええっ。。。どうしてかてぇ~。。。?
だってぇ、ネットをサーフィンしていると
ブッシュ前大統領をコケにしているビデオクリップが
あまりにも多いのですわよ。
ケネディー大統領をコケにしているクリップは
まずゲットできませんわ。
ええっ。。。ブッシュ前大統領の可笑しなビデオクリップを
あなたも見たいの?
じゃあねぇ、ここに2つだけ貼り付けるから、
じっくりと見てね。
George Bush Idiot
George Bush is funny!
Video BLOOPERS!

ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような
恋物語がありますわ。
関心があったらぜひ次のリンクをクリックして
じっくりと読んでみてくださいね。
■『平助さんが卑弥子さんに
恋をしたのがウンのつき』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。


タグ :山形とバンクーバー
2011年11月07日
舶来夫人
舶来夫人



昭和25年ごろの手書きのマップを見つけコピーして 今大切に見てます。
大きくして額に入れようかな~
本当に 雲場池のところに
ニュー グランドホテル
と書いてあった。
1度見てみたい 竈岩(かまどいわ)
白人はジャイアントチェアー と呼んでいたらしい。
南のプリンススキー場の裏側なので 見たこと無いです
ごめん ごめん 私の事ばかり
投稿日時: 2008/09/22 07:16 (ロンドン時間)
日本時間: 9月22日 午後3時16分
バンクーバー時間: 9月21日 午後11時16分
『帰省スレッド』より
ロンドンの“ビーバーランド e-XOOPS”
『室生犀星と卑弥子さんと悪徳ブログ』より
(2008年10月1日)

ニューグランド ロッジはどうして“幻のホテル”なのでござ~♪~ますか?

日本人で、このロッジに泊まった人が少ないからですよう。だから、良く知られていない。それで記録にもあまり残っていないのですよう。
。。。んで、小百合さんがこのロッジに惹かれるのは、なぜなのでござ~♪~ますか?
その事で僕は小百合さんとメールの交換をしたのです。ちょっと読んでみてください。
[522] Re:
軽井沢のことになると
小百合さんは
目の色を変えるのですね?
\(^δ^)/ キャハハハ。。。
Name: sayuri E-MAIL
Date: 2009/01/08 13:49
(バンクーバー時間: 1月7日 午後8時49分)

日本のお土産屋さんが白人用に
英語だけでプリントしてますね。
まさか カナダやアメリカの人が自分の祖国に送っていたとか?
それとも 日本人が記念に持っていた?
後で 図書館で色々調べるつもりが 遊んでばっかり…
軽井沢のニュー グランドホテルは
まだまだ分からないことだらけ…
デンマンさんだから パソコンで調べたと思うけど…
お昼はそうめん(正確にはひやむぎ)を食べました。
冷たくて冬でも食べたくなります。
胃が悪い時に お酒は飲めません。
しばらく休み。
『RE:目の色を変えるね?』より
(2009年1月8日)
『ビーバーランド e-XOOPS』 の
“ロマンポルノ天国”に
ニューグランド ロッジのことで2つスレッドを立てましたよう!
ポルノとは関係ないけれど、
ロマンとめちゃ関係あるので、
あえて“ロマンポルノ天国”にスレッドを立てました。
かなり時間をかけて調べましたよう。
面白い写真も探して貼り付けました。
小百合さんが見たら、もう卑弥子さんのように熱狂すること、間違いありません!


キャ~♪~ すてきィ~♪~



1) ニューグランド
ロッジの歴史と解説
2) ニューグランド
ロッジの大きなオリジナルのポストカード
この2つのスレッドを読めば、小百合さんもかなり知識を詰め込む事ができます。
実際に、どの場所にあったかもはっきりと分かりました。
土地見取り図もゲットしました。

雲場池の南側のコケが生えている平地だとばっかり思っていたら、なんと、池の北側ですよう。
デンマン注: 実は、上の地図は上方が北ではなく西です。
ニューグランドロッジは雲場池の西側にあったのです。
万平ホテルのように大きな建物の中に部屋が集まっているのではなくて、42のバンガローが散らばっていたのです。

ポストカードに写っている手前の建物はバンガローで、その後ろのオレンジ色の屋根の建物はダンスパーティーや宴会などをやるためのホールだったようです。
上の見取り図の“ニューグランド ロッジ”と書いてある場所です。

これが、そのダイニング・ホールの内部です。
日本のお土産屋さんが白人用に 英語だけでプリントしてますね。
まさか カナダやアメリカの人が自分の祖国に送っていたとか?
それとも 日本人が記念に持っていた?
ニューグランド ロッジは日本人も泊まることができたけれど、外国人向けのようだったらしい。
だから、日本語のポストカードは用意しなかったようです。
後で 図書館で色々調べるつもりが 遊んでばっかり…
軽井沢のニュー グランドホテルは まだまだ分からないことだらけ…
1月11日の『小百合物語』でニューグランドロッジを取り上げる予定です。
小百合さんも楽しみにしていてね。
2つのスレッドを見てみれば分かるけれど、例によって僕は結構調べました。
興味深い事をたくさん書いたから、ぜひ覗いてみてね。
2つのスレッドには18禁の写真は一つもありません。
安心して見る事ができます。
Date: 2009/01/08 17:34
バンクーバー時間:
2009年1月8日 (木曜日) 午前0時34分)
『幻の雅叙園(2009年1月17日)』より

小百合さん、懐かしいでしょう?

そうですわね。。。で、舶来夫人って誰のことですか?
小百合さんのことですよ。
私が舶来夫人なのですか? なんだか外国からやってきた夫人のようじゃありませんか。 つまり、私が舶来物にかぶれているとデンマンさんは言いたいのですわね?
いや。。。小百合さんが舶来物にかぶれていると僕は思っているわけではありませんよ。 世の中には、やたらにブランド品を買い集めて自分がミーちゃん、ハーちゃんよりも格調高い女だと思い込もうとする愚かな風潮があるけれど、僕が言う「舶来夫人」はそういう浅はかな女ではないのですよ。
どういう女ですの?
だから、小百合さんのような人ですよ。
でも、それでは説明になりませんわ。
だったら、誰でも良く判るように小百合さんの次のメールを紹介しますよ。

Subj:あの足袋御殿はでた?
From: sayuri@hotmail.com
To: denman@coolmail
Date: 2011年10月16日 16:22:25
こんにちは。。。
久しぶりに実家に帰って
のんびりと癒されていますか?

デンマンさんとご一緒にいただいた「田舎っぺきのこ汁うどん」はメチャ美味しかったですよ。
手打ちなのですね。
“こし”があって、なかなか噛み応えのある手打ちウドンでした。
いつか子供を連れて、また食べてみようと思います。

「行田のグルメ20」に選ばれただけのことはありますね。

「きんぴら」は栃木の「きんぴら」とは違って、とても大きく切ってあるのでビックリしました。
埼玉県では、あのように大きな「きんぴら」を食べるのですか?
水城公園ではゆっくりとお話ができて気分がすっきりとしました。
今まで気づきませんでしたけれど、
「ホテイアオイ」の花がたくさん咲いていたのには驚きました。


「ホテイアオイ」の花
ところで次の記事を読みました。

■『タリアセン夫人と再会』
(2011年10月13日)
デンマンさんは私のメールをそのまま記事の中で使ってしまうのですね。
それってぇ、かなりムカつくのですよ。
名前や地名がすぐにでるんだから。。。
んもお~~。
。。。と書いても、またこのメールも記事の中で使うのでしょうね。
半ば諦めていますが、ほどほどにしてください。
私の堪忍袋がブチ切れないうちに止めてくださいね。(苦笑)


水城公園から見た「足袋御殿」は昭和の古い時代を垣間(かいま)見せているようでした。
「足袋御殿」のオリジナルの建物の写真はネット上で公開されていますか?
また水城公園でのんびりとお会いしたいですよ。
そのうち電話します。
では。。。
小百合より


Subj:小百合さん、おはよう!
ゆったりとした気分で
コーヒーを飲みながら
「足袋御殿」の応接室に居る
気分に浸ってね。
きゃはははは。。。


From: denman@infoseek.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: 2011年10月18日
(火曜日)午前10時39分
アイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズを調べてみましたか?
日本ではあまり人気がないようで
このコーヒー豆を売っている店は極めてまれです。

10日ほど前にYAHOO!で検索した時にゲットした Irish Cream Coffee Beans の画像は10月16日に画像検索した時には見つけることができませんでした。
今日調べてみたら次の画像が見つかりました。

■『ハワイ島のコナ地区から生まれた
世界の名品コナコーヒー』より
バンクーバーで売っているアイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズと比べると約2倍の値段ですよ!
それにしても小百合さんがアイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズにハマっているのはちょっと不思議な気がします。
やっぱりカナダの思い出と強く結びついているのだろうね。
僕にとってはとりわけ印象に残るコーヒーではないけれど、
小百合さんが選んだコーヒー豆ということだけが記憶に残っていますよ。
しいて言えば、甘いコーヒー豆の香りが強烈で、
この香りを嗅ぐと小百合さんを思い出すようにになりました。
きゃはははは。。。
僕にとってアイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズは小百合コーヒー・ビーンズになりましたよ。
「足袋御殿」をじっくりと調べてみました。
今では御殿は懐石料亭になっています。


足袋御殿で食べる国産黒毛和牛懐石
昭和の初め、足袋の産地として栄えた行田。
その行田に”足袋御殿”と呼ばれた邸宅があります。
彩々亭はその足袋御殿を懐石料亭として生かしたもの。
洋館と日本家屋からなる和洋折衷造りは、何か懐かしさの漂う落ちついた雰囲気です。

昭和天皇がご覧になられた庭園を眺めながら、国産黒毛和牛の、そして、季節の懐石料理をお楽しみください。
きっと普段の喧騒さを忘れて料理を堪能し、往時のゆっくりした時の流れもお楽しみいただけます。
『彩々亭ご紹介』より
「足袋御殿」の建物と歴史も調べてみましたよ。

水城公園と南大通りの間にある懐石料亭「彩々亭」。
南大通りの入り口正面から。

上の写真は、水城公園の散策路からの様子です。
元々は、足袋製造業者であった新井八郎氏が大正14年に現在地(佐間)に工場を建設するとともに、昭和元年頃に写真のようにモダンな緑色の洋風瓦が特徴的なスクラッチタイル貼りの外壁を持つ2階建ての事務所兼住宅を建設し、その後西側に3階建ての離れ等を増築したと言われています。
往時には政財界で活躍した八郎氏の迎賓館的な役割を果たし、昭和天皇をはじめとする多くの名士が訪れており、「足袋御殿」と称されていました。
歴史あるこの建物は、平成19年に国の「登録有形文化財」に登録されています。
『行田市内の見所』より
調べた限りでは、あの建物は建てられたまま改築されたということが書いてない。
おそらく僕の記憶違いだとしか思えない。
しかし,僕の記憶の中にある建物は、もっと荘厳な石造りの建物で、印象的には国会議事堂のような厳(いかめ)しい感じを与えたものでした。
小学生の目にはそのように見えた。
現在建っているようなちゃちな物とは大違いでした。
それにしても小百合さんがどうして「足袋御殿」にこだわるのか?
小百合さんとの思い出を手繰(たぐ)り寄せながら考えてみて判りましたよ。

あの軽井沢タリアセンの中に建っている「睡鳩荘」に小百合さんはこだわりを見せたけれど、ちょうど同じような気持ちで「足袋御殿」に強く惹かれるのだろうね。
心の中に軽井沢タリアセン夫人としての上流志向があるのかもね?
きゃはははは。。。
では、今日もアイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズをドリップして、ゆったりとした気分でコーヒーを飲みながら「足袋御殿」の応接室に居る気分に浸ってね。

明日も、また会えるといいね。
今度は「さきたま古墳公園」で“ゼリーフライ”でも食べましょう。
じゃあね。

『足袋御殿(2011年10月18日)』より

このメールのやり取りを読めば僕が言おうとしていることが小百合さんにも判ると思うのですよ。

つまり、私が「足袋御殿」にこだわるのは軽井沢タリアセンにある「睡鳩荘」にこだわるのと同じだとデンマンさんは考えているのですね?
その通りですよ。。。いわゆる「昭和の上流社会」を覗いてみたいという気持ちが小百合さんにはあるのではありませんか?
そうかしら。。。?
だから小百合さんは無意識のうちに「軽井沢タリアセン」に惹かれるのですよ。 つまり、「舶来夫人」というのはブランド品を持って自分に箔(ハク)を付けようとするのではなく、「ニュー グランドホテル」 「足袋御殿」 「睡鳩荘」。。。のような風情のある建物に歴史的ロマンを感じる夫人のことですよ。
【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
あなたはブランド品を買い集めていますか?
買い集めている人はミーハーと比べて50歩百歩だとデンマンさんは、のたまわっているのでござ~♪~ますわ。
あなたは、どう思いますか?
あたくしはブランド品を買ったりいたしませんわ。
なぜかってぇ~。。。?
なぜなら、お金の無駄だと思っていますから。。。
それよりも格調高いレストランへ行って美味しい物を食べた方が利口だと思っているのでござ~♪~ますわ。
うふふふふふ。。。
とにかく、興味深い話題が続きますゥ。
どうか、あなたもまた読みに戻って来てくださいまし。
じゃあ、またねぇ。。。


ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
ためになる関連記事

■ 『きれいになったと感じさせる
下着・ランジェリーを見つけませんか?』
■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』
■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』

■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』
■ 『今すぐに役立つホットな情報』
■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』
■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に
別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』
■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■『夢とロマンの横浜散歩』
■『愛とロマンの小包』
■『下つきだねって言われて…』
■『銀幕の愛』

■『パリの空の下で』
■『愛の進化論』
■『畳の上の水練(2011年3月15日)』

■『軍隊のない国(2011年3月21日)』
■『アナクロニズム(2011年3月27日)』

こんにちは。ジューンです。
“旅の恥はかきすて”
日本では、よくこのような諺を耳にしますよね。
あなただって聞いた事があるでしょう?
もちろん外国でも
似たような諺がたくさんありますわ。
ところで、英語では何と言うのでしょうか?
考えてみた事がありますか?
A man away from home
need feel no shame.
文字通りに訳せば、
「家を遠く離れた者は恥を知る必要がない」
と言う意味です。
You can throw away all
inhibitions while on a trip.
「旅に出たら普段恥ずかしくって
できない事をやっていいのよ」
と言う意味です。
You can cut loose while traveling.
砕けて言えば上のように言うこともできます。
また、次のような言い方もあります。
Leave your sense of shame at home.
「(旅に出る時には)恥ずかしいなんて思う気持ちは
家においてくればいいの」
しかし、あまり人に迷惑をかけない方がよいですよね。
ところで、英語の面白いお話を集めました。
時間があったら覗いてみてくださいね。
■ 『あなたのための愉快で面白い英語』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。


タグ :舶来夫人
2011年10月26日
また会おうね
また会おうね


Subj:小百合さん、おはよう!
七夕の乙姫様と彦星のように
来年も再会しようね。
きゃはははは。。。

From: denman@infoseek.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: 2011年10月26日
(水曜日)午前11時54分
小百合さん、昨日は楽しい思い出をありがとう!
町田うなぎ店は火曜日は定休日で
別の店へ行ったけれど、
うな丼と肝の吸い物はうまかった。


館林のつつじヶ丘公園へ行ってしばらくぶりに寒桜を見ましたね。
10月に咲いているたくさんの桜の木があったのには驚きましたよ。
3年ほど前に訪ねた時には、あれほど多くの桜の花はなかったように思うのだけれど。。。
「あらっ。。。“十月桜”って書いてあるわ」
小百合さんが、そう叫んで指差した先には、確かに「十月桜」と書いた木札が幹に結んであった。
「十月桜」なんてぇ、かつて聞いたこともないけれど。。。
それから茂林寺へ行きました。


東京は26.9度まで気温があがって、静岡では29度まで暑くなったけれど、館林は24度くらいだったでしょうか?
とにかく、桜が咲いても不思議ではない陽気でしたよ。
僕は蚊に刺されなかったけれど、小百合さんはたくさんの蚊に刺されてしまったんだよね。
僕よりも小百合さんのほうが蚊にとって旨いのですよ。
きゃはははは。。。
今回は、つつじヶ丘公園で白鳥を一羽も見かけることができなかったので、ちょっと寂しかった。
そう言う訳で小百合さんが白鳥よりも孔雀が見たいと言って連れて行ってくれた中央公園でポニー、モルモット、うさぎ、ヤギなどを見たけれど、残念ながら孔雀は居なかった。



それにしても小百合さんがあれほど動物好きとは意外でしたよ。
そう言えば、大長寺の東屋でダベッた時にカマキリが飛んできて、それを見た小百合さんが「可愛い」と言いながら背中を指先でなぜなぜしたのも意外でしたよ。
カマキリを嫌う女の子を僕はたくさん見てきたから。。。
それからMister Donutへ行って通りに面した青空の下のテーブルに座ってダベリました。


カフェオレを飲みながら食べたフレンチクルーラーは館林の思い出の味になりましたよ。
きゃはははは。。。
「デンマンさん、大長寺ではHよりも感じるハグができるけれど
館林の駅前ではできませんよね。うふふふふ。。。」
小百合さんがそう言ったのでした。
また再会できるまで1年間の空白があるのですよ。
まるで七夕の乙姫様と彦星のようではありませんか!(微笑)
そうなのですよ。
1年に1回の逢瀬(おうせ)なのです。
小百合さんが言い出すまで僕はハグするのを控えようと思っていたのだけれど、反射的に小百合さんをハグしたのでした。
駅前にはたくさんの人が居ました。
小百合さんは斜(はす)に構えて困ったような表情を浮かべていましたが僕がベアハグすると諦めたように大人しくじっとしていましたよね。

熟女の表情に浮かんだ乙女の恥じらいを見たような気がしました。
きゃはははは。。。
ではまた、七夕の乙姫様と彦星のよう来年も再会しましょうね。
楽しみにしています。
じゃあね。


デンマンさんは、またHよりも感じるハグにこだわるのですわね?

いけませんか?


こうして白熊もHよりも感じるベアハグをしていますよ。

デンマンさんはベアハグにこだわりすぎですわ。
いいではありませんか! 小百合さんは動物が好きなんだから。。。
でも、動物とハグは関係ありませんわ。
ありますよ。。。上の白熊を見てください! 微笑(ほほえ)ましいではありませんか!
でも、館林駅前でデンマンさんがベアハグするのは微笑ましく見えませんわ。
やだなあああァ~。。。そのように決め付けないでくださいよ。 とにかく、僕は小百合さんに再会して感激したのですから。。。
分かりましたわ。 それでデンマンさんは10月に桜の花を見た事にそれほど感動したのですか?
いや。。。感動したと言うよりも懐かしかったのですよ。 2008年に小百合さんと初めてつつじヶ丘公園に行った時に見た桜が思い出されたのですよ。
マジで。。。?
もちろんですよ。。。小百合さんは忘れてしまったようだけれど僕は記事でも書いていましたからね。。。
11月に桜が咲いている!

館林駅に着くと小百合さんが迎えに来てくれて「花山」へ行きました。
「花山」と呼ぶのは地元で育った40代の人たちが、そう呼ぶらしい。
館林市のガイドマップを見ると「県立つつじが丘公園」と書いてある場所です。

五月ごろ来れば、きれいな“つつじ”がたくさん咲いているのでしょう。
当然のことですが、11月なのでつつじは咲いていなかった。
ところが桜が咲いているのですよね。
11月に桜が咲いている!
ビックリしました。
上の写真ほど見事なものではありませんでした。
でも、間違いなく桜の一種です。
小百合さんもビックリしていました。
名前は分かりません。
バンクーバーやバーナビーの植物園のように名札をつけてくれればいいのに!
小百合さんは、そう言っていましたね。
ごもっともです。

旧秋元別邸(最後の館林藩主・秋元家の別邸)の菖蒲園(しょうぶえん)のすぐそばにある橋の近くに
白鳥が3羽居ました。
泳ぎ疲れたのか3羽とも岸辺に上がって草原(くさはら)の上で羽を繕(つくろ)って
これから昼寝するところでした。
小百合さんは近寄るのが怖いと言うのですよう。
40代の女性の怖さを持っている小百合さんにも
こういう童女のような繊細さがあるのですよね。
小百合さんの“かわゆい”ところです。
僕は50センチまで近寄りましたが
その白鳥たちも、人に慣れているようで
全くビクビクしませんでした。
旧秋元別邸の近くに田山花袋が9歳から14歳まで住んでいたという旧居が保存されていました。

田山花袋の『田舎教師』を読んだ事がありますが、僕の記憶では、主人公は羽生の田舎にあるお寺に下宿して僕の母校・熊谷高校(当時の旧制熊谷中学)に毎日、朝4時から5時ごろに起きて4時間歩いて通っていた、というような事を読んだことがあります。
初めて読んだ時、信じがたい事をしていたものだと驚きました。
僕が通ってた頃、校長室の前の廊下にガラス張りのケースがあって、その中に旧熊谷中学校第三回卒業生の写真の中に、
小林秀三(林清三のモデル)の少年時代の姿を見たことがあります。
小百合さんが卒業した館林女子高校は田山花袋の旧居から歩いて5分のところにありました。
女子高時代、校門の近くの食べ物屋さんでラーメンだか、うどんだか、あるいはカップヌードルだったか。。。
それを買って戻って来る時に校門のすぐ前で、それをぶちまけてしまい、後片付けをしなければと思ったけれど、
結局、何もしないでそのままにして教室に戻ってしまった。
そんな事をいつだったか小百合さんが書いていました。
12月にバンクーバーに戻るまでに
小百合さんの面白いエピソードが、もっともっと聞けるような気がするのです。
楽しみにしていま~♪~す。
では、小百合さんに捧げる短歌を。。。
館林季節外れの桜咲きかわゆいきみに胸ときめかせ
|
『愛しい人(2008年11月14日)』より

こうして感動して僕は短歌を詠んでしまったほどですよ。。。うししししし。。。

デンマンさんは必要以上に感動してしまうのですわ。
いけませんか?
私の写真まで出して短歌を表示するなんて、ちょっと気障(キザ)ですわ。 たぶんムカつく人がたくさん出て来ると思いますわ。
あのねぇ~、今年(2011年)、文化勲章をもらうことになる丸谷才一さんがインタビューで言ってましたよ。 「やりたい事ををやってきたまでだ」って。。。
つまり、デンマンさんも「やりたい事をやって」いるのですか?
そうですよ。。。いけませんか?
分かりました。。。で、どうしてまた「十月桜」を取り上げたのですか?
僕は「十月桜」なんてぇ、これまでに一度も聞いたことがないのですよ。 冬桜と寒桜というのは聞いたことがある。
冬桜(ふゆざくら)

群馬県鬼石町「桜山公園」の冬桜
花の色は白色から淡紅色で一重咲き。
咲く時期は11月から12月にかけて、と4月(二度咲き)
春の桜のように一度にパッと咲かず、下の方の枝からチラホラ咲き始めます。
徐々に上の方に咲いていきます。
咲き始めてから1ヶ月ぐらい咲き続け、一輪一輪咲くので、散るときも花吹雪になって散ることはありません。
寒気が強くなると、木に張り付くように花びらがしぼんでいきます。
寒桜(かんざくら)

修善寺寒桜
晩冬から早春に咲く桜。
オオシマザクラとヒカンザクラの自然交配種といわれ、淡紅白色の花を開く。
冬桜とは違い1度だけ咲きます。

たぶん、「十月桜」ってぇ、公園の管理人が勝手に付けた名前だと思ってね。

そんなことはありませんわ。
小百合さんは調べてみたのですか?
ええ。。。ウィキペディアで調べたら次のように出てましたわ。
十月桜

十月桜は、バラ目バラ科サクラ属の植物。
桜の園芸品種。
毎年、年に二度開花する。
エドヒガンの系列でコヒガンの雑種とされている。
花が4月上旬頃と10月頃の年2回開花する。
花は十数枚で、花弁の縁が薄く紅色になる。
また萼筒が紅色でつぼ型である。
春は開花期に新芽も見られる。また、春のほうが花は大きい。
樹高は5m程。
シキザクラ、コブクザクラ等も年に2回開花する。
また、フユザクラは冬に咲くが、別種。
秋口に咲く特徴から紅葉する樹木と共に植えられることもあり、桜と紅葉が楽しめるように設置される事もある。
出典: 十月桜
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

う~ん、なるほど。。。4月上旬頃と10月頃の年2回咲くんだね。。。フユザクラも2度咲くけれど、これとも違うんだね。。。
【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
冬桜と十月桜は、どちらも2度咲くのに、どこが違うのでござ~♪~ましょうか?
あなたは、その違いをご存知ですか?
とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。


ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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下着・ランジェリーを見つけませんか?』
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■『軍隊のない国(2011年3月21日)』
■『アナクロニズム(2011年3月27日)』

こんにちは。ジューンです。
小百合さんは「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれています。
どうして。。。?
あなたは不思議に思うかもしれませんわね。
あのねぇ~、小百合さんは
軽井沢がとっても好きなのですわ。
特に軽井沢タリアセンが気に入っているのです。
軽井沢タリアセン

デンマンさんとご一緒に出かけた時には閉まっていましたわね。

レストラン 湖水

小百合さんは、このレストランを知っていたのですか?
私は軽井沢タリアセンには子供をつれて何度か行ったことがありましたから知っていますわ。


睡鳩荘(すいきゅうそう)

小百合さんと一緒に行った時には睡鳩荘(すいきゅうそう)を見て、それからレストラン・ソネットへ行ったのですよね。

レストラン ソネット
(1階がレストランで2階は「深沢虹子・野の花美術館」)



そうでしたわ。 チーズケーキをいただきながらコーヒーを飲んだのでしたわね。

そうでした。 寒い日で、園内には数えるほどの人しか居なかった。 「レストラン湖水」 が閉まっていたのも納得がゆきましたよう。 確か11月の寒い日で、季節外れだったのですよね。
でも、またいつか行く機会があると思いますわ。
じゃあ、来年の秋に、小百合さんと一緒にブイヤベースを食べましょう。


ブイヤベースはないと思いますわ。 うふふふふ。。。

マジで。。。?
デンマンさんは、何かといえばブイヤベースですわね? 他に気のきいた料理の名前を覚えてないのですか?
もちろん、他にも料理の名前ぐらい覚えていますよう。。。でもねぇ、ブイヤベースの響きが、なんとなく格調高くありませんか?
そうでしょうか?
『しんみりした曲ですね』より
(2010年12月27日)

小百合さんは、なぜ軽井沢タリアセンが
気に入っているのでしょうか?
なぜなら、睡鳩荘(すいきゅうそう)に
ロマンを感じているのですわ。
あなたは軽井沢に出かけたことがありますか?
私はデンマンさんとご一緒に
一度だけ訪れたことがあります。

この湖は“Swan Lake”という
英語名がついているのですわ。
昔、宣教師の方が軽井沢に
別荘を持っていたのですって、
その家族の人たちが名づけたらしいのですわ。
10月でしたが、紅葉が見ごろになっていました。
軽井沢・雲場池の紅葉
まだ冬景色には程遠かったのですけれど、
湖にしては小さなその池のほとりに立ったら、
どこからともなく白鳥が飛んできそうな
感じがしましたわ。

そう言えば、バンクーバーの
クイーン・エリザベス・シアターで
デンマンさんとご一緒に
バレー『白鳥の湖』を見たことがありましたわ。
あの時のチャイコフスキーの曲が
聞こえてきたものですわ。
それで、私はいつになく
感傷的になったことを覚えています。
ところで、日本に帰省してから
デンマンさんが小百合さんのことで
次のような記事を書いています。
時間があったら覗いてみてください。
■『白鳥はどこに?(2011年10月8日)』
■『思い出の軽井沢(2011年10月7日)』
■『日本は汚染される(2011年10月4日)』
■『おばんざい(2011年10月4日)』
■『バーナビーと小百合さん(2011年10月3日)』
■『杜の都で食べる PART 1(2011年10月2日)』
■『杜の都で食べる PART 2(2011年10月2日)』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。


タグ :また会おうね
2011年10月18日
足袋御殿
足袋御殿




Subj:あの足袋御殿はでた?
From: sayuri@hotmail.com
To: denman@coolmail
Date: 2011年10月16日 16:22:25
こんにちは。。。
久しぶりに実家に帰って
のんびりと癒されていますか?

デンマンさんとご一緒にいただいた「田舎っぺきのこ汁うどん」はメチャ美味しかったですよ。
手打ちなのですね。
“こし”があって、なかなか噛み応えのある手打ちウドンでした。
いつか子供を連れて、また食べてみようと思います。

「行田のグルメ20」に選ばれただけのことはありますね。

「きんぴら」は栃木の「きんぴら」とは違って、とても大きく切ってあるのでビックリしました。
埼玉県では、あのように大きな「きんぴら」を食べるのですか?
水城公園ではゆっくりとお話ができて気分がすっきりとしました。
今まで気づきませんでしたけれど、
「ホテイアオイ」の花がたくさん咲いていたのには驚きました。


「ホテイアオイ」の花
ところで次の記事を読みました。

■『タリアセン夫人と再会』
(2011年10月13日)
デンマンさんは私のメールをそのまま記事の中で使ってしまうのですね。
それってぇ、かなりムカつくのですよ。
名前や地名がすぐにでるんだから。。。
んもお~~。
。。。と書いても、またこのメールも記事の中で使うのでしょうね。
半ば諦めていますが、ほどほどにしてください。
私の堪忍袋がブチ切れないうちに止めてくださいね。(苦笑)


水城公園から見た「足袋御殿」は昭和の古い時代を垣間(かいま)見せているようでした。
「足袋御殿」のオリジナルの建物の写真はネット上で公開されていますか?
また水城公園でのんびりとお会いしたいですよ。
そのうち電話します。
では。。。
小百合より


Subj:小百合さん、おはよう!
ゆったりとした気分で
コーヒーを飲みながら
「足袋御殿」の応接室に居る
気分に浸ってね。
きゃはははは。。。


From: denman@infoseek.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: 2011年10月18日
(火曜日)午前10時39分
アイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズを調べてみましたか?
日本ではあまり人気がないようで
このコーヒー豆を売っている店は極めてまれです。

10日ほど前にYAHOO!で検索した時にゲットした Irish Cream Coffee Beans の画像は10月16日に画像検索した時には見つけることができませんでした。
今日調べてみたら次の画像が見つかりました。

■『ハワイ島のコナ地区から生まれた
世界の名品コナコーヒー』より
バンクーバーで売っているアイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズと比べると約2倍の値段ですよ!
それにしても小百合さんがアイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズにハマっているのはちょっと不思議な気がします。
やっぱりカナダの思い出と強く結びついているのだろうね。
僕にとってはとりわけ印象に残るコーヒーではないけれど、
小百合さんが選んだコーヒー豆ということだけが記憶に残っていますよ。
しいて言えば、甘いコーヒー豆の香りが強烈で、
この香りを嗅ぐと小百合さんを思い出すようにになりました。
きゃはははは。。。
僕にとってアイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズは小百合コーヒー・ビーンズになりましたよ。
「足袋御殿」をじっくりと調べてみました。
今では御殿は懐石料亭になっています。


足袋御殿で食べる国産黒毛和牛懐石
昭和の初め、足袋の産地として栄えた行田。
その行田に”足袋御殿”と呼ばれた邸宅があります。
彩々亭はその足袋御殿を懐石料亭として生かしたもの。
洋館と日本家屋からなる和洋折衷造りは、何か懐かしさの漂う落ちついた雰囲気です。

昭和天皇がご覧になられた庭園を眺めながら、国産黒毛和牛の、そして、季節の懐石料理をお楽しみください。
きっと普段の喧騒さを忘れて料理を堪能し、往時のゆっくりした時の流れもお楽しみいただけます。
『彩々亭ご紹介』より
「足袋御殿」の建物と歴史も調べてみましたよ。

水城公園と南大通りの間にある懐石料亭「彩々亭」。
南大通りの入り口正面から。

上の写真は、水城公園の散策路からの様子です。
元々は、足袋製造業者であった新井八郎氏が大正14年に現在地(佐間)に工場を建設するとともに、昭和元年頃に写真のようにモダンな緑色の洋風瓦が特徴的なスクラッチタイル貼りの外壁を持つ2階建ての事務所兼住宅を建設し、その後西側に3階建ての離れ等を増築したと言われています。
往時には政財界で活躍した八郎氏の迎賓館的な役割を果たし、昭和天皇をはじめとする多くの名士が訪れており、「足袋御殿」と称されていました。
歴史あるこの建物は、平成19年に国の「登録有形文化財」に登録されています。
『行田市内の見所』より
調べた限りでは、あの建物は建てられたまま改築されたということが書いてない。
おそらく僕の記憶違いだとしか思えない。
しかし,僕の記憶の中にある建物は、もっと荘厳な石造りの建物で、印象的には国会議事堂のような厳(いかめ)しい感じを与えたものでした。
小学生の目にはそのように見えた。
現在建っているようなちゃちな物とは大違いでした。
それにしても小百合さんがどうして「足袋御殿」にこだわるのか?
小百合さんとの思い出を手繰(たぐ)り寄せながら考えてみて判りましたよ。

あの軽井沢タリアセンの中に建っている「睡鳩荘」に小百合さんはこだわりを見せたけれど、ちょうど同じような気持ちで「足袋御殿」に強く惹かれるのだろうね。
心の中に軽井沢タリアセン夫人としての上流志向があるのかもね?
きゃはははは。。。
では、今日もアイリッシュ クリーム コーヒー ビーンズをドリップして、ゆったりとした気分でコーヒーを飲みながら「足袋御殿」の応接室に居る気分に浸ってね。

明日も、また会えるといいね。
今度は「さきたま古墳公園」で“ゼリーフライ”でも食べましょう。
じゃあね。


私が「足袋御殿」にこだわるのは軽井沢タリアセンにある「睡鳩荘」にこだわるのと同じだとデンマンさんは考えているのですか?

その通りですよ。。。いわゆる「昭和の上流社会」を覗いてみたいという気持ちが小百合さんにはあるのではありませんか?
そうかしら。。。?
だから小百合さんは無意識のうちに「軽井沢タリアセン」に惹かれるのですよ。
軽井沢タリアセン

デンマンさんとご一緒に出かけた時には閉まっていましたわね。

レストラン 湖水

小百合さんは、このレストランを知っていたのですか?
私は軽井沢タリアセンには子供をつれて何度か行ったことがありましたから知っていますわ。


睡鳩荘(すいきゅうそう)

小百合さんと一緒に行った時には睡鳩荘(すいきゅうそう)を見て、それからレストラン・ソネットへ行ったのですよね。

レストラン ソネット
(1階がレストランで2階は「深沢虹子・野の花美術館」)



そうでしたわ。 チーズケーキをいただきながらコーヒーを飲んだのでしたわね。

そうでした。 寒い日で、園内には数えるほどの人しか居なかった。 「レストラン湖水」 が閉まっていたのも納得がゆきましたよう。 確か11月の寒い日で、季節外れだったのですよね。
でも、またいつか行く機会があると思いますわ。
じゃあ、来年の秋に、小百合さんと一緒にブイヤベースを食べましょう。


ブイヤベースはないと思いますわ。 うふふふふ。。。

マジで。。。?
デンマンさんは、何かといえばブイヤベースですわね? 他に気のきいた料理の名前を覚えてないのですか?
もちろん、他にも料理の名前ぐらい覚えていますよう。。。でもねぇ、ブイヤベースの響きが、なんとなく格調高くありませんか?
そうでしょうか?
『しんみりした曲ですね』より
(2010年12月27日)

こうして読み返してみると、小百合さんには「昭和の上流社会」を覗いてみたいという気持ちがあると僕には思えるのですよ。

私自身はそのような事を考えたこともありませんけれど。。。
そういうものですよ。。。自分では分からないものです。
。。。で、デンマンさんは現在の懐石料亭「彩々亭」の建物は改築されたものだと思うのですか?
そうですよ。。。僕の記憶の中にある建物は現在建っている建物とは全く違っているのですよ。
何十年かの間にデンマンさんの記憶が変化してしまったのではありませんか?
う~ん。。。確かに、その可能性がないわけじゃないけれど、現在の建物のと僕の記憶の中の建物を比べてみると、なんだか狐に鼻をつままれた感じですよ。
でも、どうしてそれほど印象深く昔の建物がデンマンさんの思い出の中に強く残っているのですか?
あのねぇ~、それには訳がある。。。
どのような。。。?
僕は小学校5年生と6年生の時、理科クラブでプランクトンの研究をしていたのですよ。
マジで。。。?
毎朝、職員会議が行われる自習時間に水城公園へ出かけて採集ネットでプランクトンを集めた。
忍沼のプランクトンの研究


その当時の小学校の僕の担任の先生が志保田先生だった。この先生は理科クラブの部長だった。それで、僕も理科クラブに入っていた。

何を研究したのですか?
今でもあるけれど行田市の水城公園に忍沼があるのですよう。

この忍城は1988年(昭和63年)に本丸跡に再建されたものですよう。僕が小学生の頃は、この城が建っている場所はグラウンドになっていて少年野球の会場になっていた。忍沼は、昔は城を巡る外堀だったところです。そこへ毎朝、先生が職員会議をしている自習時間に、同じクラブのメンバーの二人と3人でプランクトンを取りに行ったものですよう。
それで、そのプランクトンをどうするのですか?
放課後、理科実験室で顕微鏡で覗いてプランクトンが泳いでいる様子を写生するのですよう。そうやって研究した訳ですよう。
何か賞でももらったのですか?
もらいましたよう。当時、オリンパスが理科の全国コンクールをやっていたのですよう。
オリンパスってあのカメラのオリンパスですか?
そうですよう。オリンパスは顕微鏡も作っていたのですよう。多分、その関係で理科のコンクールを開いていたのでしょうね。
それで、入選したのですか?
そうですよう。3人(山田君、松本君、それに僕)で取り組んだ「忍沼のプランクトンの研究」が優秀賞に選ばれて、カメラ3台と顕微鏡3台をもらったものですよう。
一人それぞれ1台づつもらったのですか?
カメラと顕微鏡は学校に寄付ですよう。その代わり、当時の田高校長先生から水銀の寒暖計をもらいましたよう。
それで、その事と工学部と関係があるのですか?
志保田先生の話で電子頭脳というのが面白かった。僕が小学校5年生の頃は電子計算機と言わずに電子頭脳と呼ぶ人の方が多かった。とにかく、その電子頭脳が東京の丸ビルぐらい大きい、と志保田先生が言ったのですよう。
それで、デンマンさんは電子計算機の道へ進んだ訳ですか?
そうなのですよう。
『光さす庭 (2008年6月20日)』より

これってぇ、マジですか?

もちろん真面目な話ですよ。 嘘や“でまかせ”ではありません。 当時は、今のようにきれいな公園になっていなかった。 葦(アシ)が茂る広大な沼地だった。 その沼地の向こうに石造りの「足袋御殿」が聳(そび)え立っているように見えたものですよ。 子供の目には国会議事堂のような尊厳な建物に見えたものです。
それだけのことですか?
いや、それだけじゃない! 小学校を卒業して行田中学に入学した。 それで僕は1年2組に入ったのですよ。 そのクラス50人の中に新井久代さんという名前の頭の良い可愛い女の子が居た。


この女の子が足袋御殿と関係あるのですか?

ありますよ。。。大有りですよ。 その久代さんは「足袋御殿」に住んでいたのですよ。
あらっ。。。「足袋御殿」のお嬢様だったのですか?
そうなのですよ。
デンマンさんは、小学生の時には久代さんのことを知らなかったのですか?
僕は中央小学校だった。 久代さんは南小学校だったのですよ。 だから小学生の頃、僕は彼女に一度も会ったことがない。
。。。で、中学1年生の頃に新井久代さんの住んでいる「足袋御殿」に遊びに行ったことがあるのですか?
小百合さんも、そう考えるでしょう? でもねぇ、残念ながら一度も彼女の住んでいる「足袋御殿」に遊びに行ったことがないのですよ。 今から考えると本当に残念なことをしました。 僕がクラスの委員長で彼女がクラスの副委員長というようなこともあった。 それなのに僕は純情可憐な男の子だったから久代さんの家に遊びに行きたいなんてとても言い出せなかった。
信じられませんわ。 デンマンさんならば、何が何でも押しかけてゆきそうじゃありませんか!
だから、当時の僕は気の小さい控(ひか)えめな少年だったのですよ。
信じられませんわ。
人間は年とともに変わるものなのですよ。
そうでしょうか。。。?
【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
小学生時代のデンマンさんは気の小さい控(ひか)えめな少年だったと、あなたは信じることができますか?
あたくしには想像もつきませんわ。(微笑)
確かに、時と共に、性格は多少は変わってゆくと思いますけれど、“三つ子の魂百までも”と申しますわ。
性格は極端には変わらないものでござ~♪~ます。
あなたの小学生時代を思い浮かべてくださいまし。
現在のあなた自身と性格が変わっていますか?
それほど変わってないでしょう?
ええっ。。。あたくしですか。。。?
考えて見れが、ずいぶんと性格が変わりましたわ。
どうしてかってぇ~。。。?
だってぇ、あたくしはビートルズの熱烈なファンなのでござ~♪~ますわ。
ビートルズの影響だと思うのですわ。

“キャ~ 素敵ィ~♪~”


お分かりでしょう!?
ビートルズのファンは熱烈なのですわ。
だから、性格までも変わってしまうのですわ。
うふふふふふ。。。
でも、日本も含めて世界中にビートルズの熱狂的な嵐が吹き荒れたのは、あたくしが生まれる以前のことでしたわ。
ところが何度も何度も、あたくしはビートルズの夢を見るのでござ~♪~ますう。
軽井沢の万平ホテルに行くと
ジョンレノンとあたくしがカフェテラスで会うような気が、マジでするのでござ~♪~ますう。

滞在中のジョン・レノンは朝9時半ごろ、
このカフェテラスに下りてきたのですよ。
わたしたちに「おはようございます」と
日本語であいさつしたものですわ。
いつも庭に面した一番奥の席にすわって、
他のお客様には背を向けるような格好で
腰掛けていました。
ジョン・レノンのお気に入りは
ローヤルミルクティーでしたわ。

『幸福の谷』より
(2008年4月6日)
あたくしは万平ホテルのカフェテラスでマジでジョン・レノンとローヤルミルクティーをいただいている記憶が鮮明に甦ることがあるのでござ~♪~ますゥ。
あなたは信じられないでしょう?
あたくしだって信じられないのですから。。。
おほほほほほ。。。
とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあ、また。。。


ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
あなたは軽井沢に出かけたことがありますか?
私はデンマンさんとご一緒に
一度だけ訪れたことがあります。

この湖は“Swan Lake”という
英語名がついているのですわ。
昔、宣教師の方が軽井沢に
別荘を持っていたのですって、
その家族の人たちが名づけたらしいのですわ。
10月でしたが、紅葉が見ごろになっていました。
軽井沢・雲場池の紅葉
まだ冬景色には程遠かったのですけれど、
湖にしては小さなその池のほとりに立ったら、
どこからともなく白鳥が飛んできそうな
感じがしましたわ。

そう言えば、バンクーバーの
クイーン・エリザベス・シアターで
デンマンさんとご一緒に
バレー『白鳥の湖』を見たことがありましたわ。
あの時のチャイコフスキーの曲が
聞こえてきたものですわ。
それで、私はいつになく
感傷的になったことを覚えています。
ところで、日本に帰省してから
デンマンさんが小百合さんのことで
次のような記事を書いています。
時間があったら覗いてみてください。
■『白鳥はどこに?(2011年10月8日)』
■『思い出の軽井沢(2011年10月7日)』
■『日本は汚染される(2011年10月4日)』
■『おばんざい(2011年10月4日)』
■『バーナビーと小百合さん(2011年10月3日)』
■『杜の都で食べる PART 1(2011年10月2日)』
■『杜の都で食べる PART 2(2011年10月2日)』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。


タグ :足袋御殿
2011年10月16日
Madame Taliesin
Madame Taliesin


Subj:
Hello from Gyoda!
I enjoy sushi and
lotus flowers.


From: barclay1720@aol.com
To: diane03760@vancouver.ca
Date: Mon., October 10, 2011 10:03:53 PM
Hi, Diane. How's it going?
I've been eating sushi like a horse. :)
I might be a different person when I return to Vancouver.
Ha, ha, ha, ha, ha,...

I hope you're enjoying VIFF to the bone.
and wish I were in Vancouver with you.
So, I've written an article about VIFF and sushi.
Please click the following link:

■"Film Festival"
Here's sexuality.
An open mind is advised!
I hope you'll enjoy reading it.
Your truly skinny admirer,
Kato


Subj:I miss you!
From: diane03760@vancouver.ca
To: barclay1720@aol.com
Date: Wed, Oct 12, 2011 8:47 am
Thanks, Kato.
I'm glad you're enjoying all the delicious sushi.
It sure looks appetizing.

Guess I do try to eat a balanced diet mostly, but fall off the rails rather regularly.
So much good and tasty food and it's all so tempting, true?
It's just a good thing I keep active or I may have ended up like the following poor woman.

Egads!
Having said that, though, I feel as stuffed right now as a whale ... too much lunch!
Keep enjoying that sushi kiddo and hope you're visiting with friends & family.
See you soon, kiddo,
Love, Diane ~


Kato...,who is Madame Taliesin?

Oh..., well...she is one of my lady friends.
...like me?
Yes, she is.
I wonder if Madame Taliesin is one of your lovers.
Well...,she is above friend...below lover...You know what I mean?
Yes, I guess I understand...but how come she is called Madame Taliesin?..sounds non-Japanese, doesn't it?
Actually, "Taliesin" is the name of an ancient Welsh poet, and literally means "shining forehead."
Was she born of Welsh parents?
Oh no, she wasn't. She was born of Japanese parents.
So, how come you call her Madame Taliesin?
A good question, Diane...There is a theme park called "Karuizawa Taliesin" in Karuizawa.
Karuizawa Taliesin

Is Karuizawa a popular city in Japan?

Yes, it is...Karuizawa is a popular and famous resort and high-class residential area such as Beverly Hills in California. Wealthy and famous people have their second or recreational houses in Karuizawa.
Karuizawa (軽井沢町)


Karuizawa is a town located in Kitasaku District, Nagano, Japan.
As of January 1, 2008, the town has an estimated population of 17,833 and has a total area of 156.05 square kilometres (60.25 sq mi).
Karuizawa is known throughout Japan as a popular tourist spot.
People from Tokyo will travel to Karuizawa to get away from the city especially in summer.
There is a Shinkansen (bullet train) station as well as a large outlet store shopping mall.
It is also known for its historic shopping street known as "Ginza dōri" or "Kyū-dō" (Ginza Street, or the Old Road).
Karuizawa hosted equestrian events in the 1964 Summer Olympics.
The town also hosted curling in the 1998 Winter Olympics.
To date, it is the only city in the world having hosted both Summer and Winter Olympic events.
SOURCE: Karuizawa,
Wikipedia, the free encyclopedia

Karuizawa looks like an interesting town, doesn't it?

Yes, it does.
Kato, I wonder if Madame Taliesin owns the theme park---Karuizawa Taliesin.
Oh, no, she isn't that rich...She loves to visit the theme park...so, I called her "Madame Taliesin."
Does she own a second home in Karuizawa?
Yes, she does.



Wow!...Nice second home, isn't it?

Yes, it is.
So, she is a very wealthy woman, isn't she? And you're coming on to her because of her wealth. Is that it?
Oh, c'mon, Diane...Wealth is nothing...Love is the thing that matters.
Kato, do you really think so?
Yes, of course, I do.
So, you love her, don't you?
Of course, I do.
Why...?
...'Cause she's given me a great deal of unforgettable happy memory in Karuizawa.

Has she given you a lot of happy memories?...like what?

Do you really wanna know those happy memoirs?
Oh, yes, I do.
Well...I've written so many articles about those sweet memories.
Really?
Look at those articles in the following search results:

■"Search Results at Present"

Wow!...27,300 articles!...but the above articles are written in Japanese, aren't they?

Yes, they are. If you like, however, you can translate the articles from Japanese to English.

■"Translated English Version"

Well...looks interesting, but the translated version doesn't make sense to me at all.

Don't blame me, Diane...blame GOOGLE. Nobody is perfect...nothing is perfect...so, automatic translation is NOT perfect!
【Himiko's Monologue】

Wow! Did you see the VIFF video clip?
I think it's a bit obscene and salacious.
Here's sexuality.
An open mind is advised!
My heart throbbed like mad while I watched the above clip.
Sexuality is one thing; romance is another.
Come to think of it, I've never met a decent man in my life.
How come I'm always a loner?
I wish I could meet a nice gentleman at the library in my town as Diane met Kato.
Well, they say, there is a way where there is a will.
Have a nice day!
Bye bye ...


If you've got some time,
Please read one of the following artciles:
■"Cleopatra"
■"Queen Nefertiti"
■"Catherine de Medici"
■"Catherine the Great"
■"Mata Hari"
■"Sidonie Colette"

■"Marilyn Monroe"
■"Hello Diane!"
■"I wish you were there!"
■"Jane Eyre"

■"Jane Eyre Again"
■"Jane Eyre in Vancouver"
■"Jane Eyre Special"
■"Love & Death of Cleopatra"
■"Nice Story"

■"Scrumdiddlyumptious"
■"Spiritual Work or What?"
■"What a coincidence!"

■"Wind and Water"
■"Yoga and Happiness"
■"You're in a good shape"

■"Hellelujah!"
■"Ecclesiophobia"
■"Uncorruptible"
■"Net Travel & Jane"

■"Net Love"
■"Complicated Love"
■"Electra Complex"
■"Net Début"
■"Inner World"

■"Madame Riviera and Burger"
■"Roly-poly in the North"
■"Amazing Grace"
■"Diane in Paris"
■"Diane in Montmartre"

■"Diane Well Read"
■"Wantirna South"
■"Maiden's Prayer"
■"Bandwidth"
■"Squaw House and Melbourne Hotel"

■"Tulips and Diane"
■"Diane in Bustle Skirt"
■"Diane and Beauty"
■"Lady Chatterley and Beauty"
■"Victoria Prudery"
■"Diane Chatterley"
■"From Canada to Japan"
■"From Gyoda to Vancouver"
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■『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』
■『アナクロニズム(2011年3月27日)』

Hi, I'm June Adames.
I like Sylvia Kristel's Lady Chatterley.
Lady Chatterley's Lover
Sylvia Kristel (1981)
Talking of Sylvia Kristel, you might as well
remember Lady Emmanuelle.

Emmanuelle 1 - Ouverture
Emmanuelle 2: L'antivierge
Sylvia Kristel (1975)
Well...if you love to visit Paris,
please enjoy the Paris theme:
Sous le Ciel de Paris
by Hideshi Kibi(日本人)
You can find some Japanese musicians in Paris.
Fujiko Hemming also likes Édith Piaf
who sings "Sous le ciel de Paris."
Sous le ciel de Paris
by Édith Piaf
I like Chanson Française (French song).
How about you?
Kato also love Édith Piaf,
but he considers Juliette Greco's
"Sous le Ciel de Paris" much beter.
Sous le Ciel de Paris
by Juliette Greco
I believe Yves Montand's "Sous le Ciel de Paris" is the best of all.
Sous le Ciel de Paris
by Yves Montand
I love Paris, but Vancouver isn't bad at all.
To tell you the truth, Vancouver is a paradise to me.


ところで、愛とロマンに満ちた
レンゲさんのお話をまとめて
『レンゲ物語』を作りました。
もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、
次のリンクをクリックしてくださいね。
■『愛とロマンのレンゲ物語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。


タグ :Madame Taliesin
2011年09月14日
軽井沢再訪
軽井沢再訪












Subj: 小百合さん、おはよう!
北京ダックですよう!
きゃははははは。。。

Date: 18/05/2010 9:56:52 AM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間: 5月19日(水)午前1時56分
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
CC: barclay1720@aol.com
■『北京ダックと軽井沢タリアセン夫人』
(2010年5月18日)
2008年には、こんなことを書いてたの?。。。と、小百合さんも、懐かしい!と思いながら、楽しく読めるように書きましたよう。
入れたてのコーヒーを飲みながらのんびりと読んでみてね。
今日のバンクーバーは久しぶりの雨ですよう。
母カラスが子供を守るようにしながっらじっと座って、雨からかばっているのです。
なんだか、けなげなようでありながら、哀れみを感じさせるような。。。
自然は動物にとって、やっぱり厳(きび)しいのだよね。
自然を克服したのは、どうやら人間だけのようです。
でも、その人間も、大気を汚染させて、地球温暖化を招いてしまった。
やっぱり、自然に逆らうと、しっぺ返しを喰らうようです。
きゃははははは。。。
5月20日の記事も小百合さんが楽しみながら読めますよう。
題して『夢の中華パン』です。

■『夢の中華パン』
(2010年5月20日)
小百合さんとマジで対話しているような気持ちで書きました。
ぜひ読んでみてね。
きゃははははは。。。
それでは、いつものように、今日も小百合さんが軽井沢タリアセン夫人になりきって、楽しく愉快に、有意義に過ごせるように、応援しながら祈ります。

ラーメン。。。

きゃはははは。。。
じゃあね。

『思い出の軽井沢』より
(2010年5月26日)

デンマンさん。。。いつも、いつもメール、ありがとうございます。

でも、小百合さんは、あまりうれしそうではないですね。
分かりますか?うふふふふ。。。
本心はどうなのですか?
本心を言ってもいいのですか?
どうぞ、はっきりと言ってくださいよう。
実は、うっとうしいのですわ。
ん。。。? うっとうしい。。。?
そうですわ。
やだなあああァ~。。。そ~はっきり言われると、僕の極度に強い心臓も急に萎縮して、心臓麻痺になりかけたではありませんかァ!
それは、ちょっとオーバーですわ。デンマンさんは、すぐに悪乗りしますからね。
僕は思い出を大切にしているのですよう。
思い出を大切にするためにメールをたくさん書くのですか?
そうですよう。。。思い出を確かめるために。。。ちょうど小百合さんが食べて思い出を確かめるように。。。僕はメールを書いて思い出を確かめるのですよう。
それで、今日のタイトルを『軽井沢再訪』にしたのですか?
そうですよう。。。うしししし。。。いけませんか?
軽井沢・旧軽井沢・白糸の滝
鬼押し出し・浅間山

小百合さんも、こうしてビデオクリップを見ると軽井沢が急に懐かしくなるでしょう?

でも、上のビデオを見ると、なんだかあまりにも忙(せわ)し過ぎますわ。
つまり、もっとのんびりと。。。、ゆったりとした気持ちで軽井沢を散歩したいのですね?
そうですわ。
だったら、次のビデオクリップを見てくださいよ。 小百合さんものんびりとした気分でマジで軽井沢が懐かしくなりますよ。
秋の旧軽井沢銀座
ぶらり散歩

そうですわね。。。なんだか急に軽井沢に行きたくなりましたわ。

そうでしょう!?。。。これから秋の紅葉の季節になりますからね。 まだ残暑が厳しいけれど、軽井沢ではすでに秋の気配がしていると思うのですよ。
軽井沢の別荘で見た見事な紅葉

実は、(2008年)11月18日に軽井沢に行き、小百合さんの別荘で庭先の紅葉を見ながら僕はコーヒーをいただいたのですよう。

別荘といっても、小百合さんの別荘はマンションなんですよう。一階の一番奥にあるのです。この写真は夏に撮ったものだけれど、リビングの窓から庭の向こうに見える紅葉が実にきれいでした。


本当に、これほど見事だったのでござ~♪~ますか?
紅葉は上の写真ほど密集していなかったけれど、紅葉に夕日が差し込み始めて、その様子は黄金の空をバックに燃えるように映(は)える紅葉で。。。実にドラマチックで。。。ロマンチックで。。。
デンマンさん。。。あのォ~。。。ちょっと美化しすぎているのではござ~♪~ませんか?
うん、うん、うん。。。僕が話し始めれば、卑弥子さんは多分そう言うだろうと思っていましたよう。でも、筆舌に尽くしがたいほどの素晴しい光景だったのですよう。
それであのォ~。。。ロマンチックな気分に浸って。。。コーヒーを飲んだ後で小百合さんと萌え萌えになって、一年ぶりの再会を記念して熱い接吻を交わしたのでござ~♪~ますか?
やだなあああぁ~。。。卑弥子さんは熱い接吻に、ちょっとばかり、こだわりすぎているのではありませんか?
だってぇ~。。。これまでのデンマンさんと小百合さんのやり取りを読ませていただいたら、絶対にそうなるのでござ~♪~ますわ。
でもねぇ~。。。現実には、なかなか、そのようなロマンチックなシーンにはならないのですよう。
。。。んで、何をなさったのですか?

テーブルを見ると、小百合さんが町立図書館から借りてきた本が山のように積まれていたのですよう。
その一番上にあったのが「私の軽井沢物語」だと、デンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?
その通りですよう。この本のことは次の記事の中でも書きましたからね。
■『軽井沢物語』
(2008年8月26日)
それで小百合さんは、デンマンさんとその本の事でお話しようと図書館から借りてきたのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。
。。。んで、何をお話になったのですか?
いろいろと話題は尽きませんでした。でも、一つだけ僕と小百合さんで意見が分かれた話題があったのですよう。
それって、なんですの?
小野美津子さんという女性が「私の軽井沢物語」に登場するのですよう。名前は、もしかすると満津子あるいは満子だったかもしれません。
それで、どのように意見が分かれたのでござ~♪~ますか?
小百合さんは、その女性がオノ・ヨーコではないか?!そう言うのですよう。僕は絶対にそうではない!と思ったのです。結局、僕が後で調べてみる、という事でその話はそのままになったのですよう。
。。。んで、調べてみたのですか?
そうです。
『愛のプレゼント (2008年12月16日)』より

どうですか、小百合さん。。。?覚えているでしょう? 雲場池の紅葉もみごとでしたよ。
雲場池の紅葉

ええ、思い出しましたわ。 でも、私は万平ホテルでお茶を飲んだときのことが懐かしいですわ。
万平通り 万平ホテル
万平ホテル カフェテリア

僕はタリアセンヘ行って小百合さんと散歩したときのことが懐かしいのですよ。

何がそれほど懐かしいのですか?
塩尻湖畔を散策しながら「レストラン湖水」でロマンチックに食事をしようとしたら閉まっていた。。。きゃはははは。。。
軽井沢タリアセン

デンマンさんとご一緒に出かけた時には閉まっていましたわね。

レストラン 湖水

小百合さんは、このレストランを知っていたのですか?
私は軽井沢タリアセンには子供をつれて何度か行ったことがありましたから知っていますわ。


睡鳩荘(すいきゅうそう)

小百合さんと一緒に行った時には睡鳩荘(すいきゅうそう)を見て、それからレストラン・ソネットへ行ったのですよね。

レストラン ソネット
(1階がレストランで2階は「深沢虹子・野の花美術館」)



そうでしたわ。 チーズケーキをいただきながらコーヒーを飲んだのでしたわね。

そうでした。 寒い日で、園内には数えるほどの人しか居なかった。 「レストラン湖水」 が閉まっていたのも納得がゆきましたよう。 確か11月の寒い日で、季節外れだったのですよね。
でも、またいつか行く機会があると思いますわ。
じゃあ、来年の秋に、小百合さんと一緒にブイヤベースを食べましょう。


ブイヤベースはないと思いますわ。 うふふふふ。。。

マジで。。。?
デンマンさんは、何かといえばブイヤベースですわね? 他に気のきいた料理の名前を覚えてないのですか?
もちろん、他にも料理の名前ぐらい覚えていますよう。。。でもねぇ、ブイヤベースの響きが、なんとなく格調高くありませんか?
そうでしょうか?
『しんみりした曲ですね』より
(2010年12月27日)

小百合さんは、それまでに睡鳩荘に入ったことはなかったのですか?

ありませんでしたわ。 デンマンさんとご一緒に見たのが初めてでした。
そうですか。。。そう言えば「軽井沢物語」を読んで小百合さんは朝吹登水子(あさぶきとみこ)さんの生い立ちや軽井沢での生活に興味を持ったのでしたよね。
デンマンさんは良く覚えていますわねぇ?
もちろんですよう。 僕はそのことで次の記事を書きましたからね。。。
■『軽井沢物語(2008年8月26日)』
朝吹登水子さんが生前、夏を過ごしたという山荘“睡鳩荘”を一度見てみたい。。。確か、そんな事を小百合さんは言ってましたよね?
そうでしたわ。。。それにしても、デンマンさんはよく覚えていますねぇ。
僕にとっても、その時の事は懐かしい思い出になっているのですよ。
マジで。。。?
もちろんですよ。 このような時にデマカセを言うつもりはありません。 あの時、睡鳩荘の前で2羽の番(つがい)の白鳥が僕と小百合さんを出迎えてくれたのですよう。
そのような事があったかしら?
やだなあああァ~。。。小百合さんは忘れてしまったのですか?
覚えていませんわ。
小百合さんは高校時代に冷(さ)めた女になろうとした後遺症が今でも続いているのですね?
そのような事はありませんわ。
だったら、僕の感動を次の記事から読み取ってくださいよう!

朝吹登水子さんが生前、夏を過ごしたという山荘“睡鳩荘(すいきゅうそう)”を小百合さんと見に行った時のことですよう。 現在、その山荘は中軽井沢の塩沢湖の畔(ほとり)に移築されて建っているのだけれど、その睡鳩荘の前で2羽の番(つがい)の白鳥が僕と小百合さんを出迎えてくれたのですよう。 もう。。。何と言うか。。。できすぎているとしか言いようが無いですよう! 小百合さんも、そう思いませんか?




でも、それって。。。やっぱり偶然だと思いますわ。

偶然にしては、できすぎていませんか?
そうですね。

もちろん、睡鳩荘の前で出迎えてくれた2羽の白鳥が行田の実家の近くに居た2羽の白鳥だったと言うつもりは無いですよう。。。でも、妙にロマンチックと言うか。。。違う白鳥だとしても、なんだか小百合さんと僕の再会を祝福してくれているようで。。。
デンマンさんって、何でも美化してしまうのですね?
いや。。。美化しているつもりではないのですよう。。。でも、これまで小百合さんとどこへ行っても2羽の白鳥に縁があるのですよう。
だから。。。それって。。。私は偶然だと思いますわ。
小百合さんは、ロマンチストではないのですね?
だってぇ~、現実と向き合う時、夢のようなお話は消えてしまいますから。。。
しかし、これだけ白鳥との縁を思うと、なんとなく2羽の番(つがい)の白鳥が僕と小百合さんを象徴しているような。。。うしししし。。。そんな風に感じられるのですよう。。。小百合さんは、そう感じませんか?
別にィ~。。。とりわけロマンに結び付ける気持ちはありませんわ・・・
そうですか。。。小百合さんは僕と再会できた事をそれほどロマンチックだとは思っていないのですね?
ロマンチックだと言う意味がデンマンさんと私では少し意味合いが違っているのだと思いますわ。 でも、私はデンマンさんと再会して十分に楽しんでいますわ。
ほう。。。そうですか・・・でも、ロマンチックではないのですか?
デンマンさんはロマンにこだわっているのですね?
そうですよう。 もう何度となく書いているけれど、小百合さんは僕にとって夢とロマンの女神なんですからね。
夢とロマンの女神
小百合さん、バンザ~イ!

それって、絶対に私を美化していますわ。
小百合さんは僕の気持ちや考え方が分かっていますよね?
分かっているつもりですわ。 でも、ブログでこのように書いても、誰もこのような会話がデンマンさんと私の間でなされたと信じる人は居ませんわ。
『乙女の夢とロマン』より
(2008年11月22日)

デンマンさん!。。。このような事を書かないでくださいな!

どうして。。。?
だってぇ、読まされている私こそ恥ずかしいですわ。
やだなあああァ~。。。喜んでくださいよう!
このような事は第三者の読者にとっては面白くもなんともないのですわ。
いや。。。だから、軽井沢の通り一遍の観光案内を読むのよりも面白いと思うのですよ。
中には余計な事を読まされてムカつく人も居ると思うのですよ。
そういう人は無理して読みません。 ここまで読んできた人は面白いと思うから読んできたのですよ。
そうでしょうか?
ムカつくと言えば。。。僕は思い出したけれど、あの寒さの中で見たクリスマスのイルミネーションね。。。あの時の寒さは身にこたえましたよ。。。未だにはっきりと覚えています。
軽井沢のイルミネーション

確かに、あの時は寒かったのですわ。 それにお腹もすいていましたから。。。

でも、30分ほどイルミネーションを見ながら店が開くのを待って軽井沢駅近くの焼き鳥屋に入った時には生き返るような気がしましたよ。
デンマンさん。。。それはちょっと大げさですわよ。
軽井沢駅の景色
軽井沢 プリンス ショッピング プラザ

とにかく、懐かしいですよ。 寒い思い出。。。暖かい思い出。。。忘れられない思い出。。。小百合さんとの出会いがなかったら、僕は軽井沢でこれほどの思い出を作ることができなかったと思うのですよ。

たくさんの思い出ができてよかったですわねぇ。
小百合さんはどうなのですか?
もちろん、素敵な思い出がたくさんできましたわ。
そうですか。。。それを聞いて安心しましたよ。
【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
あたくしにも軽井沢の思い出があるのでござ~♪~ますわ。
ええっ。。。どのような思い出かってぇ~。。。?
軽井沢のジョンレノンですわよ。
あたくしはビートルズの熱烈なファンなのでござ~♪~ますもの。。。
うふふふふふ。。。

“キャ~ 素敵ィ~♪~”


でもねぇ~、日本も含めて世界中にビートルズの熱狂的な嵐が吹き荒れたのは、あたくしが生まれる以前のことでしたわ。
ところが何度も何度も、あたくしはビートルズの夢を見るのでござ~♪~ますわ。
軽井沢の万平ホテルに行くと
ジョンレノンとあたくしがカフェテラスで会うような気が、マジでするのでござ~♪~ますう。

滞在中のジョン・レノンは朝9時半ごろ、
このカフェテラスに下りてきたのですよ。
わたしたちに「おはようございます」と
日本語であいさつしたものですわ。
いつも庭に面した一番奥の席にすわって、
他のお客様には背を向けるような格好で
腰掛けていました。
ジョン・レノンのお気に入りは
ローヤルミルクティーでしたわ。

『幸福の谷』より
(2008年4月6日)
あたくしは万平ホテルのカフェテラスでマジでジョン・レノンとローヤルミルクティーをいただいている記憶が鮮明に甦ることがあるのでござ~♪~ますわ。
あなたは信じられないでしょう?
あたくしだって信じられないのですから。。。
おほほほほほ。。。
とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。

メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
あなたは軽井沢に出かけたことがありますか?
私はデンマンさんとご一緒に
一度だけ訪れたことがあります。

この湖は“Swan Lake”という
英語名がついているのですわ。
昔、宣教師の方が軽井沢に
別荘を持っていたのですって、
その家族の人たちが名づけたらしいのですわ。
10月でしたが、紅葉が見ごろになっていました。
軽井沢・雲場池の紅葉
まだ冬景色には程遠かったのですけれど、
湖にしては小さなその池のほとりに立ったら、
どこからともなく白鳥が飛んできそうな
感じがしましたわ。

そう言えば、バンクーバーの
クイーン・エリザベス・シアターで
デンマンさんとご一緒に
バレー『白鳥の湖』を見たことがありましたわ。
あの時のチャイコフスキーの曲が
聞こえてきたものですわ。
それで、私はいつになく
感傷的になったことを覚えています。
ところで、英語の面白い話を集めました。
時間があったら覗いてみてください。
■ 『あなたのための愉快で面白い英語』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。


タグ :軽井沢再訪
2011年05月15日
も~いいかい?(PART 1)
も~いいかい?(PART 1)

まあだだよ
『まあだだよ』は、黒澤明監督の日本の映画作品。黒澤明の遺作となった。
1993年大映公開。
内田百閒の随筆を原案に、戦前から戦後にかけての百閒の日常と彼の教師時代の教え子との交流を描いている。
黒澤作品の前・中期に見られる戦闘・アクションシーン等は皆無。
終始穏やかなトーンで話が進行する。
百閒を演じる松村達雄と妻役の香川京子、そして教え子役の所ジョージなど、出演者の好演が光る。黒澤作品として期待を集めたが、興行的には失敗した。
あらすじ
法政大学のドイツ語教師・百閒先生は随筆家としての活動に専念するため学校を去ることになり、学生たちは『仰げば尊し』を歌って先生を送る。
職を辞したのちも、先生の家には彼を慕う門下生たちが集まり、鍋を囲み酒を酌み交わす。
先生には穏やかな文士生活が訪れるはずであった。
しかし時代は戦争の只中、先生も空襲で家を失ってしまう。

妻と二人、先生は貧しい小屋で年月を過ごすことを余儀なくされるが、戦後門下生たちの取り計らいで新居を構えることを得る。
昭和21年、彼らは先生の健康長寿の祝いのために「摩阿陀会」なる催しを開く。
なかなか死にそうにない先生に「まあだかい?」と訊ね、先生が「まあだだよ!」と応える会である。
月日は経ち、17回目の「摩阿陀会」は先生の喜寿のお祝いも兼ねて盛大に開かれる。
門下生たちの頭にも白いものが交り、彼らの孫も参加したこの会で、先生は突然体調を崩してしまう。
大事をとって帰ることになるが、かつての教え子たちは昔と同じように『仰げば尊し』を歌って会場を後にする先生を送るのだった。
その夜、付き添った門下生たちが控える部屋の奥で、先生はおだやかに眠る。
夢の中、かくれんぼをしている少年は、友達に何度も「まあだだよ!」と叫ぶ。
少年が見上げた夕焼けの空が、やがて深く彩られ、夜になっていくところで映画は終わる。
本映画の登場人物は、百閒の著作に出てくる人物とは一致しない。
以下の二名は百件の著作中にも見られる名前だが、彼らも百閒の著作と映画中の役回りは異なっている。

北村・・・百閒の記述によると「摩阿陀会」の肝煎の一人であるが、映画では一般の出席者になっている。
甘木・・・百閒の著作によく登場する名前であるが、特定の人物を指したものではない。「甘木」は「某」の字を分解したもので、百閒が個人名を出したくない時に使った符牒である。
この他、実際には「摩阿陀会」の肝煎(幹事)は多田基、北村孟徳、平山三郎の3人であるが、映画では4人となっている。
ただし、映画の肝煎が4人になっているのは、百閒宅の近所に住み、「摩阿陀会」開催時に百閒を会場にエスコートする役を担っていた「平井」という人物を含めているものとも考えられる。
この平井は、百閒の随筆「ノラや」の中で、ノラが行方不明になった時に、新聞に折込広告を入れることを提案した人物でもある。(映画では桐山が提案している)
エピソード
スタッフの野上照代は、東京で出版社に勤めていた時に原稿を受け取りに内田百間の家を訪れ、本人と面会した事がある。
おみやげの日本酒を見せると、急に態度が変わり、ご機嫌になったという。
黒沢清監督は「黒澤明では『まあだだよ』が好き。あっこ(あそこ)まで行ったら最早凄いよね」と語っている。
この作品にからめて黒澤は周囲に対し、「これが最後の作品ですかね?」「まあだだよ」などと冗談をいっていたという。
香川京子の演技があまりに見事だったので、脚本でも指示が無く、指導もしていない。
監督は現場でもほとんど見ていないという。
登場する猫は重たかったので抱くときは苦労したという。
また、暴れることもあったので眠くなるような薬を飲ませて撮影したらしい。
馬鹿鍋のシーンでは本物の馬肉と鹿肉が用意された。
黒澤は「わからないから、他の肉でもいい」とこだわらなかったのだが、助監督の配慮である。
井川比佐志は馬肉と鹿肉は食べられないということで、助監督に頼んでわざわざ自分用に他の肉を用意してもらったものの、鍋の中に入れると、どれがその肉かわからなくなってしまい結局、ごぼうしか食べられなかったという。
ラストの夕焼け空にはハリウッドから輸入した「サイレント・フロスト」というコンピュータ制御のシステムが使われている。
この夕焼け空は「雲名人」ともいわれる島倉二千六の手によるものである。
ビートたけしが黒澤に「自分は映画には使わないのか?」と訊いたところ、「おまえ言うこと聴かないじゃないか」とあしらわれたという。
そこでたけしが「所使ったじゃないですか」と言うと、「あいつは役者じゃないじゃないか!」と返事をした。
たけしによると黒澤は猫と同じ感覚で所を起用したのだという。
そのことをたけしが所に言うと「それで俺のとき何にも文句言わなかったんだ」と納得したという。
劇中で登場人物が歌ったり、街頭スピーカーから流れてきたりする以外の音楽としてはヴィヴァルディの「調和の霊感」第9番の第2楽章が使われているのみだが、この演奏(CD録音)を指揮しているクラウディオ・シモーネは 「乱」以降の作品で助監督のひとりとして参加している、イタリア人ヴィットリオ・ダル・オレ伯爵の伯父である。

■「黒澤明未発表インタビュー」
http://www.tokyo-calendar.tv/art_culture/0902a_01.html
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
写真はデンマン・ライブラリーより

デンマンさん。。。最近はDVDで映画ばかり見ているのですわね?

いや。。。そんな事はありませんよ。。。記事もちゃんと書いていますからね。 ただ、記事だけ書いていると、やっぱりダレてきますからね。 オツムをリフレッシュするために3時間ぐらい書き続けたら映画を見るのですよ。 脳の刺激になりますよ。
それで、ネタを仕入れて記事を書くのですか?
その通りですよ。
。。。で、『まあだだよ』を観て感動してのですか?
なかなかいい映画でしたよ。 初めて観たのは10年前ほどでした。 確か、バンクーバー映画祭(Vancouver International Film Festival)でしたよ。 その時には野良猫の「ノラちゃん」の事が記憶に残っていなかったのだけれど、今度見て猫が行方不明になったことが結構長く取り上げられていたのに気づきましたよ。


この上の写真に写っているねのが、その行方不明になった猫ですか?

そうなのですよ。 先生が講演を頼まれて九州まで行った帰りに電車に乗っていて、ある駅に着いたときにふと見ると「ノラ」ちゃんとそっくりな猫が見えた。 先生は不吉な予感がして家に帰って、すぐに「ノラ」ちゃんを探すのだけれど、居ないのですよ。 それで、昔の生徒を巻き込んで大騒ぎになるのですよ。
猫の事をすっかり忘れてしまったということは、デンマンさんは猫が嫌いなのですか?
いや。。。嫌いではありませんよ。 でも、猫よりも犬のほうが僕は好きですね。 犬だったら、多分覚えていただろうと思うのですよ。
。。。で、今度見て何が印象的だったのですか?
あのねぇ~、出だしのところでしたよ。 先生が学校を辞める事を生徒に告げるのですよ。 その中で昔の思い出話に「あまり生徒の顔を覚えていないのだけれど、一人だけ忘れられない奴がいる。 彼は目を開いたまま眠っていたんだ。 それは誰か? 君のお父さんだよ!」 そう言って生徒の一人の名前を呼ぶのです。 皆がどっと笑うのです。
それが印象的だったのですか?
そうなのですよ。。。そのシーンを観てね、初めて観た時には思い浮かばなかったのだけれど、夕べ観た時には不意に同じシーンがオツムに甦(よみがえ)ったのですよ。
その同じシーンというのは。。。?
僕が仙台にいた頃、今ではもう無くなってしまったけれど、「仙台松竹」で「チップス先生さようなら」という映画を観たのですよ。 その中に、ちょうど同じようなシーンがあるのです。
チップス先生さようなら

イギリスの作家ジェームズ・ヒルトンの代表作「グッドバイ・ミスター・チップス(Goodbye, Mr. Chips)」のミュージカル映画化。
監督は「ドリトル先生不思議な旅」などの振付を担当したハーバート・ロス。
原作を脚色したのは「黄色いロールスロイス」のテレンス・ラティガン、撮影は「オリバー!」のオズワルド・モリス、音楽は「おしゃれ泥棒」のジョン・ウィリアムスで、作詞作曲は「ドリトル先生不思議な旅」でアカデミー主題歌賞を受けたレスリー・ブリッカス、衣装デザインは「ダーリング」でオスカーを受けたジュリー・ハリスがそれぞれ担当。
製作には「ドリトル先生不思議な旅」のA・P・ジャコブが当たっている。美術はケン・アダム、編集はラルフ・ケンプラン。
出演は「キャサリン大帝」のピーター・オトゥール、「フィニアンの虹」のペトゥラ・クラーク、「空軍大戦略」のマイケル・レッドグレイヴ、その他、ジョージ・ベイカー、ジャック・ヘドレイ、オトゥール夫人のショーン・フィリップス、アリソン・レガット、クリントン・グレーン、マイケル・カルバーなど。メトロカラー、スーパー・シネラマ方式。
1969年作品。
あらすじ
イングランド南部の田園の町ブルックフィールドにあるブルックフィールド・スクール。
ここに勤めるアーサー・チッピング(ピーター・オトゥール)は親しい人々にチップス先生と呼ばれていた。
彼は教育熱心ではあったが、生徒たちの受けはよくなかった。
まだ独身のチップス先生は、夏休みを利用して、イタリアへの旅に出かけた。
途中、ロンドンで1泊した際、俳優のキャサリン(ペトゥラ・クラーク)と知り合った。

そして、その後、ポンペイの遺跡で再会した2人の心は急速に打ち解けあった。
そしてあるパーティの席上彼女から愛を打ち明けた。
ブルックフィールドに戻った時、チップス先生のそばにはキャサリンがいた。
校長(マイケル・レッドグレイヴ)をはじめ学園中が目を丸くして驚いたが、たちまちキャサリンは人気者になってしまった。
しかし学校の有力者サタウィック卿(ジョージ・ベイカー)はチップスを学校から追い出すよう脅迫した。
キャサリンはこの強力な反対にあい、身を引こうとしたが、チップス先生の愛に支えられ、2人の幸福な生活が続いた。
そして、この頃から生徒達も、チップス先生の魅力にひかれはじめてきた。
だが、やがて戦争が始まり、キャサリンは空軍の慰問に出かけて行った。
チップス先生の校長就任が決まった時、彼女は帰らぬ旅路に発った後だった。
そして戦争は終わった。
チップス先生は生徒たちに別れを惜しまれながら職を退いた。

しかし町を去るにしのびず、学校の近くに居を構えることにした。
そして、そこには毎日のように、生徒の明るい顔がみられるのだった。
出典:
http://movie.goo.ne.jp/movies/p5864/story.html
写真はデンマン・ライブラリーより

『チップス先生さようなら』は、ジェームズ・ヒルトンが1934年に発表したイギリスの小説なのですよ。 僕は映画を観るまで知らなかったのだけれど、イギリスでは名作の一つだと言う事ですよ。

私は映画の名前も聞いたことがありませんわ。
1939年に初めて映画化されたらしい。 上の映画は、だから1969年にリメイクされたものです。 小百合さんが4つの頃だから知らないのも無理ないですよ。
チップス先生のお話も第2次世界大戦をはさんでのことですか?
いや、その前の第一次大戦ですよ。 チップス先生は全寮制男子校のパブリックスクールで教えることになった。 はじめは人気がなかったのだけれど、キャサリンと知り合ってから、チップス先生の人気が出るようになった。
この映画がどうしてデンマンさんには印象深いのですか?
あのねぇ~、実は、この映画を僕はエミリーさんと一緒に観に行ったのですよ。
ん。。。? エミリーさん。。。? カナダの映画館でですか?
いや。。。仙台ですよ。 僕が学生の頃ですよ。 エミリーさんというのはアメリカ人の18歳の金髪の女の子でしたよ。
あらっ。。。デンマンさんはアメリカ人のガールフレンドと付き合っていたのですか?
いや。。。残念ながら僕のガールフレンドではなかったのですよ。
誰のガールフレンドだったのですか?
僕の知る限り、エミリーさんは誰のガールフレンドでもなかった。 彼女は仙台のモルモン教会を建てた建築士の娘さんだった。 アメリカのユタから夏休みを利用して日本にやって来ていたのですよ。
デンマンさんは大学生の頃にモルモン教に入信していたのですか?
僕が。。。? まさか。。。? あのねぇ~、モルモン教会では信者を増やすための活動の一つとして無料の英会話教室を開いていたのですよ。
つまり、英会話を学ぶためにデンマンさんは教会に通っていたのですか?
そうですよ。 ユタ州にあるブリガムヤング大学(Brigham Young University)の学生が常時4,5人宣教師として派遣されていました。
その見習い宣教師の学生さんたちが、代わる代わる英会話の先生になってデンマンさんたちを教えていたのですか?
そうなのですよ。
エミリーさんも宣教師の見習いだったのですか?
いや。。。エミリーさんは信者だったけれど宣教師ではなかった。 お父さんが教会を建てた建築士だったので夏休みを利用してお父さんに会いにやって来ていただけなのですよ。 英会話教室の他にも社交ダンス教室があって、僕はその教室にも顔を出していた。
あらっ。。。デンマンさんは社交ダンスもできるのですか?
一通りそこで習ったのですよ。 エミリーさんも時々参加していましたよ。
つまり、デンマンさんはエミリーさんとも踊ったのですか?
そうですよ。。。うししししし。。。
それで。。。それで。。。デンマンさんは、エミリーさんにダンスしながらモーションをかけたのですか?
やだなあああァ~。。。僕は小百合さんが考えているほど手が早くありませんよ。
でも、どうして映画に一緒に出かけたのですか?
あのねぇ~、たまたま英会話教室の生徒のうちで映画の好きな人が一緒に仙台の一番町にあった松竹映画に『チップス先生さようなら』を観に行くことになったのですよ。


■『懐かしい杜の都』
■『杜の都の映画』

この上の写真が仙台の松竹映画館ですか?
そうです。 地図の①番にあったのですよ。 でもねぇ、残念ながら2001年に閉館になってしまいました。
エミリーさんも映画が好きだったのです。
そうです。
。。。で、エミリーさんと二人きりで観に行ったのですか?
もちろん、僕はエミリーさんと二人きりで行きたかったのですよ。 でもねぇ、残念ながらエミリーさんと二人きりではなかった。 余計な生徒もついてきたのですよ。 ほんとに残念でした。
。。。で、デンマンさんは映画館の中でエミリーさんにヤラシイ事をしたのですか?
ん。。。? やらしい事。。。?
そうですわ。。。かつてブルックリンでマリアさんとアンナさんとデンマンさんの3人で『エマニエル夫人』を観にいった時に、デンマンさんはヤラシイことをしたではありませんか!?
アンナさんとデンマン

ケイトー(デンマン)はマリアのことをずいぶんと見下していると思うわ。

いや。。。僕は決してマリアを見下したりしていないよう。
マリアはねぇ、こうしてあなたが私のところにやって来る事をすぐに感づいたのよう。だから電話をかけて寄越したのよう。
でも。。。でも。。。どうして分かったのかなぁ~?
ケイトーって見かけよりもオツムの回転が鈍(にぶ)いところがあるのね。
ん。。。?僕のオツムの回転が鈍い?
そうよ。映画館の中だって、あなたはマリアが気づいていないと思って私の手を握ったけれど、あの子はちゃんと気づいていたのよう。
どうしてアンナに分かるんだい?
マリアはあなたの右手を握っていたわ。ケイトーが左手で私の手を握れば、それは右手にも伝わって、マリアの手にも動きが伝わるものなのよう。あの子は横目であなたの動きを見ていたのよう。
でも、アンナは僕の手を無視してスクリーンに集中していたじゃないか!
分かっていたわよ。マリアがあなたの動きを横目で見ていたことも私には分かっていたわ。
まさか。。。?どうして。。。分かるんだい?映画館の中は暗かったじゃないか。
暗かったと言っても、映画を見始めれば目はその暗さに慣れてしまうものよう。ケイトーは私のことばっかり気にしていたから、マリアの事が分からなかったのよう。私には、あなたの事もマリアの事もちゃんと見えていたわ。
でも、マリアは一言もそのことを言わなかったけれど。。。
言う訳無いじゃないの。
どうして。。。?
見極めようとしていたのよう。
見極める。。。? 何を。。。?
あなたが私にチョッカイを出している事よう。
僕はふざけてアンナに接近した訳じゃないよう。。。。だったら、僕がマジでアンナの事を好きになってしまったことを、アンナだって分かっていたよね?
ええ。。。なんとなく。。。女の直感で分かっていたわ。
僕はマリアも“自由”を認めていたと思うけれど。。。
自由って。。。自由恋愛のこと。。。?
そうさ。。。だから、マリアは僕とアンナが二人きりで Lighthouse Beach に行くのを認めていたじゃないか。



本当は3人で行くはずだったのよう。もともと、マリアが言い出したことだったのよう。私がボーイフレンドと別れてふさいでいたから。。。でも、キャッシュの仕事がもらえて、マリアはスーパーのレジの穴埋めに出かけて行ったのよう。
なんだい。。。その穴埋めって。。。?
マリアが勤めていたスーパーで急に女の子が病気で出られなくなったのよう。それでマネージャーからお声がかかって、キャッシュで払うから来てくれって。。。
つまり、失業保険をもらいながらキャッシュで働くわけ。。。?
そうよ。。。持ちつ持たれつよ。マネージャーだって助かるし、マリアも臨時収入が入るでしょう?
マリアは僕とアンナが二人だけでビーチに行くことを知っていたんだ。
ケイトーはマリアが知らないと思っていたの?
僕はアンナが僕のために混浴露天風呂に案内してくれるものとばかり思っていたよう。
実はマリアが言い出したのよう。その時冗談半分で言ったものよ。“あたし、行けないけれど、ケイトーをあたしから取らないでね”って。。。
マジで。。。?
多分、こうなる事を予測していたのよね。
だったら、いいじゃないか。。。なるようになったのだから。。。
ダメよう。。。私はマリアを裏切る事ができないわ。
でも、アンナだって、結構、あの日ビーチで僕と一緒に楽しんでいたじゃないか?

だってぇ、もともとマリアが私のために言い出したのよう。私がボーイフレンドと別れて、ふさいでいたので、マリアが私を元気付けるために3人で Lighthouse Beach へ行こうと言う話だったのよう。 だから、私もマリアの気持ちがありがたかったので、素直にその気持ちを受けて、ケートーと久しぶりに愉快な時間を過ごしたのよう。
だからさぁ。。。今夜もその続きを。。。
ダメよう。。。調子に乗らないでよう。。。マリアの気持ちを裏切る事になるわ。
アンナって友達思いなんだねぇ~。。。僕は、ますますアンナの事が好きになってしまったよう。。。
『ブルックリンのエマニエル夫人』より
(2008年5月26日)
(すぐ下のページへ続く)
2011年05月15日
も~いいかい?(PART 2)
も~いいかい?(PART 2)

小百合さんは、このようなどうでもよい事はよく覚えているのですね?

デンマンさんの女性に対する行動のパターンが実によく現れているように思いましたから。。。
あのねぇ~。。。記事を面白くするために誇張して書いてあるのですよ。 このような行動パターンが僕の実際の行動パターンだと思わないでくださいよ。
つまり、上のお話は虚構ということですか?
いや。。。空想で書いたわけではありません。 3人で映画を観に行ったのは事実なのですよ。
だったら、デンマンさんがアンナさんの手を握ったことも事実なのでしょう?
だから。。。そこが誇張して書いてあるのですよ。
言い訳めいた事を言わないでくださいな。
あのねぇ~。。。どちらにしても手を握ることぐらいではヤラシイ事にはならないのですよ。
その先が問題なのですわ。
分かりました。 今日はヤラシイ事を話題にする記事ではないのですよ。 先へ進まなければならないのですから、その事はまたの機会に話しましょうね。
分かりましたわ。。。で、どうしてエミリーさんと映画に行ったことが印象的に思い出されてきたのですか? やっぱり、ヤラシイ事をデンマンさんがなさったから印象的に思い出したのでしょう?
やだなあああァ~。。。小百合さんはヤラシイ事にこだわりすぎていますよ。 あのねぇ~、僕がエミリーさんにヤラシイ事をしたから『チップス先生さようなら』を思い出したわけではないのですよ。
だから、どのような事があったのですか?
多分、その事を話しても小百合さんにはつまらない話だと思いますよ。
つまり、デンマンさん以外の人にはつまらないお話なのですか?
いや。。。英会話に興味のある人にとっては面白いと思うのですよ。
とにかく、せっかく言い出したのですから、前置きはもういいです。 全部話してくださいな。
あのねぇ~、エミリーさんが実によく泣いたのですよ。
映画を見ながらですか?
そうですよ。。。確かにジーンとくる箇所は2,3度ありましたよ。 でもねぇ、あれほど隣でメソメソ泣かれると、ちょっと白けますよ。
デンマンさんは女性が映画を観ながらメソメソ泣くのを見たことがないのですか?
ありませんでした。。。だいたい日本人は人前では泣かないし、泣いてもできるだけ人目に気づかないようにしんみりと泣きますよ。 ところがアメリカ人の泣き方は、ちょっと日本人にはオーバーに見えるのですよ。 日本人にとっては白けるほどオーバーなのですよ。 僕は内心では、「オイ! それ以上泣き声を出したらみっともないから止めろよな!」と叫びだしたい気持ちでしたよ。 しかも、ハンケチを出して“チーン”と鼻をかむのですよ。 うもお~~。
マジで。。。?
日本人だったら、いくら涙が出ても映画を観ながら音を出すほど鼻をかむ人はいませんよ!
そうですわね。。。
「オイ! もう一度そのような大きな音を出して鼻をかんだら他の人に迷惑がかかるから止めろよなア!」 僕は、そう言い出したくなる気持ちを必死に抑えましたよ。
どうして。。。?
そのエミリーさんが金髪で、とってもきれいな人だったのですよ。 うへへへへ。。。 そのような事を言ったら絶対に嫌われてしまいますまらね。。。
それはマジで、いじけた考え方ですわ。 きれいな女性であろうが優男(やさおとこ)であろうが、言うべき事は言うのがデンマンさんの考え方でしょう!?
もちろん、そうしたかったのですよ。。。でもねぇ、人間は不完全な生き物ですからね、男はきれいな女に弱いのですよ。
それで、デンマンさんはエミリーさんがオーバーに泣くのを黙って見ていたのですか?
そうですよ。 2度3度見ていたら、きれいな女性がメソメソ泣くのは見ていて悪くはないですよ。 相手が男だったら、多分僕は怒鳴っていましたよ! 「馬鹿野郎! こんな映画を見たぐらいで大の男が泣くなんてみっともないじゃないか! 他の人の迷惑になるんだ! 外へ出て行け!」 か弱い男だったら、僕はそう怒鳴っていましたよ。 うへへへへへ。。。
デンマンさん。。。それは、やっぱりヤラシイ考え方だと思いますわ。 つまり、喧嘩が強そうな男性に対してはじっと黙っているのでしょう?
それはそうですよ。。。映画を見に行って殴られたら詰まりませんからね。。。
分かりましたわ。。。デンマンさんってズルイところがあるのですわね?
人間は誰もが不完全な生き物ですからね。 強そうな男には、なかなか怒鳴ることができないものですよ。
分かりましたわ。 エミリーさんがメソメソ泣いたことが印象に強く残っていたのですわね?
いや。。。それも印象的だったけれど、もちろん他にも印象的なことがあったのですよ。
だから、どうでもよい事は省略して、その最も印象に残る事を話してくださいな。
あのねぇ~、映画を見た後でエミリーさんが僕に言うのですよ。
なんて。。。?
「私は日本人と映画を見ると白けるの。。。」 こう言ったのですよ。 僕は内心ではムカつきましたよ。 エミリーさんがオーバーに涙を流して泣いていたので僕は半分白けていたのですよ。
それで、エミリーさんはどうして白けたと言ったのですか?
あのねぇ、笑う時にも泣く時にも日本人は2呼吸から3呼吸遅れると言うのですよ。
どうして。。。?
日本人は字幕を見て笑いますからね。 英語がペラペラしゃべれる人なんて居なかったのですよ。 だから、日本人はまず間違いなく字幕を目で追っていた。 そう言う訳で、エミリーさんが笑ったり泣いたりするのよりも日本人は遅れて笑ったり泣いたりするのですよ。 当然な事ですよ。
それがエミリーさんにとっては白けたのですか?
そうなのですよ。
。。。で、デンマンさんもエミリーさんがオーバーに泣いたので白けたと言ったのですか?
言えませんよ。 そんな事を言ったら、もしかすると嫌われてしまうと思ったのですよ。
日本男児として恥ずかしくなかったのですか?
いや。。。だから。。。何と言うか。。。僕としては日本男児の心意気をエミリーさんに知ってもらおうと思って。。。
それでナンパしようとしたのですか?
やだなあああァ~。。。ナンパしようなんて日本男児として恥ずかしいことですよ。
。。。で、どうなさったのですか?
だから、僕は思い切ってエミリーさんと二人きりで話そうと思ってデートを申し込んだのですよ。
マジで。。。?
それが。。。しどろもどろになってしまってねぇ~。。。
あらっ。。。デンマンさんもあがってしまうことがあるのですか?
もちろんですよ。。。まだ純情なところがありましたからね。 うへへへへへ。。。
それでナンパできたのですか?
やだなあああァ~。。。ナンパしようとしたのではないのですよ。 日本男児の男意気をエミリーさんに知ってもらおうとしてデートの申し込みをしたのですよ。
それで、エミリーさんはオーケーしたのですか?
いやあああァ~。。。僕はすっかりあがってしまってねぇ~。。。「楽しい喫茶店があるのだけれど、一緒にコーヒーを飲みに行きませんか?」 薄ら笑いを浮かべながら、僕はなんとかそう言う事ができました。
エミリーさんは何と言ったのですか?

■『ん?セックスアピール?』
"Are you coming on to me by any chance?"

どういう意味なのですか?

その場の状況から考えて、「ひょっとして。。。ナンパする気なの?」 このような意味なのですよ。
それで。。。?
僕はエミリーさんの言ったことが分かったような。。。分からないような。。。薄ら笑いを浮かべていたのですよ。
つまり、エミリーさんもデンマンさんがナンパしようとしているのが分かっていたのですわね? それで、エミリーさんはデンマンさんのほっぺたを殴り飛ばしたのですか?
まさか。。。!? エミリーさんは涙もろい女性ですよ。 そのような乱暴な事はしませんよ。 僕の目の奥を覗き込むようにして "Are you serious?" こう言ったのですよ。
それで、デンマンさんは何と答えたのですか?
分かったような。。。分からないような。。。薄ら笑いを浮かべて、僕は「社交ダンス教室ではエミリーさんと踊って楽しい思い出がたくさんできました。 それで、お礼も兼ねて僕のお気に入りの喫茶店でご馳走します。 エミリーさんと、そのようなお付き合いをしても、いいのではありませんか?」 つまり、「も~いいかい?」 と尋ねたのですよ。
そしたら。。。?
ちょっぴりはにかみながら「まあだだよ」 と答えたのですよ。 うへへへへへ。。。
マジで。。。?
半分冗談ですけどねぇ。。。
【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
呆れますわ。
バカバカしいので、あたくしは『まあだだよ』のDVDを借りて観ることにいたしますわ。
あなたも観たくなったでしょう?
でもねぇ、『まあだだよ』も面白そうですけれど、あたくしはビートルズの方が、ずっと興味があるのですわ。
ええっ。。。あなたは、もうビートルズのことはウンザリしたのでござ~♪~ますか?
でもねぇ、あなたはウンザリしているかもしれませんけれど、あたくしはビートルズの熱烈なファンなのでござ~♪~ますもの。。。
うふふふふふ。。。

“キャ~ 素敵ィ~♪~”
またビートルズの事を持ち出してきたので、あなたは“んもお~~ またかよ!”と思っているのでしょう!?
そのような、つれない事は言わないでくださいましなァ。


日本も含めて世界中にビートルズの熱狂的な嵐が吹き荒れたのは、あたくしが生まれる以前のことでしたわ。
こうして、たびたびビートルズの事を持ち出したから、
あなたにとっては、面白くもなんともないでしょうね!?
ところが何度も何度も書いたので、あたくしはビートルズの夢をたくさん見るのでござ~♪~ますわ。
軽井沢の万平ホテルに行くと
ジョンレノンとあたくしがカフェテラスで会うような気が、マジでするのでござ~♪~ますう。
あなたも信じてよね。

滞在中のジョン・レノンは朝9時半ごろ、
このカフェテラスに下りてきたのですよ。
わたしたちに「おはようございます」と
日本語であいさつしたものですわ。
いつも庭に面した一番奥の席にすわって、
他のお客様には背を向けるような格好で
腰掛けていました。
ジョン・レノンのお気に入りは
ローヤルミルクティーでしたわ。

『幸福の谷』より
(2008年4月6日)
あたくしは万平ホテルのカフェテラスでマジでジョン・レノンとローヤルミルクティーをいただいている記憶が鮮明に甦ることがあるのでござ~♪~ますわ。
あなたは信じられないでしょう?
あたくしだって信じられないのですから。。。
おほほほほほ。。。
とにかく次回も面白くなりそうです。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。


ィ~ハァ~♪~!
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こんにちは。ジューンです。
あなたは映画が好きですか?
嫌いな人はめったに居ませんよね。
うふふふふふ。。。
わたしは寅さんの映画が好きですわ。
嫌いな人に言わせると、
“あんなワンパターンの映画のどこがいいの?”
と言います。
でも、そのリフレーンがいいのですよね。
歌でも同じ言葉やリズムの繰り返しが
イヤではなく、むしろ快く響く事ってありますよね。
寅さん映画のテーマの繰り返しは
例えて言えば、歌のリフレーンのように快く響きます。
基本的には人情喜劇なんですよね。
寅さんという「非日常」を登場させることによって、
社会や家庭、人間が持っている普遍的な悩みを
浮き彫りにさせ、家族のあり方や人間の生き方を
考えさせてくれるのですよね。
そう思いませんか?
自分の恋は成就しなくとも、
結果的に周りを幸せにする寅さんは、
ピエロとして描かれています。
寅さんという自由人は、
平凡な人にも幸せな気分を味合わせてくれるような
化学で言う“触媒(しょくばい)”ですよね。
自分は変わらないのに相手が変わって行く
“幸せの触媒”です。

ところで、卑弥子さんにもちょっと信じがたいような
恋物語がありますわ。
関心があったらぜひ次のリンクをクリックして
じっくりと読んでみてくださいね。
■『平助さんが卑弥子さんに
恋をしたのがウンのつき』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。


2011年05月08日
愛しの山河
愛しの山河



件名:連休楽しんでますか?
きゃはははは。。。

Date: Thu, May 5, 2011 12:33 pm.
Pacific Daylight Saving Time
日本時間: 5月6日(金曜日)午前4時13分
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
CC: barclay1720@aol.com
小百合さん元気ですか?
バンクーバーも春めいてきましたよ。
でも、残念ながら、今日は小雨です。
春雨じゃ、ぬれてゆこうですよ。
きゃはははは。。。
小百合さんは連休でルンルン気分ですか?
軽井沢で森林浴ですか?
それとも栃木の山小屋でコケの手入れでもしていますか?
伊豆の海辺をそぞろ歩いていますか?
もしかすると横浜の「港の見える丘」から太平洋を挟んでバンクーバーのイングリッシュ・ベイを幻視しているのかも。。。?
うしししし。。。
いづれにしても連休を大いに楽しんでね。
たまには行田の「さきたま古墳公園」へ行って、小百合さんと一緒に生八ツ橋を食べながらローズティーを飲んだ、あの休息パビリオンでのんびりと半日過ごしたら?
腹が減ったら道路を隔てた向かいにある「田舎っぺ」の店に入って僕の分まで「きのこ汁うどん」をたらふく食べてね。

それに、すぐそばにゼリーフライを売ってる「さかもと」もあるから、小百合さんも退屈しませんよ。

でも、もう桜はすっかり散っているかもね。
バンクーバーは遅咲きの桜がまだ咲いていますよ。
日本は連休でもカナダはいつもの週と変わりがありません。
ただ、春めいてきたので気分的にはルンルンです。
春はやってきたけれど、特に旅行をしたいという気分にはなりません。
ブログの記事を書くのに疲れると、マンネリを打ち破るために日本映画のDVDを図書館で借りて観ていますよ。
昨日(5月4日)は「シルヴィーとネット革命」の下書きを書き終えてから黒澤明監督作品“DERSU UZALA”(1974年制作)を観ました。

15年ほど前に初めて観た時には、つまらない映画だと思って印象的に残ったシーンは、全く一つとして無かったのだけれど1975年のアカデミー賞外国部門で賞をもらっているほどだから、僕が見逃している所があるに違いないと思って改めて観る気になったのですよ。
大学時代にロシア語を習ったけれど、ほとんど忘れてしまって、英語の字幕を見ないと内容が分からなかった。
でも、今回は感動する部分がありました。
この映画は高齢化社会向けの映画だよね。
ある程度年をとらないと映画の良さがじっくりと理解できないと思うね。
若者向きの映画じゃない!
5月3日の晩には「憂国と英語」を投稿した後で、黒澤明の脚本を基にして作った熊井啓監督の『海は見ていた』を観ました。
原作は山本周五郎の「何の花か香る」と「つゆのひぬま」です。

10年ほど前、僕は山本周五郎作品にハマッていた時期があってUBC(ブリティッシュ・コロンビア大学)のアジア図書館に通って全集をすべて読みまくりました。
映画を観ながら原作を思い出して懐かしく観ることができましたよ。
今日(5月5日)は、さっきDVDの棚を見たら市川崑監督の記録映画『東京オリンピック』が目に付いたので借りることにしました。
東京オリンピックは1964年なんだよね。
小百合さんが生まれたのはその翌年。
それを思うと世代の差を感じますよ。
きゃはははは。。。

でも、気持ちだけは小百合さんとの世代の差を感じませんよ。
つまり、小百合さんも僕も若いということですよ!
そう言う訳だから、小百合さんも軽井沢タリアセン夫人として、この5月の連休をルンルン気分で楽しく過ごしてね。
時間があったら次の記事を読んでみてね。
小百合さんへのメールを使ってますよ。

■『運命を天に任せて』
(2011年5月2日)
タグ: マグニチュード, 福島原子力発電所, 運命を天に任せて, 自然災害, 自然災害被災者, 震源地, 被災者救援, 大地震, 大津波, 津波
カテゴリー: アクセス解析, アメーバブログ, デンマンさんが登場, ニュース・時事問題, バンクーバー, 環境汚染・自然破壊, 自然・環境・植物, 行田市, 卑弥子さんが登場, 国際化・グローバル化, 国際協力・国際支援, 地球物理・宇宙科学, 地震・津波・自然災害, 小百合さんが登場, 小百合物語< /a>, 日本人・日本文化・生活様式
URL: http://wp.me/pKmp5-1Lf
じゃあね。


どうですか、小百合さん。。。「さきたま古墳公園」をそぞろ歩いた頃が懐かしくありませんか?

そうですわねぇ。。。
なんだか懐かしくなさそうですね?
いえ。。。とっても懐かしいですわ。
マジで懐かしいのなら、もっとルンルン気分で喜んでくださいよ。
手放しで喜べない事がいろいろとあって。。。でも、こうして改めて「さきたま古墳公園」の写真を見ると本当に懐かしくなってきますわ。 「さかもと」で買って食べたゼリーフライの味が思い出されてきましたわ。




また出かけてみたいですわ。

出かけてくださいよ。 僕は休憩パビリオンで小百合さんが入れてくれたローズティーを飲みながら生八ツ橋を食べたことをまるで昨日のように思い出すのですよ。




そうですわね。。。私ものんびりとローズティーでも飲みながら生八ツ橋を食べたいですわ。

小百合さんは栃木に居るのだから、出かける気になればいつでも「さきたま古墳公園」に行けるでしょう?
でも、子供が学校で問題を起こして「さきたま古墳公園」へ行く気分ではないのですわ。
あのねぇ~、子供の世界で子供はいろいろと悩んでいるのだから、小百合さんまでが子供と一緒に悩んでも仕方がないのですよう。
そうでしょうか?
そういう時には母親はおおらかな気持ちで子供を温かく見守るのですよ。 子供が母親の笑顔を見てホッとするような、そんな場を作ってやることですよ。 家に帰ってきて母親の笑顔を見ると子供はホッとして安心できる。 家に帰って来た時ぐらい子供は学校での嫌な事を忘れたいのですよ。 小百合さんにだって、そんな子供の頃があったでしょう?
確かに、言われてみればそうかもしれないけれど、うちの子供は手に負えないのですわ。
あのねぇ~、母親がそう思ってしまってはダメですよ。 先生や友達がダメな奴だ!と思っていても、小百合さんだけは常に子供の味方をしてやらないと。。。そうでないと、子供がホッと一息つく場所がまったく無くなってしまうでしょう。 子供をますます追い込む結果になってしまいますよ。
でも、子供の味方になるということは甘やかすことになりますわ。
でもね、子供が孤立してしまって、さらに母親がガミガミ小言を言ったら子供はますますひねくれてしまいますよ。 最悪、自殺に追い込んでしまうかもしれませんよ。
そうでしょうか?
だからねぇ、悪い事を言わないから、そういう時には小百合さんが自分の気持ちを静めるのですよ。 冷静になって子供を温かく見守るつもりになるのですよ。
でもねぇ~。。。なかなか、そのような温かな気持ちになれないのですわ。
そういう時には映画でも見るのですよ。
Dersu Uzala のような映画ですか?
いや、Dersu Uzalaは高齢化社会向けの映画だから小百合さんにとっては、あまり参考にならないと思いますよ。
じゃあ、東京オリンピックの映画ですか?
いや。。。1964年の記録映画を見てもあまり参考にはならないでしょうね。
だったら、『海は見ていた』ですか?
そうですね。。。上の3つの映画の中では『海は見ていた』が一番小百合さんにとって癒しになる映画だと僕は思いますよ。
どういうお話なのですか?
次のような話なのですよ。
『海は見ていた』

あらすじ
江戸・深川の岡場所にある日、一人の若い侍(吉岡秀隆)が逃げ込んでくる。
刃傷沙汰を起し追っ手に追われているという。自らの居室にかくまった娼婦のお新(遠野凪子)は、その後も何かとお新の元に通う侍に恋をするが、若侍はただ居心地がいいから通っていただけで恋心など毛頭ない事を知り打ちひしがれる。
やがて、貧困ゆえに過酷な人生を歩んできた町人・良介(永瀬正敏)と再び恋に落ちるが、ある嵐の夜、置屋で度々問題を起していた客が娼婦の姉さん分である菊乃(清水美砂)をめぐって暴れだす。
そこに居合わせた良介は人の良さから止めようとして問題を起した男と激しく揉み合い殺してしまう。
誰の目にも非は問題の男にあることは明白であったが、役人の処罰は必至であり、既に将来を約束するお新と良介は一転、悲劇へと突き落とされてしまう。
しかし、折からの豪雨が激しさを増し、海から溢れた水がついには岡場所全体を飲み込んでしまう。
お新・菊乃・良介はそれぞれ避難するが、見渡す限り水没した町の景色は、まるで、過酷な人生を歩んできた二人を海が見守っていたかのごとく、事件の証拠を全て隠してしまうのであった。
エピソード
•元々黒澤明監督により撮影される予定であったが、ラストの洪水のシーンで莫大なコストがかかることが原因で、製作に至らなかった作品である。
後年、遺志を継いだ熊井監督の手で、黒澤の本来の意図よりは縮小した形だが、東宝の砧撮影所の撮影用大型プールを使い撮影が実現した。
黒澤はお新=宮沢りえ、菊乃=原田美枝子のキャスティングで撮影するつもりであり、二人には脚本も渡されていた。
なお房之助=吉岡秀隆は黒澤の意向通りの配役である。
•脚本の前半と後半のエピソードのつながりに問題があると指摘(黒澤久雄)されたため、黒澤は脚本をさらに改稿するつもりだったが、製作実現の目途が立たなかったためにそのままになっていた。
そのためもあり、クレジットには明記されてないが熊井啓が脚本に自ら手を入れている。
•黒澤が全編ラブストーリーで構成される作品を執筆したのは大変珍しく、映画の予告編では「最後に黒澤が撮りたかったのはラブストーリーであった」とセンセーショナルに紹介した。
•建物のセットや衣装、小物、髪結方法まで徹底的にリアリティを追求し、また江戸の粋といった時代風俗も丹念に描いた作品であり、ストーリーだけでなく映像の美しさや歴史考察の上でも完成度が高い作品といえる。
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岡場所の映画ですか?

確かに娼婦の話なんだけれど、黒澤監督が脚本を書いて映画にしようとしたほどの作品だから、ただの娼婦の物語ではないのですよ。 山本周五郎さんが書いた原作を僕は読んでいたから、どのように映画にしたのだろうかと興味津々(しんしん)で観ました。 ほぼ原作通りでしたよ。 いい映画でした。
。。。で、私が見ても参考になるのですか?
もちろんですよ。
どのようなところがですか?
あのねぇ~、上のあらすじの中には書いてないけれど、僕が考えさせられたのはヒロインの「お新」ではなく「菊乃」の生き方ですよ。
菊乃さんってぇ、どういう女性なのですか?
姉御肌(あねごはだ)でしっかり者ですよ。 ただし、あまりにも不幸な人生を経てきたので現実の世界を認めることができない。 つまり、その点で三島由紀夫の生き方と共通するところがある。
でも、三島さんは、あまりにも不幸な人生を経てきたわけではないでしょう?
確かに表面的には不幸ではないかもしれないけれど精神的には極めて不幸な人生でしたよ。
どう言う訳で。。。?
つまり、三島さんにとって現実の人生は終戦の時に終わってしまった。 少なくとも三島さんはそう信じ込んでいた。
三島由紀夫の世界

三島由紀夫の遺作となった小説『豊饒の海』第一巻『春の雪』は、作者が美智子妃への思いをもとに、想像力の赴くままに書き上げた私小説である。
その結末は破天荒で、これが戦前ならば不敬罪に当たることを、作者は百も承知で書き進めた。 そしてその頃、生涯の計画として、人の意表を衝く「死に場所」を求めていた三島は、その完成の日こそ己れの自決の日であると、秘かに心に決めていた。

その執筆と併行して彼が組織した「楯の会」は、“左翼革命”が起こるであろう日、自衛隊を先導して、硝煙けむる二重橋を渡り、火傷するほど熱い握り飯を捧げ持って、意中の人に献上するための私兵であった。
ところが、三島の期待に反した“左翼革命”は、待てども起こらなかった。
昭和43年、44年と学生デモ隊は警察機動隊の力で徹底的に鎮圧され、自衛隊の出動は見送られ、憲法改正の機会も見失われて、ついに「楯の会」は栄えある出陣の場を失ってしまったのである。
三島由紀夫が自由に生きた時代、それは昭和20年8月15日、敗戦の日で終わった。
次郎 …女はシャボン玉、お金もシャボン玉、名誉もシャボン玉、そのシャボン玉に映っているのが僕らの住んでいる世界、そんなこと、みんな知ってらあ。
菊 ただ言葉で知っておいでなだけでございますよ。
次郎 うそだ。 僕はみんな知っちゃったんだよ、だから僕の人生は終わったのさ。
(『邯鄲(かんたん)』昭和25年)
三島は、現人神(あらひとがみ)が「人間天皇」となった昭和の御代(みよ)を怒り、呪った。
大正10年(1921)11月25日は皇太子裕仁が大正天皇の摂政に就任し、事実上、昭和の御代が始まった日であるが、三島はこの11月25日という日を決行の日に選び、自衛隊に突入したのではないかと考えられる。
(中略)
現代において、何かを創造するには、歴史感覚の欠如や社会性への無視は許されないが、三島が生涯にわたって愛読した『葉隠』には、ある種の時代錯誤を感じないではいられない。 この書は、真の武士道とはほど遠く、三島の人生誤算の大きな原因となったのではあるまいか。
(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)
280 - 283ページ
『三島あるいは優雅なる復讐』
2010年8月26日 第1刷発行
著者: 高橋英郎
発行所: 株式会社 飛鳥新社
『アナクロニズム』に掲載
(2011年3月27日)

三島さんは現実の世界に失望して生きるために「今一つの世界」を創造したのですよ。
今一つの世界

ここにもし、それらのものとは全く違った、また目新しい、「今一つの世界」があって、魔法使いの呪文か何かで、パッと、それがわれわれの目の前に現れたなら、そして、たとえば竜宮へ行った浦島太郎のように、その世界で生活することができたなら、われわれはまあどんなに楽しく生甲斐のあることでしょう。
でも、われわれは浦島太郎にはなれっこない。そんな「今一つの世界」なんてあるはずもなく、そこへ住むなんて思いもよらぬことだ。われわれはやっぱり、このきまりきった、面白くもない日常茶飯事を繰り返して行くほかに生き方はないのだ、とおっしゃるのですか。だって「今一つの世界」を求めるわれわれの欲望の烈しさは、どうして、そんなことをいってあきらめていられるものではないのですよ。
ご覧なさい。子供がどんなにお伽話をすくか、青年がどんなに冒険談をすくか、それから大人のお伽話、冒険談は、たとえばお茶屋の二階、歌い女、幇間(ほうかん)。それぞれ種類は違っても、われわれは一生涯、何か日常茶飯事以上のもの、「今一つの世界」を求めないではいられぬのです。お芝居にしろ、音楽にしろ、絵画にしろ、小説にしろ、それらはみな見方によっては、人間の「今一つの世界」への憧憬から生まれたものではありませんか。
暑中には避暑をする。それは何も暑さを避けるためばかりではないのです。われわれはここでも「今一つの世界」を求めている。飽き果てた家庭を離れて、別の世界へ行きたがっているのです。
もろもろの科学にしても、やっぱり人間のこの欲望の現われではないでしょうか。例えば天文学者は星の世界に憧れているのです。歴史家は遠い昔の別世界に思いを寄せているのです。動物や植物の学問はもちろん、生命のない鉱物にだって、薬品にだって、やっぱり「今一つの世界」を見出すことができないでしょうか。
古来のユートピア作者達が、それを夢見ていたことは申すまでもありません。さらにまた宗教ですらも、天上の楽園と言う「今一つの世界」に憧れているではありませんか。
ある型に属する小説家は、誰しも同じ思いでしょうが、わたしもまた、わたしの拙い文字によって、わたし自身の「今一つの世界」を創造することを、一生の願いとするものでございます。

江戸川乱歩(左)と三島由紀夫
(130 - 132ページ)
江戸川乱歩全集 第30巻 「わが夢と真実」
光文社文庫 2005年6月20日 初版1刷発行
『上流夫人 (2008年8月30日)』に掲載

三島さんにとっての「今一つの世界」が『葉隠』の世界ですか?

そうですよ。 その「今一つの世界」を三島さんは自分で映画にしたのですよ。 それが『憂国』です。




。。。で、『海は見ていた』の菊乃さんは、三島さんのように「今一つの世界」を作り上げたのですか?

そうなのですよ。
菊乃さんの「今一つの世界」ってどういうものなのですか?
菊乃さんは貧しい農家に生まれ育って惨めな生活を送り、結局、女郎屋に売り飛ばされてしまった。 もう生きる希望も張り合いもない。 でも、死にたくはない。 しかし、現実の世界で女郎として生きてゆくにはあまりにも自分が惨め過ぎる。
それで菊乃さんは、どのような「今一つの世界」を作り上げたのですか?
旗本の武家屋敷に生まれて結婚し、子供ができた。 でも夫の不始末によってお家が取り潰されてしまった。 しかたなく子供は里子に出して菊乃さんは借金を返すために女郎に身を落として働くことになった。
それが菊乃さんの作り出した「今一つの世界」なのですか?
そうなのですよ。 お新さんにも、同僚の女郎にも、女郎屋の女将(おかみ)さんにも、それが自分の生い立ちだと告げていた。
そういう「今一つの世界」を信じなければ、菊乃さんには生きる張り合いがなかったのですか?
そうなのですよ。
最後の最後。。。ラストの洪水のシーンで、お新さんと菊乃さんは屋根の上で助けを待つのだけれど、もう死ぬのを覚悟した菊乃さんは本当の事をお新さんに打ち明けるのですよ。 やがて良介さんがお新さんを探しに小船でやってくる。 しかし、あいにく小船には二人しか乗れないのです。 菊乃さんは、はお新さんと良介さんを見送りながら「ああ、これでさっぱりしたわ!」。。。そう言って一人で死んでゆくのです。
なんだか、悲しいお話ですわ。。。で、その結末が今の私にとって参考になるのですか?
そうですよ。 小百合さんの子供は学校で問題を起こしても、やがては一人で生きてゆく。 どう考えたって、お新さんや菊乃さんよりも小百合さんの子供の方がずっとよい境遇なのですよ。 つまりねぇ、小百合さんが子供のことで必要以上に心配するのは意味のないことですよ。 それよりも小百合さん自身の人生を考えた方が、子供にとっても小百合さんにとってもベターなのですよう。。。僕は、メールを書いた後で小百合さんの事を考えながら、そう思ったのですよ。
【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
こうなったら、あたくしも絶対に『海は見ていた』をDVDを借りて観ますわよう。
あなたも観たくなったでしょう?
でもねぇ、娼婦の話よりも、あたくしはビートルズの方が、ずっと興味があるのですわ。
とにかく、あたくしはビートルズの熱烈なファンなのでござ~♪~ますもの。。。
うふふふふふ。。。

“キャ~ 素敵ィ~♪~”
またビートルズの事を持ち出してきたので、あなたは“んもお~~ またかよ!”と思っているのでしょう?


でもねぇ、日本も含めて世界中にビートルズの熱狂的な嵐が吹き荒れたのは、あたくしが生まれる以前のことでしたわ。
こうして、たびたびビートルズの事を持ち出したら、
あなたにとっても、面白くもなんともないでしょうね!?
ところが何度も何度も、あたくしはビートルズの夢を見るのでござ~♪~ますわ。
軽井沢の万平ホテルに行くと
ジョンレノンとあたくしがカフェテラスで会うような気が、マジでするのでござ~♪~ますう。

滞在中のジョン・レノンは朝9時半ごろ、
このカフェテラスに下りてきたのですよ。
わたしたちに「おはようございます」と
日本語であいさつしたものですわ。
いつも庭に面した一番奥の席にすわって、
他のお客様には背を向けるような格好で
腰掛けていました。
ジョン・レノンのお気に入りは
ローヤルミルクティーでしたわ。

『幸福の谷』より
(2008年4月6日)
あたくしは万平ホテルのカフェテラスでマジでジョン・レノンとローヤルミルクティーをいただいている記憶が鮮明に甦ることがあるのでござ~♪~ますわ。
あなたは信じられないでしょう?
あたくしだって信じられないのですから。。。
おほほほほほ。。。
とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。


ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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下着・ランジェリーを見つけませんか?』
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別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』
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■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』

■『夢とロマンの横浜散歩』
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■『下つきだねって言われて…』

■『銀幕の愛』

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■『アナクロニズム(2011年3月27日)』

こんにちは。ジューンです。
デンマンさんはコラージュの名人ですわ。

これもコラージュで、でっち上げたのですわ。

この上のサイクリングの写真は次のようにして
コラージュしたのですわ。

この上の写真がバックグラウンドになるのです。

この写真から3人のサイクリストを取り出します。


余計な部分を取り除きます。
そして一人をコピーして描き加えます。
それから背景の上に重ね合わせます。

わたしも、おばさんパンツを穿かせられて
何度となくデンマンさんのブログに
登場していますけれど、
すべてコラージュですわ。

これもコラージュです。
実物のわたしは、もう少し
太っているのですわ。
うふふふふふ。。。
写真を撮ってお見せできるような
スタイルではありません。
減量してスマートになったら、
実物のわたしをお見せできると思います。
期待しないで待っててくださいね。
ところで、卑弥子さんが面白いサイトを
やっています。
興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして
覗いてみてくださいね。

■『あなたのための笑って幸せになれるサイト』
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ


タグ :愛しの山河
2011年04月04日
星空の記憶(PART 1)
星空の記憶(PART 1)


(須田剋太画伯は)2歳のころ、母君に抱かれて隣村の祭礼に行き、帰路が夜になった。
満天の星が、金の鋲(びょう)のように大きかったということを、70歳前にモンゴル高原に行って、包(パオ)のなかで夜になったとき、突如、画家はきのうのことのように思いだした。
噴きあがるような感情とともに、この人は星の下でそのことを夢中で私に話した。
(注: 写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)
108ページ
『別冊 太陽 日本のこころ - 130
司馬遼太郎』
2004年8月20日 初版第1刷発行
編集人: 湯原公浩
発行所: 株式会社 平凡社

デンマンさん。。。「夜空の記憶」って須田剋太(こくた)画伯が2歳の頃に見た星空の記憶ですか?

うん。。。まあ、そう言う事なのだけれど、僕は「2歳のころ見た星空が、突如、思いだ」されたというところにハッとしたのですよ。
どうしてですか?
2歳というのは、須田さんの年頃の人が言うのだから、多分、数え年だと思うのですよ。 そうであるならば、満1歳ですよ。
満1歳が重要なのですか?
あのねぇ、「三つ子の魂百までも」と言うでしょう!? 三歳未満の子供には記憶がないんだ、というようなことを僕はしばしば耳にしたことがある。
デンマンさんには1歳のころの記憶があるのですか?
あるのですよ。。。その事について以前に記事を書いたことがあるのですよ。 小百合さんも読んでみてください。

あのねぇ~、僕が覚えている最も古い記憶というか。。。思い出が、母親の背におんぶされて観た映画なのですよう。

つまり、一才に満たないで観た映画をデンマンさんは未だに覚えているのでござ~♪~ますか?
そうなのですよう。
でも、一才までの記憶は思い出に残らないと言いますわ。
僕も、そのような事を聞いたことがありますよう。でもねぇ、なぜか鮮明に覚えているのですよう。間違いなく母親の背中におんぶされて見た映像でした。
どの映画館で見たのかも覚えているのでござ~♪~ますか?
覚えていますよう。「大正座」という映画館でした。おそらく、名前から判断して大正時代にできたのだと思いますよう。当時、行田市には映画館が3つあったと思うのです。現在の行田市駅の前に「中央映画館」があった。 また、中央小学校から歩いて10分ぐらいのところに「忍館(しのぶかん)」という映画館がありました。 僕が中学生になる前に、どの映画館も廃業して取り壊されたと思うのですよう。
どうしてですか?
テレビが普及したので映画館に映画を見に行く人が激減したので、もう商売にならなかったのですよう。 僕の家では、僕が小学校3年生のときにテレビを買いました。 だから、その後映画館に行ったことがなかった。
中学生のときには、全く映画館に行かなかったのでござ~♪~ますか?
一度だけ熊谷市の熊女(熊谷女子高校)のすぐそばにあった「文映」にジェームズボンドの「ゴールドフィンガー」を見に行ったと思うのですよう。
その時だけですか?
そうですよう。 高校の時には映画館に行った記憶がなくて、大学になってからですよう。 洋画を映画館で見るようになったのは。。。
高校3年生の恵子さんとデートした時に観た映画が「ベンハー」だったのでござ~♪~ますか?
そうですよう。次の記事で書いたとおりです。
■ 『杜の都の映画 (2009年3月8日)』
■ 『杜の都のデート (2009年3月10日)』
デンマンさんのお母様はデンマンさんをおんぶしながら一人で観に行ったのですか?
もちろん、その当時、母親が一人で映画を見に行くなんて、できませんでした。
どうして。。。?
まだ1ドルが360円の時代でした。 自由化前の、日本がまだ貧しかった時代ですよう。 経済大国を目指して、日本中のお父さんやお母さんが一生懸命働いていた時代です。 僕が赤ん坊の頃には、核家族は多くはなかった。 おばあさん、おじいさんが、たいていの家に居たものですよう。
つまり、嫁と姑の問題などがあった時代なのですね?
そうですよう。 だから、嫁が一人で映画を観て遊んでいる事なんて、中流階級以下の家庭ではまずできなかった。
。。。で、デンマンさんのお母様はどなたと映画を見に行かれたのですか?
だから、僕の祖母ですよう。。。今から思い出すと、羽生市に住んでいた僕の伯母(僕の父親の姉)が、遊びにやって来た時だったと思うのですよう。
つまり、お母様はデンマンさんを背負いながら、おばあ様と伯母様と一緒に映画を観に出かけたのですか?
そうですよう。僕の母親が映画館に行った事なんて、その時が初めで最後だったと思うのですよう。
。。。んで、その時観た映画って、いったいどのようなものだったのでござ~♪~ますか?
『愛染かつら』ですよう。
その題名まで覚えていたのですか?
もちろん、その時には、覚えていませんよう。 第一、1才未満じゃ字が読めませんからね。うしししし。。。
どうして題名を覚えていたのでござ~♪~ますか?
白樺林の中を白衣を着た医師と看護婦がなにやら悲しそうに向き合っている。。。そのシーンだけが一才に満たない僕のオツムのスクリーンに焼きついたのですよう。
それで、そのシーンから、大人になって題名を推測したのですか?
そうなのですよう。 白樺林と白衣を着た男女。。。その映像が、なぜか僕の記憶に焼きついたのですよう。 しかも、『愛染かつら』という映画は太平洋戦争前に空前のヒットを飛ばした映画だったのですよう。
あのォ~。。。デンマンさんは戦前生まれでござ~♪~ますか?
やだなあああぁ~。。。僕は戦後生まれですよう。 終戦後、何の娯楽もなくて、ようやく食糧難も収まって、娯楽が何もなかった町に映画館が復興し始めた。 それで、戦前のヒットした映画を見せ始めたのだろうと思うのですよう。
『愛染かつら』という映画は、それ程ヒットしたのでござ~♪~ますか?
もちろん、戦前の事は、僕は生まれてないのだから知る由もないけれど、大学生になって記憶を確かめようと思って映画史を見たら『愛染かつら』が出ていた。 あらすじを読んだら、すぐに白樺林の中を白衣を着た医師と看護婦が向き合っていたシーンが、ありありと僕の記憶に蘇(よみがえ)ってきましたよう。
『愛染かつら』

上原謙(加山雄三の父親)、田中絹代主演で一世を風靡した松竹製作のヒット映画。
1938(昭和13)年に作られた。
【あらすじ】
津村病院に勤務する美人の高石かつ枝は、よく働き仲間からも好かれ看護婦の仕事に励んでいた。
病院長の長男である若い医師・津村浩三は彼女の人柄と美しさに強くひかれる。
かつ枝には若いころ死別した夫との間に6歳になる女の子がいた。
しかし、かつ枝は浩三にも仲間たちにも秘密にして、姉夫婦に預け自活の道を歩んでいた。
休日のある日、公園で親子の姿を仲間の看護婦に見られ、子供があることがばれてしまう。
そのことが職場の仲間たちの噂になり、かつ枝は子持ち勤務のことでののしられ、その誤解を解くために看護婦仲間の前で自分の身の上を説明する。
かつ枝は早くから親同士のゆるした許婚(いいなずけ)があった。
かつ枝が18の時、父がある事業に失敗すると、それがもとで婚約もそのまま解消しなければならないことになった。
その時、婚約者は一家の反対を押し切ってかつ枝を連れて東京へ出てゆく。
でもその結婚生活は決して幸せではなかった。
結婚して一年経った19の春、夫はその頃はやった悪い風邪におかされ、たった4,5日床について亡くなってしまう。
その時かつ枝は妊娠8ヶ月の身体だった。
子供が生まれると姉夫婦に預けて、かつ枝は看護婦募集に応募する。
幸いにも合格して、津村病院に勤務することになったのだった。
かつ枝の身の上話を聞くと同僚の看護婦たちは、それまで彼女をののしったことを後悔し、かえって同情するようになる。
ある日、津村病院院長の息子・津村浩三の博士号授与祝賀会が開かれる。
アトラクションの席上で、高石かつ枝は独唱することになった。
かつ枝は無伴奏で歌う予定だったけれど、突然、浩三がピアノの伴奏を申し出る。
こうして、かつ枝は浩三のピアノ伴奏で「ドリゴのセレナーデ」を独唱した。
そんなある日、車での往診の帰りにかつ枝は浩三に誘われて外に出た。
月光の美しい夜だった。
浩三の菩提寺は谷中の墓地を抜ける途中にあった。
浩三にさそわれ、かつ枝は菩提寺へむかった。
その菩提寺には本尊よりも名高い「かつらの木」があった。
その気のそばに愛染堂があった。
本尊は愛染明王。
昔から「愛染カツラ」と言われて、その木につかまりながら恋人同志が誓いをたてると、一時は思い通りにならなくても将来は必ず結ばれるという言い伝えがあった。
浩三にうながされ、二人はこの愛染かつらの樹に手を添えて永遠の愛を誓うのだった。
しかし、しょせんは病院の後継者と看護婦。
その当時のことだから二人はそう簡単に結ばれない。
母から反対された浩三は、二人で新しい生活に踏み切るべく家を出て京都で結婚することを決意する。
だが、京都に向かおうとした丁度その夜、娘の敏子がハシカで高熱を出し新橋駅での待ち合わせ時間に遅れてしまう。
新橋駅の階段を駆け上がる彼女の目の前を、浩三を乗せた列車は発ち去ってゆく。
ここで霧島昇、ミス・コロンビアが歌う、あの有名な主題歌「旅の夜風」の前奏が始まり、哀しいすれ違いのうちに前編が終わる。
「旅の夜風」
作詞: 西條八十
作曲: 万城目正
唄: 霧島昇、ミス・コロンビア
1 花も嵐も 踏み越えて
行くが男の 生きる途(みち)
泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
月の比叡(ひえい)を 独(ひと)り行く
2 優しかの君 ただ独り
発(た)たせまつりし 旅の空
可愛い子供は 女の生命(いのち)
なぜに淋しい 子守唄
3 加茂の河原に 秋長(た)けて
肌に夜風が 沁みわたる
男柳が なに泣くものか
風に揺れるは 影ばかり
4 愛の山河(やまかわ) 雲幾重(くもいくえ)
心ごころを 隔てても
待てば来る来る 愛染かつら
やがて芽をふく 春が来る

デンマンさんは上のあらすじを読んで、幼児の時、お母様の背中におんぶされて観た映画が『愛染かつら』だと分かったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。それ程有名な映画だったからこそ、お袋も見に行ったのでしょうね。とにかく、僕が記憶する限り、お袋が映画館に行ったのはその時が最初で最後ですよ。もちろん、お袋と映画館へ行ったのも、その時一度だけです。
でも、本当にそのような事があるのでしょうか?
僕だって信じられないほどですよう。でもねぇ~、背中におんぶされて観たということだけは、はっきりと覚えている。背中におんぶされるくらいだから、まず一歳未満ですよね。
そうでしょうね。
。。。んで、白樺林の中を白衣を着た医師と看護婦がなにやら悲しそうに向き合っているシーンだけしか覚えていないのですか?
そうなのですよう。それ以外のシーンは全く覚えてないのですよう。


あららあああぁ~。。。この上の写真はデンマンさんと小百合さんでござ~♪~ますわ。

僕の記憶にあるイメージをコラージュして作ってみたのですよう。ちょうどこんな感じなんですよう。若先生の津村浩三と看護婦の高石かつ枝が、このようにして病院の裏の白樺林で、人目を盗んで会って話をしている場面なのですよう。
。。。んで、この映画は誰の小説を基にして脚本が書かれているのでござ~♪~ますか?
第一回の直木賞を受賞した川口松太郎が書いた「愛染かつら」を基にしているのですよう。
映画のストーリーは小説の内容と同じですか?
僕は原作を読んだことはないけれど、ほとんど変わらないようです。
『おんぶされて観た映画』より
(2009年4月29日)

つまり、1歳のころの記憶も残るものだということを須田剋太(こくた)画伯のお話から改めてデンマンさんは確信したのですか?

そうなのですよ。
ただ、そのことを言うためにこの記事を書き始めたのですか?
もちろん、それだけではありません。
他にどのような理由があるのですか?
あのねぇ、須田画伯は僕の高校の先輩なのですよ。 もちろん、須田画伯が在学した当時は旧制の熊谷中学だった。
須田剋太(こくた)

(1906年5月1日 - 1990年7月14日)
当初具象画の世界で官展の特選を重ねたが、1949年以降抽象画へと進む。
力強い奔放なタッチが特徴。
司馬遼太郎の『街道をゆく』の挿絵を担当、また取材旅行にも同行した。
道元禅の世界を愛した。
略歴
•1906年
埼玉県北足立郡吹上町(現:鴻巣市)で、須田代五郎の三男として生まれる。
本名 勝三郎。
•1927年
埼玉県立熊谷中学校(旧制、現・埼玉県立熊谷高等学校)卒業。
その後浦和市(現:さいたま市)に住み、ゴッホと写楽に傾倒する。
東京美術学校(現東京芸大)を4度受験するもいずれも失敗。
独学で絵を学ぶ。
•1936年
文展で初入選。
•1939年
文展で「読書する男」が特選。
•1949年
抽象絵画の旗手長谷川三郎と出会い、国画会に入り抽象画の道へ進む。
•1950年
森田子龍編集の「書の美」に論文を発表する。以後「墨美」や墨人会同人との交流を通して書に深く傾倒。
•1955年
第3回日本抽象美術展に出品。
•1957年
第4回サンパウロ・ビエンナーレ国際美術展に出品。
•1960年
第1回個展(大阪フォルム画廊)。
•1961年
現代日本絵画展に出品。カーネギー国際現代絵画彫刻展(アメリカ)に出品。
•1962年
西宮市民文化賞を受賞
•1971年
司馬遼太郎に同行しながら、「街道をゆく」の挿絵を描き始める。

•1983年
「街道をゆく」の挿絵で第14回講談社出版文化賞を受賞。
•1990年
7月14日午後5時28分、兵庫県神戸市北区の社会保険中央病院にて84歳で死去。
•1990年
油彩画45点、グワッシュ320点、挿絵1858点の計2223点の作品を大阪府に寄贈。

(注: 写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

デンマンさんは須田画伯の絵にハマっているのですか?

いや。。。正直言うと須田さんの絵は僕の好みの絵じゃないのですよ。 だから、須田さんのどの絵を見ても特に感動したことはない。 ただ、須田さんの人間としての魅力を知るにつけ、須田さんの絵を改めて味わいのある絵だと思うようになりましたよ。 東京美術学校(現東京芸大)を4度受験して、いずれも失敗したのが分かります。 多くの人に認められるような絵じゃないと僕は思いますよ。
それなのに司馬遼太郎さんが「街道をゆく」の挿絵画家として15年も須田さんと仕事をしたというのはどうしてですか?
須田さんの人間としての魅力に司馬さんが惹かれたのだと僕は思います。
どういうところが。。。?
次の須田さんの小文を読むと分かりますよ。
司馬さんと旅して
須田剋太

「街道をゆく」の連載が「週刊朝日」で始まってもう14年、ずっと絵のほうを受け持ってきましたので、ずいぶん司馬さんとは取材旅行を御一緒しました。 司馬さんは最初から、事々しいことはよして、ありのままにぶつかりましょう、須田さん、トボトボ歩きましょう、とおっしゃって、この方針は一貫してつらぬかれてきたんじゃないでしょうか。
名のある人に会うわけではなく、タクシーの運転手さんやその辺のオバちゃんに話しを聞いたりして。。。
(中略)
九州へ行ったときのことでしたか、飛行機の中でスチュワーデスがおもちゃの飛行機を子供たちに配った。 私、それが欲しくて頼んだんですけれど、大人はいけません、といってスチュワーデスはツンツンしている。 これはお書きになってますね。 でも続きがあるんです。 司馬さんはそれを見てましてね、内緒で掛け合ってくれて、あとで、ハイッ、須田さん、ておもちゃを渡してくれたんです。 断られたときのあの須田さんの絶望的な顔! そして今のうれしそうな顔! って笑うんですけれど、いつもこういうやさしい心遣いをしてくれる人なんです。
大分私の方が年上なんですが、非常識なところがあって、助けられてばかりいるんです。 宇和島へ行ったときでしたかね。 司馬さんの友人のKさんが一緒だったんですが、私、Kさんがカメラを持ってらしたんで、あとで絵を描くために、あそこを撮ってくれ、こっちも撮って欲しいって、頼んでいたんです。
そのあと司馬さんにうんとたしなめられましてね。 Kさんはあなたの写真を撮るために来たんじゃないんですよ、須田さん、私はあなたのことをよく知っているからそうは思わないけれど、他の人にはずいぶんえらそうな人だと誤解されますよ、と。。。
私、どうもこういうことに気がつかなくて、親でも言ってくれないことを言ってくれて、本当にありがたいことだと感謝しました。
あの人は権力風をふかす人が身震いするほど大嫌いなんです。 人を愛すること、これだけですべてが成就する、と考えている人なんです。
(中略)
司馬さんと出会えたということは、私は本当にめぐまれていると思う。
道元に同事ヲ知ルトキ自他一如ナリ、という言葉がありますけれど、いっしょに仕事をしておりますと、心が深いところで響きあって、自他の区別がなくなる、そういう瞬間を、おこがましいけれど司馬さんにある時ふっと感じるんです。
司馬さんも、私がとにかく一所懸命に絵を描いていることだけは認めてくれているんだと思います。 そうでなくてはこんなに長く続かなかった、と考えているのですけれども。

(注: 写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました。
赤字はデンマンが強調)
110ページ
『別冊 太陽 日本のこころ - 130
司馬遼太郎』
2004年8月20日 初版第1刷発行
編集人: 湯原公浩
発行所: 株式会社 平凡社

なるほど。。。「断琴の交わり」なのですわね。

あれっ。。。小百合さんは粋(いき)な言葉を知ってますね。
デンマンさんがどこかで書いていましたわ。
そうです。 次の記事の中で書いたのですよ。
(すぐ下のページへ続く)
2011年04月04日
星空の記憶(PART 2)
星空の記憶(PART 2)
琴の緒絶ゆ(ことのおたゆ)

中国の春秋時代、琴の名人伯牙(はくが)が、友人の鍾子期(しょうしき)が死んだとき、もはや自分の琴を理解する者が居ないと言って琴の緒を絶ち、生涯琴を弾かなかったという。
「呂氏春秋」本味の故事から
親友・知己に死別するたとえ。
琴の緒を断つ。
伯牙断琴(はくがだんきん)
伯牙絶弦(はくがぜつげん)
『厳しさの中の愛の絆』より
(2010年8月20日)

つまり、この事が言いたかったのですか?

違いますよ。
まだ他にも理由があるのですか?
もちろんです。 わざわざ須田さんが生まれた町を僕は略歴の中で赤字で強調したのですよ。
埼玉県北足立郡吹上町ですか?
そうです。 最近、合併して鴻巣市になったけれど、長いこと吹上町だった。 僕にも身近に感じられる町でした。
どう言う訳で。。。?
僕のオヤジは僕が行田市立中央小学校にあがるまではそこで先生をやっていたのですよ。 埼玉県の小学校では、自分の子供が入学したら先生は他の学校に移るという不文律があるようで、僕のオヤジも隣の吹上町の下忍小学校に移ったのですよう。 僕も何度か、運動会がある時など、その下忍小学校に自転車で行ったことがあったのです。
それで吹上町が身近に感じるのですか?
やだなあああァ~、それだけじゃありませんよ。
まだ他にも理由があるのですか?
小百合さんにも吹上町の思い出があるでしょう?
私にですか。。。?
そうですよう。。。やだなあああァ~。。。忘れてしまったのですか?
何を。。。?
ちょっと次のメールを読んでみてくださいよ。

Subj:小百合さん、おはよう!
栃木の田舎も紅葉が盛りだろうね。
きゃはははは…

From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date:Wed, Nov 10, 2010 2:29 pm
Pacific Standard Time
日本時間:11月11日(木)午前7時29分
千代田町のインドカレーに旧吹上町のインドカレー。
小百合さんがカレーにハマっていたとは。。。?!
振り返れば栃木の「山の家」で僕の創作カレー(ラヴィオリカレー)を作ったことがあったよ!
あれは、もう2年前だね。
8Kg $5.99(500円)のロング・グレインの米をバンクーバーからわざわざ持って行ったものでした。
タイ米に似ているといって「旨いわ。カレーにすごく合うわね」と小百合さんは言ってた。
食べ慣れた僕にとって、それ程旨いとは思わなかったけれど。。。
僕がわざわざ作ったので社交辞令かと思っていたけれど今年の10月に帰省した時に2度もインドカレーを食べたことを思えば、あの時のラヴィオリカレーを小百合さんはマジで旨いと思って食べたんだね。
きゃはははは。。。。

思い出を食べる軽井沢タリアセン夫人と食べたインドカレー。
あのでかい“ナン”を懐かしく思い出しています。

ところで旧吹上町の「印度市場」で昼食に印度カレーを食べる前に待ち合わせたインターネットカフェ「自遊空間」ではゴタゴタがあったのですよ!
あの店は全国展開しているネットカフェのチェーン店だという。
本社は東京にあるそうだ。
北海道にも同じ名前の店があるとか。。。
そもそも、この店を見つけたのはJR北鴻巣駅の近くに住んでいる叔母の家へ自転車をこいで行ったときだった。
県道ルート66から左に折れて国道17号をのんびりとこいで行ったら「印度市場」を左に見てから5分程こいだ所に4階建ての薄水色のビルが左側に建っていた。
国道に面しているビルの壁には“インターネット24時間”と書いてある。
しかし、“会員制”とは書いてない。
これまで、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロスアンゼルス、バンクーバー、上海、香港、。。。とネットカフェでパソコンを使ってきたけれど会員制のネットカフェなんて一つもお目にかからなかった。
だから、日本でも、会員などにならずにすぐに使えるものだと思った。
でも、残念ながら、そうではなかった。
自動車免許証も持たずに家を出たので身分証明書になるものがない。
実家に取りに戻ったら往復で一時間もかかる。
フロントの女の子に話しても埒(らち)が開かないので店長と話したいと言ったら、店長は店に居ない。
電話で呼び出してもらって、かなり執拗に説明したのだけれど店長は「規則だから会員手続きをしなければ使えません」と言う。
前日、小百合さんに電話して待ち合わせ場所に指定したものだから仕方なく、もう一度実家に戻ってパスポートと免許証を持参した。
合計2時間のロスタイム!
「栃木県からやって来られた藤島小百合さんですか?」
フロントの係員が初対面の小百合さんに向かって丁重に尋ねたのには、そのような経緯があったのですよ。
小百合さんに会費200円と最初の30分利用料金280円、合計480円を払わせるのは迷惑をかけるし、無駄なことだと思い事情を話して、小百合さんが来たら僕のブースまで係員に呼びに来てもらったのでした。
「どうして私のことを知っていたのかしら?」
午前中にやって来るお客は2,3人だったから小百合さんを見分けるのに時間がかからなかったのですよう。
それに小百合さんの容姿や容貌などを話していましたからね。。。
きゃはははは。。。

ところで、このメールは、今、バンクーバー市立図書館の無料のパソコンで書いてます。
無料で一日2時間まで使うことができます。
でも、記事を投稿するには不十分。
帰宅してからウェストエンドのコミュニティ・センターの分館で、もう一時間使えるように予約したばかりです。
小百合さんのパソコンはダウンして使えないんだったね。
最近、日本でも図書館で無料でネットを使えるようだから時間があるときにメールボックスを覗いてみてね。
じゃあね。

『不自遊空間(2010年11月14日)』より

どうですか? 思い出しましたか?

あの印度カレーのお店がある所が旧吹上町なのですか?
もちろん、あそこがけじゃないですけれどね。 うししししし。。。 でもねぇ、間違いなく小百合さんは須田画伯の生まれ育った町で印度カレーを僕と一緒に食べたのですよ。
つまり、この事を言いたかったので須田さんが2歳の時に眺めた星空を持ち出してきたのですか?
いけませんか?
(小百合さん、呆れて無言です)
【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
なんだかんだと書いてきて最後には小百合さんとインドカレーを食べたことを持ち出してきたのでござ~♪~ますわ。
たぶん、その事を持ち出して小百合さんとの付き合いも司馬さんと須田さんのコンビのように長くなっていると、デンマンさんはおっしゃろうとしたようですわよう。
見え透いているのですわ。
そのような事を言い出すならば、あたくしとデンマンさんのコンビもずいぶんと長いのですわ。
でも、どう言う訳か、あたくしとのコンビの事について書いてくださらないのですわ。
いけすかないこと!
でもねぇ~、箱根の芦ノ湖の宿でデンマンさんといただいた公魚(わかさぎ)はおいしかったのですわ。

今でも思い出すとヨダレが出てくるのでござ~♪~ますう。
とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。


ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
インドカレーも、たまにはいいですよね。
でも、わたしは辛いものが苦手です。
どちらかと言うと、やっぱりヨーロッパ料理ですわ。
デンマンさんが久しぶりにご馳走してくれると言うので
イングリッシュベイを散歩しながら
シルビアホテルの近くの
イタリア・フランス料理専門レストランへ行きました。




デンマンさんが、何が食べたいの?ときくので、
ちょっとおねだりして仔牛と
フォアグラのローストをリクエストしました。

う~♪~ん。 期待していた通りですう。
仔牛は、フランス語で「ヴォー」veau、
英語では「ヴィール」vealですよね。
まだ脂肪が少なくて赤い色も薄い感じです。
特徴は香りやクセがなく、
とても柔らかいのですわ。
その分、バターなどコクのある食材と
あわせる場面が多いようです。
今回は春キャベツで包んだ乳飲仔牛と
フォアグラのローストです。
マルサラ酒とリコッタチーズのソースが
とっても合っていました。
2色のアスパラガスが添えてあって、
落ち着いた感じを与えています。
フレッシュでクセの無い乳飲仔牛に合わせるのは
贅沢にも濃厚なフォアグラですう。
やわらかな春キャベツと季節のアスパラは、
お肉とぴったりと相性が合っていましたよ。
ソースはしっかり目に全体をまとめていました。
普段、口にする機会がないヴィールと
フォアグラなので、とっても期待していました。
デンマンさんが特別に注文してくれた
カクテル「楊貴妃」が、まず出てきました。

わたしが首を長くして待っている間
デンマンさんは楊貴妃の大理石像を見るために
わざわざ中国の西安に行ったときの事を、
いろいろと話してくれました。

料理が出てくるのを待ちながら、
わたしは「楊貴妃」をチビリチビリお口に運びました。
いつものようにデンマンさんは、
かなり詳しい歴史のお話をしてくれましたが、
わたしは半分、上の空で聞いていました。
うふふふふ。。。

次に出てきたのはイタリア料理の
バヴェッティーネでした。
焼穴子、あさりと松茸に、たっぷりの
芽葱(ネギのスプラウト)があしらってありました。
食べた瞬間、京都の老舗(しにせ)で味わうような
上質の和食を連想させる優しい味わいでした。

そして、デザートにはクレームエペスでした。
クレームエペスと言うのは、
フランス・ノルマンディー地方の
生クリームの一種です。
乳酸発酵させた爽やかな
酸味と芳醇なコクが特徴です。
クリーミーなヨーグルトといった感じの味わいですわ。
エペス(epaisse)とはフランス語で
「厚い」「濃い」という意味の形容詞で、
その味わいを表現しています。
なぜか、どこか懐かしいキュートなテイストでしたわ。
フレッシュな巨峰との相性が抜群でした。
お酒を絶対に口にしないデンマンさんが、
その場の雰囲気にすっかり酔ってしまったように、
わたしにちょっとベタベタした一幕もありましたわ。

「ジューンさん、ボーイフレンドと別れてから、
寂しくない?」
「あらっ。。。、どうして別れたことを
ご存知なのですか?」
「僕は地獄耳を持っているからね、
うへへへへ。。。ちょっと、このあと、
僕のマンションに寄らない。。。?」
「ええ。。。そうしたいのですけれど。。。
わたし、明日は仕事で朝が早いのですわ」
「僕が起こしてあげるから。。。うしししし。。。」
「でも、デンマンさんのところには
目覚ましがないから、
わたし、やっぱり自分のマンションに
まっすぐに帰りますわぁ」
デンマンさんはガッカリしていましたわ。
でも、思慮分別のある心の広い方ですから、
キレることもなく、ムカつく事もなく、
私のマンションまでエスコートしてくださいました。
ただし、お休みのキスは、
かな~♪~りディープになって長かったのですわ。
あまり長くなるとちょっと問題ですので、
「もうやめて」と言うつもりで、
舌を咬ませてもらいましたわ。
うふふふふ。。。

ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。
楽しいですから、ぜひ読んでみてくださいね。
■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』

では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。


2011年03月18日
あなたの車売りたいの?
あなたの車売りたいの?

おほほほほ。。。。
卑弥子でご
ざ~♪~ますわよゥ~
あなたにお会いしたくて
また出てきて
しまったのよォ~。
ええっ?あたくしと、
そう度々
会いたくないのォ~?
んも~~
そんな、冷たいことを
言わないで頂戴よゥ!
あたくしは、あなたに
お会いしたいので
ござ~♪~ますのよォ~
ええっ?
そんなことよりも
車のことを早く話せ!
あなたは、厳しい口調で
そうおっしゃるのですかぁ~?
あたくしよりも車の方が気になるのですかぁ~?
冷たいお方ぁ~~
分かりましたわァ。
そのために出て参りましたのですから
うふふふふ。。。。
説明しますわよう。
あなただって自分の車を高く売りたいでしょう?
ええっ?
そんなことは当たり前じゃないか!
あなたは、また厳しい口調で、そうおっしゃるのでござ~♪~ますか?
中には、車が邪魔で仕方がなくって、それで売りたい人も居るのですわよう。
そういう人にとっては、いくらでもかまわないのよ。
ところで、あなたはどのような車に乗ってるの?

あらっ。。。こういうのに乗ってるの。。。?
これってぇ、カウンタックよ!
ええっ? こういうメチャ豪華な車なんて
あなたには手も足もでないのォ~?
ちょっと言ってみただけなのォ~?
でもねぇ、あきらめちゃダメよ。
これから、もりもり働いて頑張って買いなさいよ。
でも、カウンタックだけが車じゃないわよね?
じゃあね。こういうのはど~おゥ?

アルファ ロメオとジュリエットよ!
どうなのよ?
この程度の車なら、あなたも乗れるでしょう?
ええっ?
まだ高くて手が出ないのォ~~?
ダメよゥ~!高い、高いってばっかり言ってないで、
一生懸命働いてお金をためなさいよゥ~。
あなた、まさか、最近日本ではやっているニートじゃないでしょうね?
ええっ? どうなのよォ~~
いいわよ、いいわよ。あまり激しい突っ込みは入れないわよ。おほほほほほ。。。。
じゃあ、こういうのはどうなのよォ~?

ギャラントよ。
ええっ?高い車ばっかじゃないかあああ~
あなたは、そう、ほざくのォ~?
分かりましたよ。。。そいで、あなたは、いったいどういう車に乗ってんのよォ~?
モジモジしないで言いなさいよォ!
ええっ?
恥ずかしがっている場合じゃないでしょう?
あたくしだって忙しいのよゥ~。
男らしく。。。あるいは、女らしく、さっさと話しなさいよゥ~。
ええっ?やっぱり、恥ずかしいのォ~?
ガタガタ言わないで、どういう車に乗ってんだか言ってくださいましよォ~。

ホントに、こんなのに乗ってんのォ~?
しょうがないわねぇ~♪~。
でも、いいわ。あなたの車が、なるべく高く売れるように便利なサイトを紹介しますわ。
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わりィ~こたあああ、言わないからぁ~、あなたもちょっと覗いてみたらいいわよ。
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査定してもらって、それから納得のゆく値段で売り出すのよ。
わかったァ~?
うまく売れたら、今度はカウンタックを狙うのよう。。。おほほほほほ。。。。
じゃあ、がんばってねぇ。

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■『大阪の歴史馬鹿(2009年9月22日)』
■『「蒲団」と「田舎教師」(2009年9月24日)』
■『卑弥子さんの存在感(2009年9月26日)』
■『ロマンとデジャヴ(2009年9月28日)』
■『夫婦風呂(2009年9月30日)』
■『露悪趣味(2009年10月2日)』
■『カプリ島と香水(2009年10月10日)』
■『小百合さんの香水10月14日)』

■『プッタネスカ(2009年10月18日)』
■『国敗れて山河あり(2009年10月22日)』
■『鰻重と阿波踊り(2009年10月26日)』
『あなたもワクワクする新世代のブログ』
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■『人のための医療(2009年10月30日)』
■『病める日本(2009年11月5日)』
■『住めば都(2009年11月15日)』
■『猫ちゃんの出迎え(2009年11月17日)』
■『名物先生(2009年11月19日)』
■『ぶんぶく茶釜(2009年11月21日)』

おほほほほ。。。。
また現れて、
くどいようでござ~♪~ますけれど。。。
あたくしは、デンマンさんが生まれ育った
行田に行ってみたいのよう。
ええっ?どうしてかって?
それはね、デンマンさんは
もちろんですけれど、
あたくしにとって行田とは
切っても切れない縁が
あるのでござ~♪~ますのよ。
どうしてだか、お分かりになりますか?
行田は古代ハスの
ふるさとなのでござ~♪~ますのよ。

きれいでしょう?
あたくしの初恋の花でござ~♪~ますのよ。
ええっ?どういうわけかってぇ。。。?
実は、八ツ橋を売るお店に、
かわゆい男の子が居たのでござ~♪~ますのよ。
おほほほほほ。。。
その男の子にあたくしが
恋をしたのでござ~♪~ますわ。
ええっ?その話しはすでに聞いたって。。。?
だから、あたくしがその男の子に
きれいなハスのお花を手渡したのですわよ。
ええっ?なぜかって。。。?
あたくしの愛の告白のつもりでしたのよ!
うふふふふふふ。。。。
あなたにも初恋の思い出が
おありでござ~♪~ますでしょう?
うししししし。。。。
ええっ?そんなことより、
もっと面白い話がないのかって。。。?
あなたは、あたくしの初恋など、
どうでも良いのですかあああ~~?
分かりましたわ。も~~
だったらね、メチャ面白いお話を
あなたにおせ~♪~てあげますわよ。

これなんだと思いますか?
あたくしのおトイレなんですのよ。
うふふふふ。。。。
きれいでしょう?
このおトイレについてのお話なんですのよ。
あなたも、これだったら、絶対に読みたくなるでしょう?
読んでね?
ダメよ!生返事してこの場を誤魔化そうとしちゃああ、
絶対に読んでねぇ~~?
お願い。頼むわよねぇ~。
うふふふふ。。。
次のリンクをクリックして読んでね。
■ 『平助さんが卑弥子さんに恋をしたのがウンのつき』
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
ああああ~~~
初恋の人と会いたいわああああ~~!


2011年03月16日
実家の思い出
実家の思い出


Subj:小百合さん、おはよう!
夕べは9時に
小百合さんのかわゆい声を聞いて
また元気をもらいましたよ。
きゃはははは。。。
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: Thu, Mar 10, 2011 2:36 pm.
Pacific Standard Time
日本時間:3月11日(金曜日)午前7時36分
幸代さん、おはよう!
元気でやってますか?
夕べは9時に小百合さんのかわゆい声を聞いてまた元気をもらいましたよ。
今朝は曇り空だけれど、雨が降っていないのでルンルン気分で図書館に歩いてきました。
最後に残ったMINTIAの2粒を口に入れて
ついでだから舐めながら、これが最後だと思ってスキップして歩いちゃったですよ!


幸代さんからのバレンタインの小包は1ヶ月にわたって楽しみました。
MINTIAを全部舐めきって
今、手に残っているのは「柚子こしょう」だけです。

■『柚子こしょうとドレッシング』
(2011年3月8日)
まだ1週間ぐらい使えると思います。
幸代さんの心のぬくもりを味わいながら、搾り出して使いますね。

きゃはははは。。。
今、バンクーバー中央図書館で書いてます。
木曜日の午後1時半だというのに、どこからやってくるのか?
パソコンは見渡す限り空いてるものが一つもないですよ。
これだけネットが普及しているということだよね。
ネットにつながっているパソコンは、めったに空きがない!
ところで幸代さんが子供のことで心配しなくてもよいように面白い記事を書きましたよ。
また館林の実家にでも行ってのんびりと読んでみてね。
幸代さんのために書いた記事です。

■『オナラ芸人』
(2011年3月11日)
この前、幸代さんに書いたメールも使いました。
バカバカしいけれど、小百合さんも笑い転げて読んでね。
。。。で、子供のことであまり心配しないように。。。
では、今日も一日軽井沢タリアセン夫人になりきって
ルンルン気分でオナラをしてみてくださいね。
じゃあねぇ。
バ~♪~イ (ブ~♪~イ)


実家の思い出ってぇ、今日はデンマンさんの生まれ育った行田市のことを取り上げるのですか?

違いますよゥ。。。小百合さんの生まれ育った館林ですよ。
どうして急に館林を話題にするのですか?
小百合さんから電話をもらって「どこからかけてるの?」と尋ねたら「館林からよ。。。」と答えたのですよ。。。覚えているでしょう?
もちろん、覚えていますわ。 電話してからまだ1週間も経ってませんから。。。
館林といえば小百合さんの実家。。。僕にとっても館林は懐かしい。
あらっ。。。デンマンさんにとっても館林は懐かしいのですか? どうして。。。?
あのねぇ。。。、電話を切ってから僕はしばらく館林の思い出の余韻に浸っていたのですよ。
館林の思い出の余韻ですか? デンマンさんにとって館林はそれほど思い出深い土地なのですか?
いや。。。とりわけ思い出深いわけじゃないけれど。。。小百合さんと知り合ったので館林が身近に感じられるようになったのですよ。 電話を切ってから、小百合さんと一緒に散歩した榴(つつじ)ヶ岡公園を思い出していたら、次の記事が僕のオツムに新鮮によみがえって来たのですよ。
新盆で実家に

投稿日時: 2008/8/15 8:36 (ロンドン時間)
日本時間: 8月15日 午後4時36分
バンクーバー時間: 8月15日 午前0時36分

はい デンマンさん アツイよー
ここは タイ か バンコクか!
新盆で叔母さんが来るというので、
実家にいったまま
結局 泊まってしまいました。
ん。。。?新盆?
聞いたことはあるけれど、意味が良く分からないなぁ~
“新しい盆”って、どういうこと?
辞書を引けば分かるよね。
調べてみますゥ。



雷の後 とても 気持ちの良い風が入ってきて、
そう 私が使っていた 2階の部屋はとても
風通しがいいのです。
何だか 帰るのが おっくうになり
うたた寝 してしまい、
南の方で花火の音がしていたような、どこだろう?
朝方 下の台所で音が聞こえたけど だれもイナイ。
まだ 父と母が暮らしていて
私たちの為に おにぎりでも
作ってくれてる 錯覚をします。
うん、うん、うん。。。
実家は懐かしいでしょうね。
小さい頃の思い出が一杯詰まっているからね。。。
小百合さんは、優しかった“ばー(おばあさん)”の事も
思い出すのでしょう?



今夜から また 軽井沢にいきます。
明日は矢ケ崎公園の花火です。

時間をつくりCAFE にいってみるね。
そこから、できたら返信します。

では また。。。
小百合より

それにしても、佐野から館林、館林から佐野。。。
そして夜になってから軽井沢。。。
行動派の小百合さんらしいですよう。
その行動力には感心させられますう!

花火を見て
楽しんだあとで
翌朝は“森林浴@軽井沢”を楽しんでねぇ~。

そして時間があったら、ネットカフェで返信を書いてね。
楽しみにしていますよう。



『さまざまな愛(2008年8月20日)』より

Subj: 12月19日 お世話様でした。
Date: 18/12/2007 6:52:02 PM
Pacific Standard Time
From: fuji@adagio.ocn.ne.jp
To: barclay1720@aol.com

少し 頭痛が残ってますが薬を飲むほどでなく
今日は母のところに行くつもりです。
日曜の納骨はとても遠いところでした。
朝はやく8時半に家をでて、
実家の仏壇に父の遺骨を迎えにいき、
群馬の榛名山まで午後の供養に間に合うよう
連れて行きました。
その日はとても風が冷たく
屋根に雪の積もった車がずいぶん走ってました。
帰りの途中 前橋、伊勢崎はここ佐野市より大きな町で子供の好きな本屋 おもちゃ屋 かわったレストラン(外見)があり、
せっかく遠くまできたからあちこち寄り道して
家につくと夜7時。
1日中私の運転でずーっと つかれて
帰り道で頭痛がはじまって風邪をぶり返しました。
父はどんな風景を毎日をみていくのかな~?
と思い、墓石のうしろにまわり正面をみました。
何もさまたげる物もなく180度いっぱい
大地と空だけでした。
大地なんておおげさで 普段使わない言葉です。
榛名山の裾のように広がる だだっ広い高原です。
子供達も「ここに納骨するの?」と寂しそうでした。
父の好きだった、ビールや どらやき りんご 赤飯
手ずくりしたクッキー、すはま(ピンクのもち)を備えて
しばらく一緒に冷たい風の中にいたのです。
私の祖母、祖父も先にはいってます。
父はやっと病気に開放されて、親の元に戻っていきました。
来春、暖かい日にお弁当でも持っていきます。
風邪をぶり返してしまった小百合でした。

『榛名山の小百合さん』より
(2007年12月20日)

Subj:小百合さんの風邪が全快するように
バンクーバーの空からマリア様に
お願いいたしますよ。

Date: 19/12/2007 12:39:12 AM
Pacific Standard Time
From: barclay1720@aol.com
To: fuji@adagio.ocn.ne.jp

少し 頭痛が残ってますが薬を飲むほどでなく
今日は母のところに行くつもりです。
健康第一ですよ。
無理しないようにね。
ヽ(´ー`)ノ
健全な心は
健全な体に宿る。
幸せを感じる心は
健全な体に宿る、ですからね。

日曜の納骨はとても遠いところでした。
朝はやく8時半に家をでて、実家の仏壇に父の遺骨を
迎えにいき、群馬の榛名山まで午後の供養に
間に合うよう連れて行きました。
榛名山ですか。。。
懐かしいですよ。
僕の親父がまだ生きていた頃だから、(亡くなったのが1999年の1月でした。)
確か1998年の11月か1997年の11月でしたよ。
僕が運転して家族で水上へ行き
その帰りに榛名山までドライブしました。
榛名湖が凍っていて公魚釣り(わかさぎつり)をしている人がたくさん居ましたよ。
なぜ水上だったのか?
今思い出したら、親父が小学校の校長先生をしていたので、退職後も共済会で安く泊まれる旅館が水上にあったのです。
その旅館を利用するために水上にしたのでした。
親父がビデオ撮影に凝っていて、
カメラを始終動かしていましたよ。
その時のビデオもあるはずです。
家族旅行のビデオを得意げに見せる愚か者が多いのですが、あれを面白がるのは写っている家族だけですよ。(微笑)
でも、いつか機会があったら小百合さんにも見せますよ。(爆笑)
うへへへへ。。。
\(@_@)/

その日はとても風が冷たく
屋根に雪の積もった車がずいぶん走ってました。
うん、うん、うん。。。
分かりますよ。
“赤城おろし”は寒いですからねぇ~。
“榛名おろし”と言うのは、(なぜか?)聞いた事がないですが。。。

帰りの途中 前橋、伊勢崎は
ここ佐野市より大きな町で
子供の好きな本屋 おもちゃ屋 かわったレストラン(外見)があり、せっかく遠くまできたからあちこち寄り道して…
家につくと夜7時。
1日中私の運転でずーっと つかれて
帰り道 頭痛がはじまって風邪をぶり返しました。
そうですよ。
うちの家族も、ドライブインに寄って山菜そばやうどんを食べるのが何よりの楽しみでしたね。

あれは、前橋の近くだったか?
名物の“黒豚”のトンカツ屋を探しても見つからず、
前橋警察署まで聞きにいったのですよ。
(前橋だったか?はっきりと覚えていませんが。。。)

父はどんな風景を毎日をみていくのかな~?
と思い、墓石のうしろにまわり正面をみました。
何もさまたげる物もなく180度いっぱい
大地と空だけでした。
大地なんておおげさで 普段使わない言葉です。
榛名山の裾のように広がる だだっ広い高原です。
子供達も「ここに納骨するの?」と寂しそうでした。
うん、うん、うん。。。
榛名山のあたりは、なぜか、寂しそうですよね。
群馬の寒々とした空風(からっかぜ)のイメージですよね。


父の好きだった、ビールや どらやき りんご 赤飯
手ずくりしたクッキー、すはま(ピンクのもち)を備えて
しばらく一緒に冷たい風の中にいたのです。
うん、うん、うん。。。
小百合さんは父親思いですねぇ~
父と娘のほのぼのとした家族ドラマが思い浮かぶようですよ。
(#´ー`) フッ
ん。。。? “すはま”? 初めて聞きました。
ピンクと白のもちは、お供えなどで、よく僕の母の実家でも目にしますが。。。

私の祖母、祖父も先にはいってます。
父はやっと病気に開放されて、親の元に戻っていきました。
うん、うん、うん。。。
そうでしょう。。。そうでしょう!
一緒に仲良く眠っている事でしょう!


来春、暖かい日にお弁当でも持っていきます。
そうですよ。
亡くなってからでも親孝行は大切ですよね。
そう言う僕は墓参りなど全くしない新人類ですよ。うしししし。。。
でも、カナダの空の下から、いつも亡くなった父親の冥福を祈願しています。
小百合さんのお父さんも、小百合さんの心温まる墓参を草葉の陰で、きっと喜んでいると思いますよ!
軽井沢の“山の家”をお父さんに見せる事ができないので残念でしょうが、でも、軽井沢の“幸福の谷”はお父さんの眠る榛名山の裾に続いていますからねぇ~。
バーナビーとは違いますよねぇ。
ヽ(´ー`)ノ
そう言う訳で、いつか、“幸福の谷”を小百合さんと歩きながら、亡くなった人の冥福を祈りたいですね。
そして、このメールの話もしたいものですよね。
(・_・;)
これは、全く脇道にそれてしまいましたア。
(#´ー`) フッ
ところで、今日(日本時間の19日)は“レンゲ物語”の記事を書きました。
H系のすっご~♪~いレンゲさんの恋愛詩が載せてあります。
時間があったら小百合さんもぜひ読んでみてくださいね。
風邪がすっかり治りますよ!(^ー^*)
僕が保証いたします。
(^_-)
■ 『恋心とロマンがムカつかせるのよ』
(2007年12月19日)
では、風邪を治すために上のリンクをクリックしてくださいね。
僕も小百合さんの風邪が全快するようにバンクーバーの空からマリア様にお願いいたしますよ。

では。。。 \(^-^)/
『榛名山の小百合さん』より
(2007年12月20日)

また、デンマンさんは古い記事を持ち出してきましたわねぇ~。。。

確かに、かなり以前の記事だけれど、小百合さんが実家に帰りたくなる気持ちが分かりますよ。
そうですか?
父親と娘の間には、母親と息子、あるいは父親と息子とはちょっと違った絆があるように僕は感じるのですよ。
あらっ。。。どのように違うのですか?
小百合さんがお父さんを思う気持ちを読んでいると、小津安二郎監督の映画『晩春』を僕は思い出すのですよ。

「エレクトラ・コンプレックスを描いて、あんなに美しい作品を見たことがない」
嘗て、私の戯曲を演出したフランスの劇団の重鎮ロジェ・ブランは私にそういった。
『晩春』のことである。 ロジェ・ブランの見方はまことに正しい。 表面的には自分が嫁ぐことで後に残る父を思いやる娘の話なのだが、原節子の表現力は娘の情を超え、女の情念の世界に迫っている。
叔母の杉村(春子)から原が見合いをすすめられるシーンがある。 会話の中に、叔母と交際のある未亡人の三宅邦子を、笠(智衆)の再婚相手にどうかとの話が出る。 原の表情が変わる。 変化のさまは到底娘のそれではない。 女そのものが吹き出てくる。
数日後、能楽堂で、笠、原、三宅が顔を合わす。 眼顔で会釈が交わされるだけなのだか、この場面では、なにも知らぬ微笑の三宅と嫉妬を必死に抑える原との間に、女の戦いとしかいいようのない火花が散る。 三宅が原の胸内に抱きかかえてしまったものを露気づかぬだけに、客には原の心根の切なさがかえって惻々と伝わる。
(中略)
初老の男の再婚に生理的な嫌悪を示す。 嫌悪を自分が結婚しない理由の正当化に使う。 そして、父が再婚の意思を示したときには嫉妬を迸(ほとばし)らせる。 だが、同じ道の両側を歩かねばならない父娘であれば、男と女にはなれない。 不承不承ながら見合いの相手に嫁ぐことを決めた身に、残る問題は再婚する父の“男”への嫌悪感なのだ。

それが原の内部で本当に消えたのか。 消せる可能性を見つけることが出来たのか。 笑顔を天井に向けたままの原は、最早、自分には無関係なことにしなければならないと決意したと語ろうとするのか。 途中で切れてしまっているセンテンスからは推測のしようがない。
ただひとつ、確かなのは、原がその問題を超えたと笠に告げようとしていることだろう。 だが、笠はその問題には乗ってこない。 返事がない。 父の方を見る。 眠りに落ちた笠が静かに鼾をかいている。 そうト書きは指定する。
だが、笠は本当に眠っていたのだろうか。
原は父の鼾を本物と受け取ったのだろうか。
実は、笠には、原の科白に答える言葉がないのである。 彼には再婚する意思はない。 本心を語れば、漸く彼女が手にした決意が崩れる。 嫌悪感が嫉妬からくるものであることがわかっていても、父の口から娘にそれはいえない。 眠ったのか、眠ったと見せたのか、いずれにせよ笠は最上の方法をとった。
原の側からすれば、苦しみぬいた問題の解決を告げようとした言葉を、こともあろうに鼾で遮(さえぎ)られる。 眠ってしまった父なら情けない。 狸寝入りなら余りにも突き放し方が厳しく思える。
科白に発展はなくとも、ドラマは鮮やかに進行しているのである。
そして、そのあとに問題の数カットが来る。 父を横目で見たあと、原は天井に眼を戻す。 その顔には微笑が残っている。 長年つれそった妻が夫の心の動きを“ああ、いつもの。。。”と見定めたときの笑みというか。 諦めと、同時に存在する信頼と、それを超えて長年の間に二人の間に棲みついてしまった慣れと、総てが交じりあった女の微笑みなのである。

(注:写真はデンマン・ライブラリーから貼り付けました)
157 - 164ページ 『絢爛たる影絵 - 小津安二郎』
2003年3月6日 第1刷発行
著者: 高橋治
発行所: 株式会社 講談社

でも実際には、私と父の間には上のような状況はなかったのですわ。 つまり、父の再婚はありませんでした。 だから、父の再婚で私の気持ちが乱されたことなどありませんでしたわ。

分かってますよ。 僕が言いたいのは小百合さんとお父さんの心の絆が『晩春』の笠智衆と原節子を思い出させたのですよ。 小百合さんが佐野から館林にある実家の仏壇にお父さんの遺骨を迎えにゆき、それから榛名山の中腹のお墓まで行って納骨する。 このシーンなど、まるで映画のシーンを見るようですよ。

父はどんな風景を毎日をみていくのかな~?
と思い、墓石のうしろにまわり正面をみました。
何もさまたげる物もなく180度いっぱい
大地と空だけでした。
大地なんておおげさで 普段使わない言葉です。
榛名山の裾のように広がる だだっ広い高原です。
子供達も「ここに納骨するの?」と寂しそうでした。
父の好きだった、ビールや どらやき りんご 赤飯
手ずくりしたクッキー、すはま(ピンクのもち)を備えて
しばらく一緒に冷たい風の中にいたのです。

この時、小百合さんが榛名山の中腹に立って、冷たい風の中でだだっ広い裾野を見渡している姿。。。僕はその時の小百合さんのイメージを年上の憧れの女性を慕うような少年の心で思い浮かべたものですよう。


あらっ。。。マジで私がデンマンさんのオツムの中に上のようなイメージで登場したのですか?

そうですよう。。。うしししし。。。
うしししじゃありませんわ。 デンマンさんは、何が何でも私のことになるとロマンチックにイメージしようとしているのですわ。
そういう訳ではありませんよ。 妄想している訳ではありません。 僕はこれまでの小百合さんのメールや投稿。。。それに、小百合さんと会って、いろいろと話したこと。。。そのような事を思い出しながら、“新盆”の意味を考えた時に、小百合さんの懐かしい姿が僕のオツムのスクリーンに映し出されたのですよう。
私のお墓参りのイメージですか?
あのねぇ、僕は“新盆”という意味が分からなかった。 だから、次のシーンは取り分け僕の興味を引かなかった。

雷の後 とても 気持ちの良い風が入ってきて、
そう 私が使っていた 2階の部屋はとても
風通しがいいのです。
何だか 帰るのが おっくうになり
うたた寝 してしまい、
南の方で花火の音がしていたような、どこだろう?
朝方 下の台所で音が聞こえたけど だれもイナイ。
まだ 父と母が暮らしていて
私たちの為に おにぎりでも
作ってくれてる 錯覚をします。

でも、“新盆”の意味を調べて、改めて上の場面を読むと、映画になるような素晴しいシーンなのですよう。

そうでしょうか?
お父さんが亡くなって初めて迎えたお盆に、小百合さんは実家の自分が使っていた部屋に居るのですよう。 うたた寝している。 どこかで花火の音がしているようだ。 お父さんとお母さんがまだ元気だった頃の映像が心に浮かんでくる。。。どうですか?。。。小百合さんの優しい心。。。小百合さんの子供の頃の、ほのぼのとした両親との心の触れ合い。。。なんだか名画を見るような気持ちになりませんか?
なりませんわ。
やだなあああァ~。。。少しはロマンチックになって夢見心地な表情を浮かべてくださいよゥ。
だから、そういうところが、デンマンさんは外見に似合わずロマンチストなのですわ。。。、私のように醒めた女になろうとした者にはちょっと白けるのですわ。
【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
あなたにも分かるでしょう?
デンマンさんは何が何でもロマンチックにしてしまうような、そんなところがあるのですわ。
そのくせ、あたくしと一緒の時には全くその素振りを見せないのでござ~♪~ます。

■『衝撃の角度』
上の記事でも分かるように、あたくしと一緒の時には醒めた男になろうとしているウザイ男を演じるのですわ。
一体これは、どう言う事なのでござ~♪~ましょうか?
いづれ、デンマンさんに突込みを入れたいと思いますう。
とにかく次回も面白くなりそうですわ。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。


ィ~ハァ~♪~!
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こんにちは。ジューンです。
久しぶりに堀辰雄の『美しい村』を読みました。
今度、軽井沢へ行く機会があったら
ぜひ「ささやきの小径」を歩いてみたいと思います。

アカシアの花が印象的に残っています。
次の美しい描写が忘れられません。
あのサナトリウムの裏の生墻(いけがき)の前は何遍(なんべん)も行ったり来たりしたけれど、その方にばかり気を奪(と)られていた私は、其処から先きの、その生墻に代ってその川べりの道を縁(ふち)どりだしているアカシアの並木(なみき)には、ついぞ注意をしたことがなかった。ところが或る日のこと、サナトリウムの前まで来かかった時、私の行く手の小径(こみち)がひどく何時(いつ)もと変っているように見えた。私はちょっとの間、それから受けた異様な印象に戸惑(とまど)いした。私はそれまでアカシアの花をつけているところを見たことがなかったので、それが私の知らないうちにそんなにも沢山(たくさん)の花を一どに咲かしているからだとは容易に信じられなかったのであった。

あのかよわそうな枝(えだ)ぶりや、繊細(せんさい)な楕円形(だえんけい)の軟(やわら)かな葉などからして私の無意識の裡に想像していた花と、それらが似てもつかない花だったからであったかも知れない。そしてそれらの花を見たばかりの時は、誰かが悪戯(いらずら)をして、その枝々に夥(おびただ)しい小さな真っ白な提灯(ちょうちん)のようなものをぶらさげたのではないかと言うような、いかにも唐突(とうとつ)な印象を受けたのだった。やっとそれらがアカシアの花であることを知った私は、その日はその小径をずっと先きの方まで行ってみることにした。
『美しい村』 (青空文庫) より
あなたも、軽井沢へ行ったら
『美しい村』を思い出しながら、
散策すると、また格別な味わいがあると思いますわ。
ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。
楽しいですから、ぜひ読んでみてくださいね。
■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』

では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。


2011年03月13日
麻布散歩(PART 1)
麻布散歩(PART 1)


Subj:小百合さん、おはよう!
夕べは小百合さんが送ってくれた
田舎作り「茶そば」を
茹でて食べましたよ。
きゃはははは。。。
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: Sun, Feb 20, 2011 12:48 pm.
Pacific Standard Time
日本時間:2月21日(月曜日)午前5時48分
小百合さん、おはよう!
今日はまるで春を思わせるポカポカした日差しを感じながら歩いてバンクーバー図書館までやって来ましたよ。
実にさわやかな、すがすがしい朝でした。
夕べは小百合さんが送ってくれた田舎作り「茶そば」を茹でて食べました。
自然の恵みたっぷりと育ったそばを大切に作った茶そばです。素朴な味をご賞味ください。
…と袋の裏に書いてあったよ。
【茶そばのおいしい茹で方】

一袋(150グラム)に対して約2リットルの湯を沸騰させ、その中へよくさばきながら落とし込みます。
軽く箸でかき混ぜ沸騰したまま約5分間で茹で上がります。
茹で上がった茶そばをザルに移し冷水をかけてよく冷やしてから調理してください。
茶そばは茹で上がり直後が一番美味です。
だってぇ~。。。
そう言う訳で書いてある通りに茹で上げました。
良質の茶の香りがなんとも言えずに香(こお)ばしく漂ってきましたよ。
そばを冷やしてから“そばつゆ”を作り始めました。
パウエル・ストリートにある日本食料品店へ行けば「そばつゆの素」を売っているけれど、それでは面白くないので自分流の“そばつゆ”を作りましたよ。
きゃはははは。。。

僕のマンションから歩いて5分のところにあるジョーのスーパーマーケットでトマトベースの缶入りpizza sauceを買ってきたのですよ。
213mL(ミリリットル)で99セント。日本円で83円。
例によってカナダでは3本の指に入るトロントにある大手の食品販売会社(Loblaws Inc.)が製造して販売しているものです。
3分の1をフライパンにあけ
これに小百合さんが小包みの中に入れてくれたヤマチュウ食通の味「柚子こしょう」を少々加え、
更に、たまねぎを千切りにして炒めたものを加え
それに蜂蜜をちょっとばかり加えたのでした。
そう言う訳で、奇妙な「そばつゆ」が出来上がりましたよ。
でも、これが意外にうまかったよ。
とにかく、茶そばの素材が良かったのですよ!
pizza sauceを使っただけに「イタリア風茶そば」になりましたよ!
きゃははははは。。。

でもねぇ、「柚子こしょう」を入れたおかげで日本風味も引き立ったのでした。
軽井沢タリアセン夫人の心のぬくもりを感じながら、じっくりといただきました。
小百合さん、ありがとう!
バレンタインの小包を充分に楽しませてもらっていますよ。
小百合さんも「茶そば」をたべて、それから行田の大長寺の桜でも見に行ってね。
でも、まだ桜が咲くには早すぎるかな?
とにかく、ポカポカした良い日に行田までドライブしてみたら。。。?
「長崎ちゃんぽん」でも食べてルンルン気分になってね。
じゃあね。
P.S.:

小津安二郎のグルメ手帳を読んでいたら「うなぎ 野田岩」(港区東麻布)に出くわしましたよ。
館林で小百合さんと一緒に食べた「うな重」が懐かしく思い出されてきました。
茶そばもいいけれど、たまには「うなぎ」も食べたいなァ。

『茶そばと鰻 (2011年2月26日)』より

デンマンさん。。。麻布散歩なのにどうして「うな重」をまた持ち出してきたのですか?

あのねぇ、「うな重」の話をするわけではないのですよ。 「うなぎ 野田岩」の住所が港区の東麻布なのですよ。
あらっ。。。ホント。
小百合さんも麻布には心惹かれるものがあるのでしょう?
どうして、そう思われるのですか?
あのねぇ、以前、僕は仙台坂のことで記事を書いたことがあるのですよ。
仙台坂ってぇ。。。、麻布にある仙台坂ですか?
そうですよ。 「麻布にあるのにどうして仙台坂って言うのかしら?」 小百合さんがそう言ったので、僕は調べたのですよ。 それで記事を書いたわけです。
私、そのようなことを言ったかしら?
忘れてしまったのですねぇ。。。小百合さんが思い出せるように、その時の記事をここに書き出しますから読んでみてください。
仙台坂

投稿日時: 2008/05/23 03:50 (ロンドン時間)
日本時間: 5月23日午前11時50分
バンクーバー時間: 5月22日午後7時50分
ん~ デンマンさん達の年代は麻布をオタク系の
集まりって思うの?
そんな高いビルに囲まれている町でもなく
大使館が多くて、だから ナショナルのスーパーが
あるのだけども
仙台坂って どうして仙台なんだろうね?
知ってる? イタリア大使館あたりのすごい坂
仙台に住んでた デンマンさん知ってる?
私が舶来グルメだなんて そんな! そんな…?
本当のグルメは飲茶は行きませんよ
ふかひれ や あわび 北京ダックを食べにいくのです。
バーガーキングなんていわず、フォアグラを分厚く
切ったのを ソテーして 食べてるんですよ。
行田のゼリーフライが まずくて
食べられなかったとしても
きっと 時々 買いにいくでしょう。
ただ その時を 忘れないよう、思い出を買いにいくのです。
ゼリーフライが苦くて 口に合わなかったとしても
それは そうゆう物体として 体に入れるでしょう。
食べるとか 味わうとか でなくて。
朝ごはんはおいしいと思わず
ねむいのに無理に食べるというイメージで
学生の時からダメです。
たぶん 小学校の時も やっとでしたよ
ばー(おばあちゃん) が困って、パンにしてくれて
どうにか1枚たべて、絶対味噌汁は飲みません。
熱くて寝起きになんて飲めません。
ばー は食べないと体がもたないよ。ご飯を食べると
ごくねつが出て体が ぽかぽか温まるんだよ。
と 私に朝ご飯を食べさせる その仕事は大変
だったと いま 思いますが、
そのうち 中学 高校と 絶対食べませんでした。
これは イヤな思い出でニュアンスが違いますが
食べるというのは 美味しくて食べるのと
思い出を食べる 体に取り込むのと
薬のように がまんして 朝食を胃に入れる。
いろいろ なんですね。

小百合より
Fuji & Kato Private Forum 『愛犬』スレッド
“Beaverland e-XOOPS”

こんにちは。デンマンですよう。
投稿日時: 2008/05/23 11:49 (ロンドン時間)
日本時間: 5月23日午後7時49分
バンクーバー時間: 5月23日午前3時49分

ん~ デンマンさん達の年代は麻布をオタク系の
集まりって思うの?
そんな高いビルに囲まれている町でもなく
大使館が多くて、だから ナショナルのスーパーが
あるのだけども
僕の年代の人たちではなく、
僕個人の感じ方ですよう。
麻布と言うのは昔から、なんと言うか。。。
“こだわり”のある人が住むような場所だと思っていましたね。
他では得られないようなステイタスを得るために住むような所。。。
そんなイメージを持っていましたよう。
つまり、卑弥子さんではないけれど、“ざ~ます”おばさんたちが住む所というイメージが強かったですよね。
うしししし。。。


仙台坂って どうして仙台なんだろうね?
知ってる? イタリア大使館あたりのすごい坂
仙台に住んでた デンマンさん知ってる?
直感的にすぐに分かりましたよう。
仙台に関係あるとするならば、仙台藩と関係あるに違いない!
歴史馬鹿の僕はすぐにそう思いました。
確認のためにGOOGLEで“麻布 なぜ仙台坂と呼ばれる”と入れたらば、すぐに見つかりましたよう。
坂の南側に仙台藩の下屋敷があったのですよう。

港区南麻布1丁目と元麻布1丁目の境を仙台坂巡査派出所前から東へ下る長い坂。
南側に韓国大使館があり、そのあたりにはかって松平陸奥守(仙台藩主伊達氏)の屋敷があった。
また坂下はもと仙石原とよばれる原があった。
【日本地名大辞典 角川書店】
GOOGLEで検索すれば、まず、ほとんどのことが分かりますよ。
僕にとっては欠かすことのできない検索エンジンです。
検索エンジンがなかったら、僕のような長い記事は書けないと思うのですよ。
江戸藩邸には上屋敷・中屋敷・下屋敷と、大体この3つがあったのですよう。
上屋敷は参勤交代で上京した殿様が住むところです。
中屋敷は殿様の成人した長男が住むところです。
下屋敷は江戸城から少し離れたところにあって、
別邸のような役目を持っていたらしいです。
殿様が遊興や散策のために利用したらしい。
だから、大名庭園などはたいてい下屋敷にあった。

仙台藩の麻布の下屋敷には、多分、仙台藩主の好きな「街の女」なども住まわせていたのでしょうね。
そういう場所だったらしいです。
下屋敷は上屋敷や中屋敷と比べると規模は大きかった。
なぜ?
江戸市中はしばしば大火に見舞われたので、
その際には大名が避難したり、復興までの仮屋敷として使ったそうですよ。
藩により様々な用途に利用されたらしい。
本国から送られる米や各種物資を貯蔵する場として使っていた藩もあったそうです。
菜園などを作っていた藩もあったらしい。

私が舶来グルメだなんて そんな! そんな…?
本当のグルメは飲茶は行きませんよ
ふかひれ や あわび 北京ダックを食べにいくのです。

日本で食べる北京ダックは高いらしいよね?
バンクーバーなら一人分4ドルか5ドルですよう。
3人で食べて15ドルぐらいでしたよう。
ロブソンストリートの“漢(ハン)”が安くてうまかった。
小百合さんがバンクーバーにやって来たら、
一緒に食べに行こうね。
そう言えば、しばらく北京ダックを食べてなかった。

なんだか、急に北京ダックが食べたくなってきましたよう。
うしししし。。。



バーガーキングなんていわず、フォアグラを分厚く
切ったのを ソテーして食べてるんですよ。

うん、うん、うん。。。
ジューンさんが仔牛とフォアグラのローストをリクエストしたけれど、
これって、グルメの食べ物?
うしししし。。。

■ 『仔牛とロマン - ジューンさんの仔牛とフォアグラ・エピソード』



行田のゼリーフライが まずくて食べられなかったとしても きっと 時々 買いにいくでしょう。
ただ その時を忘れないよう、思い出を買いにいくのです。
ゼリーフライが苦くて 口に合わなかったとしても
それは そうゆう物体として体に入れるでしょう。
食べるとか味わう とか でなくて。
“思い出を食べるグルメ”の小百合さんですからね。。。
分かります。。。分かりますよう。。。

“思い出の大仏”を食べましょうね。




朝ごはん はおいしいと思わず
ねむいのに無理に食べるというイメージで
学生の時からダメです。
たぶん 小学校の時も やっとでしたよ
ばー(おばあちゃん) が困って、パンにしてくれて
どうにか 1枚 たべて、 絶対味噌汁は飲みません。
熱くて 寝起きになんて 飲めません。
ばー は食べないと 体がもたないよ。ご飯を食べると
ごくねつ が出て 体が ぽかぽか 温まるんだよ。
と 私に朝ご飯を食べさせる その仕事は大変
だったと いま 思いますが、
そのうち 中学 高校と 絶対食べませんでした。
小百合さんは育てるのが難しい女の子だったのだろうねぇ~
小百合さんからは、おっとりとした優しいイメージを僕は感じることが多いのだけれど、かつて、小百合さん自ら、“気の強いところがある”と意外な事を言ったので、朝食がダメ、と言うのもその表れなのかな?
そう思っていますよう。
僕の知らない気の強い面を持ってるのでしょうね?
“そんなカワイイわけないでしょう!”
小百合さんがそう書いていたけれど、
小百合さん自ら、“気の強いところがある”と意外な事を言うほどだから、自分の意識の中では“気の強い女”としての自負があるのかもね?
可愛い女よりは、むしろ気の強い女だと、小百合さんはそんな風に思っているのかもしれないね。

これは イヤな思い出でニュアンスが違いますが
食べるというのは 美味しくて食べるのと
思い出を 食べる 体に取り込む のと
薬のように がまんして朝食を胃に入れる。
いろいろ なんですね。
うん、うん、うん。。。
小百合さんが味噌汁を飲まないのは意外でした。
やはり、そういうところが気が強いのと関係あるのかな?
ばーは小百合さんの面倒を見るのに苦労した訳なんだ。
うししししし。。。

でも、小百合さんにとっては優しいおばあちゃんだったんだろうね。
僕もおばあちゃん子だったから、ずいぶんとわがままをしましたよう。
でも、味噌汁は好きでしたね。
子供の頃、何を嫌いだったのだろうか?
すぐに思い出せないから。。。あまり嫌いなものはなかったようですよう。
今、嫌いなものですぐに思い出すのは韮(ニラ)ですよう。
下宿でニラを味噌汁の中に毎日入れたのですよう。
1センチか2センチぐらいに短く切ればいいと思うのに、
7センチか8センチに切ってあるのですよねぇ~。
ニラは意外に繊維質なんですよね。
熱を加えても、やわらかくならないのですよう。
僕はニラ自体が嫌いな訳じゃないのですよう。
みじん切りにして餃子などに入れるのなら、むしろ旨いと思って食べられます。
ところが、8センチぐらいに切ったニラを味噌汁の中に入れると、雑草を食べているような違和感があるのですよね。
あの触感(食感)がダメでした。

これは韮となめこの味噌汁です。
旨そうでしょう?
これならば、僕だって口を付ける気になりますよう。
でも、僕が飲まされた韮の味噌汁は、なめこなどは入っていませんでした。
韮が古くなって少し黄色みを帯びているのですよね。
だから、大根の古いのを食べているときのような、あの根っ子を食べている触感が舌にザラザラ感じるのですよう。
実にイヤ~な感じですゥ。
僕のお袋は味噌汁にはニラを入れなかった。
ネギ、大根、ジャガイモ、豆腐、。。。
味噌汁は、そういうものだと思い込んでしまったから、
ニラの入った味噌汁を飲むのは、小百合さんが書いたように
“薬のように がまんして朝食を胃に入れる”感じだったのですよう。
素人下宿で僕だけが下宿人ならば、おばさんにニラは入れないでくれ、と言えるけれど、僕が居た下宿は玄人下宿で多い時には30人ぐらい下宿人が居たのですよう。
だから、ニラを入れないでくれとは言えませんでした。
現在の僕ならば言うけれど、その当時は気の弱い優男(やさおとこ)だったのですよう。
うへへへへ。。。
それで、ニラがすっかりイヤになってしまったのですよう。
もちろん、イヤだとは言っても好き嫌いのない僕だから食べる気になれば食べられます。
でも、あの下宿時代の悪い思い出のために、
ニラを食べる時は、“薬のように がまんして胃に入れ”なければならないようになってしまったのです。
だから、未だに自分でニラを買ってきて料理する気になれないですよね。
嫌いになった食べ物は、このニラだけです。
僕の子供の頃は旨いものって、身の回りにあまりなかったのですよ。
子供の頃はゼリーフライをゼニ(銭)フライと呼んでいたものです。
お祭りの時に屋台を引っ張ってきて、その屋台で老人夫婦がゼニフライを揚げて売っていたのですよう。
一枚5円でしたよう。うへへへへ。。。
旨かったですねぇ~。
その老人夫婦の顔は今でもはっきりと思い出すことができますよう。
まるで昨日のように。。。
あの味も今、口の中によみがえってきたほどです。 yam,yam,yummy...
実は、ゼニフライは、その老人夫婦が作っていたもの以外は食べた事がないのですよう。
必ずお祭りの時と決まっていたので、
僕にとってゼニフライはお祭りの味なんですよう。
メチャ、懐かしいですよう。
かどやのゼリーフライは、おそらく屋台で揚げたゼニフライとは味が違うと思いますよう。
でも、小百合さんが手紙につけた「かどや」のゼリーフライのソース。

前略
かなり急いでやって来たので
なんとなく急(せ)いてます。
まだ、小旅行の途中ですが、
小切手同封します。

アレぇ~~
ちょっと慌てたのでついてしまいました。
上のシミ、何だか分かりますか?
ゼリーフライのソースです。
うふふふふ。。。
食べながら書いているのが
バレてしまいましたね。
代わりの便箋がないので
この便箋で送りますよう。
急ぎます。
駆け足。。。駆け足。。。
どこの郵便局から送ったか?
分かりますか?
分かりますよね?
うふふふふ。。。
早々
小百合より。
2008年5月1日
『メルヘンの夢とロマン』より
(2008年5月10日)
だから、これから「かどや」のゼリーフライを食べる時、僕には間違いなくその思い出の味が加わるはずです。
ニラは下宿時代に嫌いにさせられたけれど、
それに代わって、現在、小百合さんがニラに代わる思い出の味、「かどや」のゼリーフライを僕に与えてくれたようなものですよう。
うしししし。。。

そう言う訳で、小百合さん、ありがとう!
小百合さん、ばんざ~♪~い!
じゃあね。
デンマンでした。

『思い出を食べる(2008年5月30日)』より

3年ほど前の記事ですわね。

月日の経つのは早いものですよう。 ほんの数ヶ月前に書いたような気がします。 でも、3年経つとやっぺり変わるものですね。
何が。。。?
何がってぇ、3年程前には小百合さんは結構長いメールを書いていたのですよう。 最近は、めっきり筆不精になりましたね。
いろいろと子供の問題があったりして、なかなかメールを書く気になれないのですわ。
そういう時にこそ心配事から距離を置いて冷静になって考えるためにメールを書いたり、ブログを読んだりすればいいのですよ。 心配しすぎたからといって問題が解決するわけじゃないんだから。。。
分かってますわ。。。でも、その気持ちの切り替えがなかなかできないのですわ。
だから、そういう時に気晴らしに麻布までドライブして「うなぎ 野田岩」で「うな重」を食べればいいのですよ。
(すぐ下のページへ続く)
2011年03月13日
麻布散歩(PART 2)
麻布散歩(PART 2)
うなぎ 野田岩

天然うなぎにこだわり
店を休んだ江戸前うなぎの名店
小津のグルメ手帳に出てくる店を種類別に分けたとき、一番多いのが「うなぎ屋」だ。 最初に「うなぎ」としてのくくりで17店、途中「うなぎ - つづき」として15店が追加され、計32店の「うなぎ屋」が登場する。
毎年年末には、小津は年越しそばを食べる代わりに、「太く長くいきるほうがよい」と主張して、ことさら太いうなぎを食べたというエピソードもあるほどだから、小津のうなぎ好きも相当なものだったに違いない。
大串で有名な千住の『尾花』は小津がよく通った名店だが、昔はもちろん今現在も、天然うなぎにこだわり続けている麻布飯倉の『野田岩』も、グルメ手帳に登場する名店だ。
「当時うちが出していたのは、正真正銘の江戸前うなぎ。中でも7月頃、東京湾に南風が吹くと、風に導かれるようにえさを求めて湾奥までやってくるうなぎの旨さは格別でした」
そういって当時を懐かしむのは、『野田岩』5代目、金本兼次郎さん。 当時はどの店も、うなぎはすべて天然という贅沢な時代。 小津の舌もとことん磨きがかかっていた筈だ。
しかし、小津がうなぎを堪能した昭和36年あたりから、冬場の天然うなぎが獲れなくなったという。
「周りは養殖うなぎを当たり前のように扱っていましたが、うちは以後14年間、冬場は店を閉めました」
現在では、天然物の獲得はさらに厳しい状況だが、4月中旬から12月下旬までの期間は、天然うなぎが『野田岩』のメニューに上がる。
その天然うなぎの香りと味を、金本さんは「良質のバターを火の上に落としたような濃い匂いだが、油は淡白で繊細な味わい」と表現する。
天然うなぎは、触るだけで香水のようないい香りが手に移るという。 焼きは「火鉢一生」といわれるほど難しい。
86 – 87ページ 『いま、小津安二郎』
取材・文: 丹野達弥・田中宏幸
2004年3月1日 初版第3刷発行
発行所: 株式会社 小学館

そうですわね。。。しばらく麻布界隈を歩いていませんわ。。。気晴らしに出かけようかしら。 そして、ついでに「うな重」を食べるのもいいかもしれませんわね。

そうですよ。。。僕が埼玉県の実家に居るならば、小百合さんのお供をして一緒に天然うなぎを食べたいところです。
ところで、どうして麻布に高級住宅地ができたのですか?
僕もちょっと気になって調べてみましたよ。
麻布

麻布(あざぶ)は東京都港区を現在形成する5地区の1つで、旧麻布区とほぼ重なる。
東麻布、麻布飯倉、麻布永坂町、麻布十番、南麻布、元麻布、西麻布、六本木がある。
麻布は山の手の台地と谷地で起伏に富んだ土地である。
麻布という字が当てられるようになったのは江戸時代の元禄期からといわれる。
麻布は基本的に住宅地である、特に高台は富裕層が多く住んでいると言われており地価が高い。
低地側の幹線道路沿いには高層マンションが目立つ。
地理的には麻布地域の縁を沿うように古川が流れており、この川によって山と谷、高台と低地が形成され起伏に富んだ坂道の多い地形である。
高台は閑静な住宅地となっているが、低地には古くから職人が移り住んだことで文化が形成されたと言われる(麻布十番や東麻布)など。
近年まで地下鉄でのアクセスが悪かったこともあってか、ちょっとした大人の隠れ家的なイメージがあったが、そうしたイメージを持たれる理由はアクセス面だけではなく地形も関係していると思われる。
暗闇坂や狸穴(まみあな)といった地名は、まさにそうしたイメージを彷彿とさせる。
近年まで麻布地域内の鉄道駅は六本木駅と南麻布の端にある広尾駅があるだけで、隣町に神谷町駅はあるものの鉄道でのアクセスは芳しくなかった。
しかし都電が麻布全域を走っていた頃は地域住民からしてみればさほど不自由さは感じていなかったという声もある、それが廃止されてからはバスで補われていたものの三田や清正公辺りと同じく不便さは否めなかった。
そのため車でのみ訪れることができる、イコール「不便な隠れ家」といったイメージを持たれてしまった。
しかし2000年に、南北線・大江戸線麻布十番駅、大江戸線赤羽橋駅、三田線・南北線白金高輪駅の3駅が相次いで開業し地下鉄で容易に訪れることができるようになった。
なお現在は麻布と六本木は別の町のように思っている人が多いが、元来六本木地区は麻布の一地区であり麻布材木町や麻布龍土町といった町があった。
そのため現在でも麻布と六本木は行政区分などの点で地域的繋がりが強く、例えば六本木地区にある麻布警察署や麻布図書館などはその名残である。
歴史
麻布周辺には貝塚などが見られ縄文時代から人間が住んでいた。弥生時代には農業も行われていた。
712年には竹千代稲荷(現在の十番稲荷)が創建、824年には空海により麻布山善福寺が開基、939年には氷川神社が源経基により勧請される(1659年に現在の位置に移転)。
江戸時代初期までは農村や寺社の門前町であった。
武家屋敷が建ち並ぶようになり、江戸の人口増加・拡大につれ都市化し代官支配から町方支配にうつる。
馬場が1729年に芝から麻布に移転、十番馬場と呼ばれた。馬場移転に伴い馬市が立ち麻布十番は栄える。
1859年にアメリカ公使館が善福寺に置かれる。明治時代には古川が埋め立てられ鉄道馬車が通り工業化が進む。
次第に台地の上は高級住宅街、低地には零細商工業といった分化がすすむ。
大正時代には麻布十番を中心に花街や演芸場、映画館、デパートなどが造られ東京でも有数の盛り場となる。
第二次世界大戦では空襲で大きな被害を受けるが、戦後に復興する。
戦後、地下鉄日比谷線の開通計画に際し銀座に顧客を取られることを恐れ、地下鉄駅の開設反対運動が起こり路線は変更された。
しかしながら結果として六本木に客足が向かうことになり長く商業的な停滞が続いた。
2000年、南北線の開通に伴い麻布十番駅が開設され駅前商店街の奥には六本木ヒルズが完成するなど嘗ての殷賑を取り戻しつつある。
現在の麻布は東京を代表する住宅地の1つとして知られ、芸能人・著名人・財界人など多くの人が住んでいる。
非常に多くの大使館が存在する地域である。
•アルゼンチン
•イラン
•ウクライナ
•オーストリア
•ガーナ
•韓国
•ギリシャ
•スイス
•スロヴァキア
•中華人民共和国
•ドイツ
•ノルウェー
•パキスタン
•フィンランド
•フランス
•マダガスカル
•ラオス
•ルーマニア
•ロシア
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

でも、麻布がどうして高級住宅地になったのか? その理由が書いてありませんわね。

あのねぇ、そういう事って日本に居るとなかなか分からないのですよ。
デンマンさんは海外生活が人生の半分以上を占めるので麻布がなぜ高級住宅地になったのかが分かるのですか?
いや。。。海外生活とは直接関係ないのですよ。 例え、40年以上海外生活していても分からない人には分からないものです。
分かりましたわ。 前置きはそのぐらいで結構ですから細木数子さんのようにズバリ!とおっしゃってくださいな。
あれっ。。。大東亜戦争を肯定する愚かな漫画家のように小百合さんも僕にズバリ!ズバリ!説明しろ!と僕に強要するのですか?
いいえ。。。別に強要するわけではありませんわ。 デンマンさんは余計な事を長々と書くので記事が長くなるのですわ。 なるべく手短に説明してくださいな。
あのねぇ、上の説明の「歴史」を読めば分かるけれど麻布に高級住宅が建つようになったのは明治時代になってからです。
確かに江戸時代に高級住宅が建てられたとは書いてませんわ。 でも、どうして明治になってから建てられたのですか?
あのねぇ、これは僕の仮説だけれど、大英帝国の栄光と文明開化の影響で麻布の高台に高級住宅が建てられるようになったのですよ。
だから、その理由をズバリ!とおっしゃってくださいな。
明治時代になると何でもかんでも西洋に見習えと、明治政府が盛んに日本臣民に言い聞かせたのですよ。
その事と麻布に高級住宅が建つ事と関係あるのですか?
もちろんですよ。 大いに関係があるのですよ。
でも、日本人は高台に家を建てる習慣はなかったでしょう?
その通りですよ。 「高い所が好きなのは馬鹿と鶏だけだ」と僕の親父はよく言っていたものですよ。 高台に家を建てたら坂を上り下りするのに大変ですよ。 ちょっと買い物に自転車で行くのだって坂を上ることを考えると嫌になってしまいますよ。 疲れるし、しんどいのですよ。 だから高台の家に住むなんて不便です。
そういえば日本の家は川の河口や平野に集まっていますよね。
そうでしょう!? 高台だと井戸を掘るにも大変でしたからね。
それなのにどうして麻布の高台に高級住宅が建てられるようになったのですか?
大英帝国の栄光が影響しているのです。
その大英帝国の栄光って何ですの?
あのねぇ、今ではイギリスはそれほど注目される国ではないけれどヴィクトリア女王が君臨していた時代(1837年6月20日 - 1901年1月22日)は、まさに英国の植民地が全世界に広がっていた。 このカナダも“英領カナダ”だった。 香港、シンガポール、インド、南アフリカ、西インド諸島の国々。。。みなイギリスの植民地だった。
イギリスの植民地と麻布の高級住宅地が関係あるのですか?
ありますよ。 旧英国殖民地を訪ねれば分かるのだけれど、当時の植民地の総督や高官の家は、まず間違いなく高台にある。
なぜですの?
英国のかつての植民地は、けっこう暑い土地に広がっていた。 低地や河口の近くはジメジメして暑苦しい。 当然、蚊やハエが多い。 蚊が病原菌を媒介するマラリアになるのが怖いから、蚊が比較的少なく、涼しい高台に家を建てるようになった。
カナダは寒い国なのに、それでも絵高級住宅地は高台にあるのですか?
そうなのですよ。 いつの間にか高台に家を建てるのが英国人の総督、役人や金持ちの間に流行した。 だから、バンクーバーでも最も高級住宅地と言われる地域は“Shaughnessy Heights(シャナシー・ハイツ)”と呼ばれている。 また、、バンクーバーからライオンズゲートブリッジを越えて北西に位置するウェスト・バンクーバー市はカナダでも所得の高い人たちが住んでいるのだけれど、その中でも高級住宅地は“British Proprties(ブリティッシュ・プロパティーズ)”と呼ばれているのですよ。


後方の山の中腹に見えるのが British Proprties 地区です。

このような山の中腹に高級住宅が建っているのですか?
そうですよ。 次のような感じの家がたくさん建っています。



あらっ。。。素敵ですわねぇ~。。。私もこのような所に住みたいですわ。

子供が大きくなって手がかからなくなったら、またバンクーバーにやって来てくださいよ。
つまり、麻布の高台の高級住宅を建てたのはイギリス人に見習ったというのですか?
そうですよ。
でも、ウィキペディアの説明には「1859年にアメリカ公使館が善福寺に置かれる」と書いてありますわ。 イギリス公使館ではありません。
その通りです。 だけど、当時はアメリカじゃなくイギリスが世界をリードしていたのですよ。 しかも、かつてはアメリカもイギリスの植民地だった。 今でも WASP と言われる人々がアメリカの政治・文化の主流を占めているけれど、この WASP は White Anglo-Saxon Protestant の頭文字をとった略語で「白人で英国人の祖先を持った新教徒」という意味です。 つまり、英国とは切っても切れない縁がある。 要するに、アメリカ人の大使や公使になる人たちは英国人を見習っていた。 それで高台に住居を求めたわけです。
つまり、当時の日本人も文明開化で英国人やアメリカ人のやることを真似したのですか?
その通りですよ。 「鹿鳴館時代」と呼ばれた時期があった。 何から何でも西洋の真似をして毎晩のように外国人を招いて鹿鳴館でパーティーを催(もよお)した。

鹿鳴館

もちろん、明治政府が先頭に立って文化的にも西洋に追いつこうとした。 でも、イギリスの新聞などには「日本人が盛んに猿真似して西洋の仲間入りしようとしている」なんて書かれたりした。


日本人が麻布の高台に高級住宅を建てるのも、その猿真似だったのですか?

そうですよ。 庶民は不便な高台などに家など建てたくなかったから、「官員さん」と呼ばれていた明治政府の高級官僚が英国人の真似をして麻布の高台に家を建てた。 それが麻布の高級住宅地の始まりですよ。
舶来グルメも、元をただせば明治時代の文明開化の名残(なごり)なのかしら?
そうです。 だから、あまり“西洋!西洋!”と言うのも考えものですよ。 日本にも素晴らしいものがたくさんありますからね。。。

【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
確かにそうでござ~♪~ますわ。
あたくしなどは、ずいぶん若い頃から日本の古典に親しんでおりますのよ。
舶来グルメもよろしいですけれど、
あたくしは、やっぱり日本の古典に惹かれたのでござ~♪~ます。
それで、同性として紫式部さんに憧れたのですわ。
現在、京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義しているのです。
でも、あまりにも日本の古典に熱中していましたものですから、
素晴らしいボーイフレンドを見つける暇がありませんでしたの。
たぶん最近の若い男性は純日本風のあたくしのような女よりも
コスプレに現(うつつ)を抜かしているミーハーの女のこの方がいいのかもしれませんわ。
うふふふふふ。。。
とにかく、また、あさってが面白くなりそうです。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。


ィ~ハァ~♪~!
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■『パリの空の下で』
■『夢の中華パン』

こんにちは。ジューンです。
春はもうそこまで来ています。
あなたの地方ではまだ雪が残っていますか?
ところで、バレンタインデーは過ぎてしまいましたが
3月14日はホワイトデーです。
たまたま日本の英和辞典を引いたらば
次のように出ていました。
Valentine
①男の名前; 聖ヴァレンチノ (3世紀ローマのキリスト教殉教者)
②ヴァレンチノ祭に選んだ恋人; 同日異性に送るカード・手紙・贈り物など
St. Valantine's Day
聖ヴァレンチノ祭(2月14日)に恋人同士が贈り物・手紙などを交換する風習がある。
三省堂『最新コンサイス英和辞典』より
そうなのですわ。
2月14日には男女にかかわらず
恋人同士が贈り物や手紙を交換する
習慣があるのですわ。
日本では3月14日がホワイトデーです。
バレンタインデーにチョコレートなどをもらった男性が、
そのお返しにホワイトチョコレートなどを女性へ贈ります。
でも、この習慣は日本・韓国・台湾・中国の一部など
東アジア特有のものです。
欧米ではこういった習慣はありません。
なぜなら、バレンタインデーに恋人同士が
贈り物や手紙を交換するからです。
わたしはデンマンさんにGODIVAの
チョコレートを上げようとしたのです。
そうしたらロブソンストリートのGODIVAのお店が
無くなっていたのですわ。
仕方ないのでピカチューのお弁当を作って
デンマンさんにプレゼントしたのですわ。


ええっ。。。デンマンさんはどのようなプレゼントを
くれたのかってぇ~?
それが、次のようなホットパンツだったのですわ。
うふふふふふ。。。

ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。
寒さを笑って吹き飛ばしたかったら
ぜひ読んでみてくださいね。
■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』

では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。


2011年02月12日
夢とロマンの横浜散歩(PART 1)
夢とロマンの横浜散歩(PART 1)


Subj:小百合さん、おはよう!
元気でバレンタインを迎えてね。
きゃはははは。。。
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: 08/02/2011 6:12:12 PM
Pacific Standard Time
日本時間:2月9日(水曜日)午前11時12分
小百合さん元気?
今年初めての風邪を引きましたよ。
んもお~~
外に出る機会が多くなると、やっぱり風邪を引きやすくなるんだよね。
去年の12月29日から、ほぼ毎日のようにバンクーバー図書館へ歩いて通っているんだよ。
1月30日の日曜日にも図書館へ行きました。
ロビーが2階にあってエスカレーターの後ろの方に長机に10台ばかりネットに接続可能なパソコンが置いてある。
2階には他に20台ほど同じようなパソコンが配置されている。

7階建ての図書館だから、ネットができるパソコンはすべての階を合わせれば210台ほどになる。
だから、予約しなくても、ぶらりと訪ねて空いているパソコンを見つけるのはそれほど難しい事ではない。
1月30日には長机の片側に5台並んでいる、ちょうど真ん中が空いていたので、そこに座った。
見れば向かい側のパソコンも空いていた。
記事を書き始めたら、そのうち向かい側に大きなカナダ人の女が現れた。

身長が180センチで体重が少なくとも80キロはあるプロレスラーのような女です。
これで長机の10台はすべてふさがれたことになる。
おおおォ~ すっげぇ~ と感心して見ていたら、この女がすごいセキをし始めたのですよう。
体を震わせ、周りの空気も振動させるようなすごいセキです!
僕はモニターに隠れるようにして、この大女のセキをかわしました。
ところが、まったく遠慮のない大女で、立て続けにセキをしまくる!
モニターに隠れるようにしたって、風邪のウィルスはこの女の吐き出した飛沫に乗って長机の周りの空気に浮遊している。
これはヤバイ!
女は1時間ほどネットをやって帰って行ったけれど、僕はさらに1時間続けたから、2時間の間に風邪のウィルスの飛沫を吸い込んだに違いない。
翌日、案の定、喉のあたりが可笑しい。
僕の場合、これまでの風は鼻から来て喉に来るのだけれど、
あの大女の風邪は喉に直接来た。
あの長机に座っていた10人のうち、彼女を除いた9人は、まず間違いなく彼女から風邪を移されたに違いない。
とにかく、タチの悪い風邪を移されましたよ!
僕は薬は一切買わない主義。
もう30年も医者にかかったことがないし薬を飲んだこともない。
栄養のあるものを食べて十分に休養をとる。
これに尽きる!
そう思っているので、風邪退治の食糧を買いに近くのジョーのスーパーマーケットに行きました。
目に付いたのが安売りのMINI Ravioliの缶詰。

425 gram Cdn$1.00
(425グラム カナダ1ドル 日本円で約83円)
MINI Ravioli
Beef Ravioli in
tomato & meat sauce
PRODUCT OF U.S.A.
MINI Ravioli
Ravioli au bœuf en
sauce tomate & viande
PRODUCT DES É-U.A.
(英語・フランス語2ヶ国語表記)

www.chefboyardee.ca
カレーパウダーとガーリックパウダーをたっぷり入れてホットで辛いスープにしようと思い立ったのでした。
もちろん、辛過ぎないように蜂蜜を加えてみました。
そして卵を2つ落として卵とじにしてみました。
これが効きましたよ。
2缶買ってきたので2度作り、4回に分けて食べた。
あの大女のように図書館を揺るがせるような大きなセキはついに出なかった。
充分に睡眠をとっているので、あれから毎日図書館に通っているけれど、回復に向かっています。
喉の辺りがまだすっきりとしないので完治していないけれど、あの大女の酷い風邪は何とか退治できたと思っているのですよう。
きゃははははは。。。

軽井沢タリアセン夫人もタチの悪い風邪にかからないようにルンルン気分でバレンタインデーを迎えてね。
じゃあ、バ~~イ!


デンマンさん。。。風邪を引いたのを向かい側に座ったプロレスラーの女のせいにしていますけれど、薄着で外に出たのではないですか?

いや。。。薄着ではありませんでしたよ。 暖かい格好をして出かけたのですよ。
熱い辛いラヴィオリ・スープ仕立ての玉子とじを食べるのも結構ですけれど、スキーズボンでも買って、暖かくしてお散歩してくださいね。
はい、はい、はい。。。でも、今年はすでに風邪の免疫がついたから、もうタチの悪い風邪にかからないと思いますよ。
そのように過信するのは良くありませんわ。 常に新しいタイプの風邪が出回りますわ。。。で、また夢で横浜を散歩したのですか?
良く分かりますねぇ~。。。

■ 『パリの空の下で』
(2010年12月1日)

Subj:小百合さん、おはよう!
夕べ小百合さんの夢を見ましたよう!
きゃはははは…
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: 28/11/2010 5:29:09 PM
Pacific Standard Time
日本時間:11月29日(月)午前10時29分

パリの夢を見たと言って記事を書いたでしょう?

小百合さんは良く覚えていますねぇ~。。。
つまり、デンマンさんは記事にするネタに困っているのですわね?
いや。。。決してそう言う訳ではありません。 記事のネタなら数え切れないほど転がっているものですよう。
それで横浜のどこへ行ったのですか?
BankART1929ですよう。
BankART1929


BankART1929は、横浜市が推進する、歴史的建造物や港湾施設等を文化芸術に活用しながら、都心部再生の起点にしていこうとする文化芸術創造の実験プログラムのひとつである。
BankART(バンカート)は旧第一銀行横浜支店(BankART1929 Yokohama)と旧富士銀行横浜支店(BankART1929 馬車道)ふたつの建物を芸術文化に利用するという意味を込めた造語。
ちなみにその舞台となる旧第一銀行と旧富士銀行の建物はどちらも1929年に建てられた。
世界恐慌の始まったこの年はニューヨーク近代美術館(MOMA)が設立された年。
どちらの建物も古代ローマのトスカナ地方独自の建築物の様式「トスカナ式」でつくられている。
2003年3月に実験事業としてスタートし、2006年度からは本格事業へと移行。
旧第一銀行を活用した「BankART 1929 Yokohama」と旧富士銀行横浜支店(BankART1929 馬車道)の二カ所を拠点(スペース)として活動していたが、2004年12月31日に「BankART1929 馬車道」の活用は終了、2009年3月31日に「BankART 1929 Yokohama」の活用は終了。
現在は日本郵船の湾岸倉庫を利用した「BankART Studio NYK」を主な拠点として活動を行っている。
また、2006年7月には主にアーティストインレジデンス機能をもつBankART桜荘がオープンしている(2010年4月30日、活動終了)。
BankART妻有は、2006年の大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレに出品されたBankARTが運営(管理)している農家である。
BankART1929ではアートイベントの企画・運営事業以外にも様々な取り組みを行っている。
範囲はアート、建築、パフォーマンス、音楽、会議他あらゆるジャンルに渡る。
スタジオ、スクール、出版、カフェパブ、ブックショップ、コンテンツ制作をベースにしながら、主催、コーディネート事業等、年間650本以上の事業を活発に行っている。
2ヶ月単位でアーティストに制作スペースを貸し出し、2週間に一度程度の一般公開を行っている「アーティストインスタジオ」や、2ヶ月で8コマを基本単位に各ジャンルの第一線で活躍する人たちを講師に迎えて開催している「BankARTスクール」。
その他、アート関係の本やスクール講師の著作などの芸術書籍を扱うBankARTショップの運営に加え、展覧会の内容を出版事業へと展開したり、横浜の地ビールメーカー「横浜ビール」とBankARTを利用するアーティストのタイアップによるオリジナルブランドの開発も行うなど、コンテンツ制作事業も行っている。
これらの事業の売り上げはBankART1929の運営資金として活用されている。
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

なぜBankART1929なのですか?

ローマに居るような気分を味わったのですよ。 バンクーバー図書館はローマのコロシアムを思い出させる建物ですよう。


分かるでしょう? BankART1929は比較的小さな建物なんだけれど、壮大なバルコニーと4本のトスカナ式の列柱の迫力はコロシアムにも匹敵しますよ。

。。。で、中に入ってみたのですか?
もちろんですよ。



こうして仲良く小百合さんとコーヒーを飲んだのですよ。

中にはコーヒーショップがあるのですか?
いや、ありません。 セルフサービスのコーヒーカウンターがあるだけです。
無料ですか?
もちろん二人で200円のカンパをしましたよう。 うししししし。。。
その後、どこに行かれたのですか?
横浜へ言って山手を見ないでは帰れないので、小百合さんと自家製のケーキを食べようと「えの木てい」へ行ったのですよう。


日に照り映える真っ白い外壁。 赤い洋瓦の屋根。 ワインカラーの軒周り。 窓縁とのコントラスト。 テラスに小百合さんと座りながら自家製ケーキを食べて紅茶を楽しんで僕は満足しましたよう。

デンマンさんは何が何でもロマンチックに演出しないと気がすまないのですわね。
そう思いますか?
ちょっとわざとらしいですわ。
あのねぇ、夢を見る時ぐらい僕の自由にさせてくださいよう。 うしししし。。。 それで、さらにロマンチックに盛り上げようと僕は小百合さんを中区日本大通にある「Alte Liebe(古い恋人)」へ連れて行ったのですよ。



あらっ。。。なんだか素敵なお店ですわね。

そうでしょう?!。。。クラシック音楽を生(なま)で聴けるのですよ。
デンマンさんは、いつからクラシック音楽にハマッタのですか?
いや。。。別にクラシック音楽にハマッタわけではないけれど、たまには小百合さんと格調高く横浜でクラシック音楽を聴きながらディナーを楽しみたいなあああァ、と思ったわけですよ。 うししししし。。。



あらっ。。。マジでクラシック音楽を聴かせるのですか?

もちろんですよ。 室内はウィーンの工房が手がけたというインテリアで占められているのですよう。 なんとなくオーストリアの音楽の都に居るような気分に浸れるのです。 しかも、ヨーロッパから招いた音楽家たちによる生演奏ですよ。
これがデンマンさんの夢のメイン・イヴェントなのですか?
いや。。。違うのですよう。 次の写真を見てください。


あらっ。。。学校のようですわね?

そうです。 山手にある「横浜共立学園」の本校舎ですよ。
どうして学校などを持ち出してきたのですか?
あのねぇ~、この校舎を設計したのが、なんとヴォーリズさんなのですよ。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
William Merrell Vories

1880年10月28日 - 1964年5月7日
アメリカのカンザス州レブンワース生まれ。
日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家。
建築家でありながら、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもある。
そしてまたYMCA活動を通し、また「近江ミッション」を設立し、信徒の立場で熱心にプロテスタントの伝道に従事した。
よく「宣教師」と紹介されるが、彼はプロの牧師ではなくキリスト教徒伝道者である。
讃美歌などの作詞作曲を手がけ、ハモンドオルガンを日本に紹介するなど、音楽についての造詣も深かった。
英語教師として来日後、日本各地で西洋建築の設計を数多く手懸けた。
学校、教会、YMCA、病院、百貨店、住宅など、その種類も様式も多彩である。
1941年(昭和16年)に日本に帰化してからは、華族の一柳末徳子爵の令嬢満喜子夫人の姓をとって一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と名乗った。
「米来留」とは米国より来りて留まるという洒落である。
近江商人発祥地である滋賀県八幡(現:近江八幡市)を拠点に精力的に活動したことから、「青い目の近江商人」と称された。
また太平洋戦争終戦直後、連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力したことから、「天皇を守ったアメリカ人」とも称される。
略歴
1880年 - 米国カンザス州レブンワースで生まれる。
1802年 - この頃から教会の礼拝に出席するようになり、後日、幼児洗礼を受ける。
1900年 - イーストデンバー高校を卒業。コロラドカレッジ理工系課程に入学し、YMCA活動を開始する。
当初は建築家志望でマサチューセッツ工科大学への入学が決定していたが、家庭の経済状況を考えて近くのコロラドカレッジに入学している。
1905年 - 滋賀県立商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)の英語科教師として来日する。
1919年 - 子爵令嬢一柳満喜子と結婚。結婚式は自らが設計した明治学院の礼拝堂で挙げた。
1920年 - ヴォーリズ合名会社を解散し「W・M・ヴォーリズ建築事務所」および「近江セールズ株式会社」を設立する。
1941年 - 日本国籍を取得し、一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と改名。ヴォーリズ建築事務所を一柳建築事務所と改称する。
1945年 - マッカーサーと近衛文麿との仲介工作をおこなう。
1951年 - 藍綬褒章を受章(社会公共事業に対する功績による)。また、「失敗者の自叙伝」を「湖畔の声」に連載(1957年まで)。
1957年 - くも膜下出血のため、軽井沢で倒れ、療養生活に入る。
1958年 - 近江八幡市名誉市民第1号に選ばれる。
1961年 - 黄綬褒章を受章(建築業界における功績による)。
1964年 - 近江八幡市慈恩寺町元11の自邸(現ヴォーリズ記念館)2階の自室にて永眠。83歳。近江八幡市民葬および近江兄弟社葬の合同葬が行われ、遺骨は近江ミッションの納骨堂である恒春園(近江八幡市北之庄町)に収められる。没後、正五位に叙され、勲三等瑞宝章を受章する。
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

あらっ。。。もしかして「睡鳩荘」を設計したヴォーリズさんと同一人物ですか?

そうですよ。 偶然と言えば偶然だけれど。。。偶然と言うには。。。
やっぱり、偶然ですわよう。
小百合さんは冷静に考えすぎるのですよう。。。もう少しロマンチックに考えてみたらどうですか?
私は専業主婦ですから、どうしても毎日の日常茶飯事に追い回されてロマンチックどころではありませんわ。
だから、惰性の日常から自分を見つめ直す意味でも夢を見るのですよう。
デンマンさんのようにですか?
そうです。 うしししし。。。そう言っても小百合さんはすぐに夢を見るわけにも行かないだろうから、小百合さんのために懐かしいメールを持ち出しますよ。 読んでみてください。
(すぐ下のページへ続く)
2011年02月12日
夢とロマンの横浜散歩(PART 2)
夢とロマンの横浜散歩(PART 2)

う~♪~ん!。。。
読み応えがありましたよう!
小百合さんが軽井沢で
十分に楽しんできたことが
良く分かりますよう。
「私の軽井沢物語」も読んだしね。

投稿日時: 2008/08/22 12:30 (ロンドン時間)
日本時間: 8月22日 午後8時30分
バンクーバー時間: 8月22日 午前4時30分

朝吹 登水子さん の「私の軽井沢物語」は
23年くらい前 に出版だったかな?
私が20歳 ?
地理的、場所の名前、軽井沢を好きでない人にはつまらないかも。
登場人物も 有名な人ではあるけれど昔の人で こんがらがって 読みずらいかもね。
でも 名前をみて ん~ あの人の家系のお祖父さんかも?
とかと想像して 話を頭に入れていきました。
翻訳(フランスの本)をしていたそうですが、そっちは 全然 覗こうと思いません。
本は小説でなく まったく あの方の思い出をそのまま 本にしてあった。
軽井沢はまだ120年ぐらいの歴史です。
その前の武士の時代のちょんまげの所は知ろうと思いません。

(アレキサンダー・クロフト・ショー)

(日本聖公会・ショー記念礼拝堂)
1886年 ショー氏が軽井沢を避暑地として 暮らし始めた明治から 自分なりに 知りつくしたかったのです。
本の中で初めて 聞いた場所 知った事が新鮮で 次の日はその場所に 行ったりと…
楽しかったですよ。


横浜のニュー グランドホテル が軽井沢にあって演奏会や ダンスパーティ が開かれていた。
そんな大昔に 朝吹さんは青春時代を軽井沢で過ごせた。
なんて 幸運な人。
戦争で 大変な食糧難の時も流通の悪い
軽井沢で疎開した不幸な場面も読んだ。
僕も調べてみましたよう。
朝吹 登水子さんがどんな本を書いていたのかと思って。。。
僕は、彼女の本は一冊も読んでないのですよう。
名前は聞いたり見たりしたことはあったのに。。。
もしかすると、知らずにこの人の訳した本を読んでいたかもしれません。
僕はフランス文学にかぶれていた事もありましたから。。。
調べた後『本と映画』のサイトで次の記事を書きました。
読んでみてね。
■ 『私の軽井沢物語 - 朝吹登水子』
(2008年8月20日)

本を読み終えた日 ちょうど諏訪神社の花火の日
夜8時でなく 夕方はやく 4時ごろ行きました。

仙台の七夕のように ストリートを全部飾った、派手さもなく、隅田川の花火のように 広い河原でみる ワイドな花火でなく、神社の庭 入口 鳥居にかけて 並ぶ 夜店30軒ぐらい。
昔の町のお祭りって感じがした。
諏訪神社は軽井沢の中で 別荘地帯と違う日本的な場所と言ってた 気がする。
それを 確かめたくて4時頃行った。
確かに ケヤキ イチョウ 桜 ブナ科の大木でミズナラ。
言われてみれば 本当だ。
一人では 手で囲えない 3人位かな~。
きっと 樹齢200年もっと?
軽井沢の避暑地が始まる前から そこに立っていたでしょう。
うん、うん、うん。。。
小百合さんって、結構、好奇心が旺盛なんだよねえ~♪~。
中学生のときに『エマニエル夫人』を観たほどだからね。。。

うしししし。。。

でもねぇ、人間って、男も女も、年齢に関係なく好奇心が旺盛じゃないとダメだ!と言うのが僕の持論ですよう。
一生なんて短いものです!
どうせ、この世に生まれたからには、せいぜい広い世界を見て、いろいろな事を経験して満足して死んでゆきたいものです。
そうでないならば、生まれてすぐに死んでしまったのと変わりがないのですよう。
どちらの人生を選ぶか?
決まってますよね。
好奇心旺盛で、さまざまな人と出会い、世界のさまざまな場所で人生を楽しむ。
それこそ人間らしい人生だと僕は信じていますよう!
僕と小百合さんの出会いは、カナダのブリティッシュ・コロンビア州のバーナビーの“山の家”でした。



もしも、小百合さんが小さな小さな女の子で、
好奇心もなく栃木県の田舎しか知らない女の子だったら、
僕との出会いはなかったのですよね。
そういう意味でも、小百合さんの好奇心と行動力は、実に素晴しいのですよう。
そうです!
小百合さんは朝吹登水子さんに勝るとも劣らないほど素晴しいのですよう!

小百合さん万歳!

夢とロマンの女神、万歳!
そうです!そうですよゥ!
これが偽(いつわ)らざるデンマンの気持ちですう~♪~。


本の事で勉強になった なんて 子供みたいな事
私が言って、
デンマンさんが 「何が?」と検索している
と思いました。
そうですよう。ずいぶんと調べてみました。



朝吹さんの 別荘を塩沢湖のほとりに移築したそうです。
睡鳩荘(すいきゅうそう)
本にでてくる リビングや イスに会えると
うれしい 気持ちですが…
次回いきます。
長々 ごめんね。
うん、うん、うん。。。そうですか?
小百合さんと一緒に行ってみたいですね。

投稿日時: 2008/08/22 12:51 (ロンドン時間)
日本時間: 8月22日 午後8時51分
バンクーバー時間: 8月22日 午前4時51分

こんなの ブログに引用しなくて いいですよ。
知ってる人は大勢で、
私なんて 知ってる場面 まだまだ・・・・
同年代で軽井沢の本を出してる人います。
びくつきながら 読みました。
自分は軽井沢に居ていいのかな~? と…。
人それぞれですからねぇ~。
他の人と比べる必要はないですよう。
でも、小百合さんを一人の女として見て、
これまでの小百合さんの歩いて来た世界を見れば、
決して他の女性と比べても見劣りがしないのですよう!


『エマニエル夫人』を観てタイのバンコクにも出かけたし、
アメリカにも、そしてカナダにもやって来た。


そして、バーナビーの山の家で僕との出会いがあった!
うしししし。。。

お互いに世界が広がったという意味で素晴しい事ですよう。
小百合さんも、そう思いませんか?
だから、その感激をネットでこうして永遠のものにするのですゥ!
うしししし。。。
誰がなんと言おうが、バカだチョンだ!いいきなものだ!と言われようが
踊った方が楽しいのですよう!

えらいやっちゃ♪、えらいこっちゃ♪、
よいよいよいよいィ~♪~
踊るアホ~にィ♪、見るアホ~♪
同じアホなら踊りゃにゃソン損~♪~
えらいやっちゃ♪、えらいこっちゃ♪、
よいよいよいよいィ~♪~

そういうわけですから、小百合さんの感想文も引用させてくださいね。

では、今日も一日
暑さにめげずに
元気よくネットサーフィンしてね!


投稿日時: 2008/08/22 23:15 (ロンドン時間)
日本時間: 8月23日 午前7時15分
バンクーバー時間: 8月22日 午後3時15分
『軽井沢物語』より
(2008年8月26日)

小百合さんも日常茶飯事の生活から離れて時には『私の軽井沢物語』を手にしたこともあったのですよう。

そうですわね。。。考えてみたら、最近、いろいろと忙しくって本を読むどころではありませんでしたわ。
そうでしょう?。。。だから、たまには数年前のメールを取り出してきて読むのも無駄ではないですよ。
つまり、この事をデンマンさんは言いたかったのですか?
いや、違うのですよ。 僕はラフカディオ・ハーンのことで小百合さんと話したことを思い出したのですよ。

デンマンさんは小泉八雲にハマッてしまったのですか?

最近読んだ本の中では、最も興味深い人物なのですよう。
どういうところが。。。?
日本人の女性と結婚して、しかも日本に帰化した。それも明治29(1896)年1月に帰化したのですよう。。。日清戦争が終わった翌年のことですよ。 外国人が日本に帰化して、現在、日本人の間で知られている人物は、おそらく小泉八雲以外に居ないのではないか? 小百合さんは小泉八雲以外の人物を知っていますか?
いいえ。。。知りませんわ。
当時は人種差別が当たり前のような時代だったから、日本人の女性と正式に結婚するだけでも変わり者と思われていたのに、白人とは文化的にも人種的にも一段も二段も低いと見なされていた日本人が住む日本に帰化するなんて例外中の例外だと思いますよ。
つまり、小泉八雲は仲間から村八分にされてしまったのですか?
実際に仲間から排斥されたわけではないけれど、それ以来、八雲の外国人仲間との交際範囲が急に狭くなったそうですよ。
八雲が、そういう“変人”だから、デンマンさんは逆に興味を持つのですか?
そうですよ。。。僕は人生の半分以上を海外で暮らしてきましたからね。 だから、小泉八雲の気持ちや考え方に共感する部分がかなりありますよう。
たとえば、どんなところですか?
共感するというより、まず感心するのは、当時、日本は西洋文化の全盛時代だったのに小泉八雲は人種差別を越えて、数段低いと見なされていた日本文化を見下すこともなく、日本人以上に日本人になってしまったところがあった。
たとえば。。。?
明治25(1892)年2月12日、八雲はチェンバレン氏に次のような手紙を書いているのですよ。

セツ夫人と
私が次のように申しあげるのをお聞きになったら、貴男はさぞ、ぞっとなさるでしょう。 つまり私には洗練された音楽的感覚というものが全然ないので、ワーグナーや知的な音楽を楽しみことが出来ないということです。 音楽的感覚というものは、勉強と機会によって徐々に習得されねばならないと聞いております。 これだけ申しあげてしまったのですから、もう少し申しあげましょう。
私は、日本人のプロの音楽、即ち、声楽を好きになれないのです。 私は、農民の震える声が、時々奇妙に絶叫するかのように破裂し、各所で途切れてメロディが小間切れになる、あの長く尾を引く哀調が好きなんです。 私は、これら歌の中には、非常に美しい、蝉や野鳥の歌さながらに、自然に思われる強烈なものを感じます。
(中略)
農民の歌には、庶民の心が感じられますが軍歌にはそれがありません。
232 - 233ページ 『小泉八雲と日本』
編著者:西野影四郎
2009年2月15日発行
発行所:株式会社 伊勢新聞社

この手紙に、八雲が日本人以上に日本人になってしまったところがあるのですか?

だってぇ、そうでしょう。。。とにかく明治時代になると文明開化で、日本的なものが見捨てられて、何でもかんでも西洋的なものを貴重なものとして受け入れていたのですよう。 チョンマゲは切るし、刀は駄目だということになり、猫もミーちゃんハーちゃんも西洋的なものを真似して着るようになった。 鹿鳴館などは、その最たるものですよう。 いわゆる日本の上流社会の人たちがドレスや燕尾服を着て社交ダンスを踊ったりした。 イギリスの大衆新聞などでは、日本人が猿真似していると馬鹿にしていた。
つまり、そのような西洋志向な風潮の中で八雲が農民の間で歌われている民謡に、素晴らしいものを感じていることに、デンマンさんは感動したのですか?
そうですよう。 日本人が日本の伝統的なものを捨てて、何でもかんでも西洋的なものを真似しようとしているときに、八雲は日本の素晴らしいものを見い出していた。
それは、外国人にとって日本の風物や伝統的なものが珍しいと思える程度のことではないのですか?
あのねぇ~、確かに外国人にとって日本の浮世絵とか民謡などは珍しいでしょう。 でもねぇ、同じ外人でも、たいていの人はチェンバレン氏のように考えていたようです。 彼は次のように書いてるのですよう。
もしミューズィックという美しい言葉を、東洋人が楽器をギーギー鳴らしたり、声をキーキー張り上げることまで意味するほど低下させて用いなければならぬとするならば、日本には神話時代から音楽が存在したと考えてもよい。
(中略)
日本はいつの日にか、新しい第九交響曲を持って世界の人たちを魅了することがあるであろうか。 それとも、ただ俗悪な歌曲に沈溺して終わるであろうか。 著者はここに大胆な予想をするつもりはないが、期待されるところはきわめて少ないといわざるをえない。 イタリアの洗練された享楽主義も、ドイツ人の心からの誠実さも、スラヴ人の元気にあふれた感激性も、この国の人々の魂には根をおろそうとは思われないのである。
233ページ 『小泉八雲と日本』
編著者:西野影四郎
2009年2月15日発行
発行所:株式会社 伊勢新聞社

要するに、東洋音楽は、雑音以外の何ものでもない。 日本人には高尚な音楽は無縁だと言っているのです。

つまり、日本の音楽を理解する点でも八雲は例外中の例外だったとデンマンさんは信じているのですか?
そうですよう。 とにかく、たいていの外人が、日本の文化や日本人の知的レベルが西洋人、西洋文化と比べると数段低いと見下していたのですよう。
でも、文明開化で、西洋文化を吸収し、西洋に追いついて追い越せという日本人の熱意があったから、日本は昭和時代になって西洋社会と肩を並べて、やがて経済大国にもなったのでしょう?
そうです。。。僕が言いたいことは、日本には伝統的なものでも素晴らしいものがあった。 それにもかかわらず、西洋文化なら、何でも素晴らしいと思い込んで、日本的なものを何でも捨てて、西洋的なものを貪欲に吸収した。
でも、浮世絵などは、フランス人の画家などによって見出されたでしょう?
確かに、そうです。 でもねぇ、それは例外ですよう。 日本の音楽などは、チェンバレン氏が書いているように、楽器をギーギー鳴らしたり、声をキーキー張り上げたりする俗悪なものと考えられて、まったく無視されたようなものですよう。
だけど、民族的な音楽は特に理解するのが難しいのではありませんか?
『ミューズィック』より
(2011年1月8日)

どうしてまた、小泉八雲のことなどを思い出したのですか?

あのねぇ~、小泉八雲以外の帰化人で日本語の名前を持っている人が僕の記憶から脱落していたのですよう。 そう言う時にヴォーリズさんに出くわした。
日本国籍を取得して、ヴォーリズさんは一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と改名したのですわね。
そうなのですよ。 僕はまったく知りませんでした。
私もヴォーリズさんに一柳米来留という日本名があるということを知りませんでしたわ。
米来留(めれる)という名前は「米国より来(きた)りて留(とど)まる」という洒落だというのですから、ヴォーリズさんはユーモアのある楽しい人だったのでしょうね。
つまり、その事が言いたかったのですか?
違いますよう。
いったい何が言いたいのですか?
あのねぇ~、僕と小百合さんはヴォーリズさんが設計した「睡鳩荘」へ足を運んだのですよう。 しかも、その「睡鳩荘」は軽井沢タリアセンに移築された後だった。
だから。。。?
小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」としてブログにデヴューした記念すべきイヴェントだったのですよう。 つまり、横浜の山手にも、軽井沢にもヴォーリズさんの作品が残っていることは単なる偶然ではないのですよう。 実は、小百合さんと僕をそのような形で引き合わせてくれたのですよう。
それはコジツケですわ。
いや。。。違います。。。ロマンですよう。 うししししし。。。
【卑弥子の独り言】

ですってぇ~。。。
こじつけですわよう!
あなただって、そう思うでしょう?
ところで、「睡鳩荘」が気に入っていたという朝吹登水子さんは、女子学習院を中退ののち、1936年にフランスに渡り、ブッフェモン女学校、パリ大学ソルボンヌに学んでいます。
それに、2度目のご主人はフランス人です。
朝吹さんは外国の大使や公使の方々とも、対等にお付き合いができるように頑張ったようでござ~♪~ますわ。
おそらく、他の華族のお嬢様方たちには真似のできなかった事だったのかもしれません。
そう言う点で朝吹さんが劣等感を克服したとも考えられます。
その総決算として晩年に、自伝三部作を書き上げたのかもしれませんわ。
でも、上流階級に育った、その生い立ちに憧れを抱く者もあったけれど反感も抱かれた、と書かれています。
なぜなのでしょうか?
とにかく、面白いお話が続きそうですわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。

メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
どこの国にも“上流社会”と言うものが存在するようです。
昔は貴族とか華族と言われた人たちが居ましたが、
最近ではほとんどの社会で、
そのような制度はなくなりました。
それに変わって登場したのが
“セレブ”だとか“ハイソサイエティー”でしょうか?
つまり、有名人だとかお金持ちの集まりです。
でも、果たして、それが上流社会と言えるのでしょうか?
あなたは、どう思いますか?

ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。
暑さを笑って吹き飛ばしたかったら
ぜひ読んでみてくださいね。
■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』

では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。







